石川県 能登旅行【前編】
皆さん、ご無沙汰しております。
最近DTMにハマって生活がすさんでまった食の冒険家です。今回の記事は9月22‐23日に石川県能登に旅行した時のお話です。
道中、さまざまに思うことがあり、それらを綴ったためかなり長い記事になりました。お時間がある際に読んでいただければと思います。
能登が近づく
2024年1月1日夕暮れ間近、石川県能登半島を中心とした大きな地震が発生した。当時栃木に帰省していたぼくは実家で強い縦揺れを感じ、スマホのアラートが鳴り出すとともにすぐNHKをつけた。アナウンサーの叫び声、あちこちから上がる煙、日の入りとともに真っ暗になっていく街…、画面越し光景は今でも鮮明に覚えている。
その日は、いやその後もしばらくテレビと新聞から目が離せなかった。三ヶ日が終わり、自分だけがそのまま日常に戻っていくことに疑念を感じていた。
しばらく経ち、周りの友人が石川・能登への旅行やボランティアにいったという報告を聴くようになった。自分も何かしないとな…。しかし「お金がない」「時間がない」と言い訳のような気がして悶々としていた。
もともと鉄オタなので、今はなき夜行列車「急行能登号」に惹かれ、昔から能登への興味はあった。JR七尾線という能登を走る路線で流れる一青窈さんの「ハナミズキ」の駅メロを聴きにいきたい思いもあった。
春、夏と「うーむ能登か、七尾か…」と能登への旅が少しずつ近づいてきていたように感じる。
そんな折、ネットをさまよっていたら石川県能登を代表しているというVTuber勇者ノトさんを知った。配信を覗いてみると、自由でパッション全開、リスナーさんたちとゲラゲラ笑う、なんというか活きがいい空間だった。そして何より石川県能登への熱い思いを感じた。
おもしろいなーと見ているうちに、「そういえば自分は能登に行きたかったんだ」と思い出した。同時期、9月21日に東京で執り行われる大学のサークルの先輩が結婚式に招待いただいた。衝動的なぼくは「ほや能登へ行こう」と東京発金沢行の深夜バスと、七尾で一番安いビジネスホテルを予約した。
なお、ぼくの住んでいる大阪から東京までも深夜バスに乗る。大泉さんも3夜連続で乗ってたんだから行けるだろ!
旅行をするに当たり、ご縁があって勇者に直接能登のおすすめスポットを紹介していただいた。「ここのこれがおいしい!」「こっちのこれがおいしい!」とにかく能登、七尾にはおいしいものがたくさんあるらしい。A4メモ用紙の両面が飯屋であふれた。
現地に詳しい方にプラニングをしてもらえることほど贅沢なことはない!まんで楽しみだ(エセ金沢弁)!
前日 9月21日(土)
その他の情報収集も終え、準備完了。大阪からのバスに乗り込み、9月21日、東京に到着。席が思いのほか狭苦しくおしりと首が痛い。品川駅で他のサークル仲間と落ち合い、朝から駅構内の立ち食い寿司やでお酒と寿司をいただいた。幸せで愉快痛快な式と披露宴だった。ご招待してくださった先輩と新婦様、ここで改めてお礼を言わせてください。
式を終えた頃、家族から「能登が大変なことになっている」とLINEが届いていた。ニュースを見ると、線状降水帯の発生による記録的な豪雨が能登半島を襲っている凄惨な光景が映っていた。
仲間と解散したぼくは深夜バス待ちのネットカフェにこもり、NHKホームページのニュースライブを流しつつ、能登の状況を集めた。ぼくが行く予定の能登半島・七尾市にも避難指示が出ている。今後、観光に行くこともできない状況になるかもしれないし、交通機関が動いたとしてもぼくが行くことで現地の方たちに迷惑をかけてしまう可能性だってあった。
本来であればここは命を守るためにも中止の決断をしなければならない状況だった。しかし、今回の旅は個人的な思い入れのあるものであり、できるだけ決行したかった。予約をしているお店にも行きたい。とにかくまずはバスで金沢まで行き、ニュースと避難状況、SNS等を確認してどうすべきか判断することにした。
第1日 9月22日(日)
7時30分、金沢駅に到着した。台風由来の温帯低気圧が最接近しており風はかなり強かったが、雨はそれほど降っていなかった。しかし能登・輪島の地域は雨のピークがこの先数時間は続くとのことだった。目的地の七尾へ向かうJR七尾線はもちろん運休しており、少なくとも午前中は途中の高松までしか走らないとJRからの情報が出されていた。
あと2~3時間は確実に金沢市内に滞在することとなったので、金沢で能登に触れられる場所を検索した。すると、石川県立歴史博物館の常設展で能登の伝統的な祭りに関する展示がなされているという情報をキャッチした。すぐバスに乗り、博物館へ。道中、神社の横の歩道に昨晩の強風を受けて痛々しく折られた枝が横たわっていた。
石川県立歴史博物館
もともとは陸軍設備、後に大学として使われていたという立派なレンガ造の3棟が並んでいる。
まず入口のオープニング映像に引き込まれた。2015年北陸新幹線の金沢延伸にはじまり、どんどん歴史を遡って加賀藩繁栄の時代、源平合戦、さらに縄文時代の太古へいざなわれる。「日本の歴史の縮図が石川県に詰め込まれているのか」と感動した。
目当てにしていた能登の祭りの展示の白眉は、三面の大スクリーンと空気を震わす迫力のウーファーで没入感が演出された七尾の青柏祭・でか山の映像だった。巨大な山車がたくさんの歓声に囲まれながら狭い路地を駆け回る様子は圧巻だった。これは実際に現地で体感したい。
七尾へ
展示を見ながらも、逐一JRの運行案内とSNSの現地情報を確認した。七尾では能登食祭市場という道の駅で、時間は延期しつつもイベントが開催予定とのことだった。JR七尾線は途中の羽咋(はくい)までは動いているが、その先の電車は18時まで運転見合わせ…。どこまでいけるかはわからないが、とにかく金沢駅に戻り電車に乗り込んだ。
羽咋駅に着くと、「救済バス」の案内が張り出されていた。ホームページ上には掲示していないが、七尾まで走るらしい。乗客はぼくともう一人しかいなかった。そしてその方も途中の駅で降りてしまい、いよいよぼく一人だけの七尾行きとなった。
七尾への道中は歴史深い街道筋の風情だった。車窓を見ると古い家が並ぶ。つやのある黒い瓦屋根がこの地方の風習のようだ。
北上するにつれ、地震の爪痕が増えていく。なんとか外観をとどめている家、すでに更地になっている土地、ブルーシートを被せている屋根、瓦の剥がれた痕、傾いた塀、瓦礫の積まれた所など…。
その光景を見て、正直「まだなのか…」と思った。想像していた以上に復興の速度は緩やかだった。ぼく自身は、2011年の東日本大震災を地元栃木県で経験し、震度5の揺れに周囲の家の瓦が剥がれ落ちていた(実家もその一つだった)。しかし、半年後にはある程度修繕も済んでいた。
色んなものが不足している。いや、それだけではないと、この後に七尾でお話しした方がおっしゃっていた。さまざまな要因によって生活の立て直しが遅れいている状況なのだそうだ。
地震に次いで今回の豪雨…。細い川をいくつか越えたが、いずれもひどく濁った流れだった。目的地の七尾市街地では目立った水害のニュースは聞かれなかったが、相当な量の降水だったとわかる。道半ばに追い打ちをかける災害。能登の方々の心痛は計り知れないものだと感じた。
七尾に到着→飯
七尾は三方を山に囲まれた港町だ。到着した時には雲が空を覆ってはいたが、雨はすでにあがり、風も落ち着いていた。バスを降りて乗り越し清算を済ませ、駅前のミナ.クルという建物のコインロッカーに荷物を預けた(200円!安すぎる!みんなここに預けよう!)。
昼時はかなりすぎていたが、とにかくお腹が空いたので勇者が激推ししていたうどん屋・雅亭さんへ。15時のランチタイムラストオーダーぎりぎりに駆け込んだためほとんど貸切状態だった。
きつねうどんと若鶏唐揚げを注文。大ボリュームだったが空腹と疲労、なにより最高の味だったのであっという間に完食してしまった。
花嫁のれん館
うどんを食べた後は能登食祭市場を目指しとリボン通りを海へ向かったが、食が主役の場所に満腹で行っても仕方ないので、方向を変え待ちの北側を目指した。街の真ん中を流れる御祓川沿いにはきれいな石畳が敷かれており、橋詰の柳が京都鴨川を思わせる風情がある。
歴史ある一本杉通りを奥へと進むと、花嫁のれん館という資料館と展示室を兼ねた施設がある。受付を済ませると、ありがたいことに係員さんに館内を案内していただけることになった。
花嫁のれんというのは能登・加賀周辺独自の風習で、結婚をする日、新婦が嫁ぎ先の家の仏壇を訪う際にこの花嫁のれんをくぐり仏間へ入る。
展示されている花嫁のれんは、なんとどれも実際に個人のおうちで使われていたもので、所有していた方の思い出や家の歴史が詰まったとても美しいものだった。
今では結婚式の形が多様化しており花嫁のれんを飾ることは稀になっているそうだが、この華やかな風習がぜひ受け継がれていってほしいと思った。ちなみにお値段は手の届きやすいもので15万円、名のある作家さんの作品では50万円もするそうだ。ひい~たっか~!
印象に残ったのは婿入りの新郎が相手方の家に持っていく「花婿のれん」。「逆もあるのか!おもしろ!」と好奇心が満たされた。
能登食祭市場
やや満腹感も引いてきたので今度こそ食祭市場を目指す。御祓川を河口まで下った先に大きな建物が現れる。正面には「負けないぞ!!七尾!!」の垂れ幕。タイミングよく33周年記念の期間中でイベントをしていたそうだけど、たどりついたのが16時過ぎでもう片づけがはじまっている頃だった。
「食祭」の名前の通り、店内には海鮮はじめ能登名産の食べ物がたくさん並んでいる。見ているだけでも楽しい。こんなにおいしいものが揃っている商業施設が街中にあるなんて、七尾の人はうらやましすぎるぞ。
閉店時間が近づき、寿司が半額セールをしていたが(それだけでも驚くべきこと‼︎)、夜においしい海鮮をいただく予定なので通り過ぎることにした。しかし、何も食べずに出るのはもったいない…と思いまたその店の前へ。寿司はお腹がふくれるので、横に並んでいる香箱カニをいただくことにした。ポン酢をかけたカニのなんとおいしいこと…。カニ味噌が最高ですよ…。
七尾 街ぶら
七尾の海を間近で見たかったので、食祭市場の隣の公園を散策しようとしたが、震災の影響なのか、海沿いに通じる箇所はどこも「危険立ち入り禁止」のロープが貼ってあった。残念だが、ロープ越しに海を眺めた。対岸に能登島を望む、とても穏やかでうつくしい海だ。
周りを見回すと、ロープを越えた海沿いの道で散歩をしている方を何人か見かけた。「えー、危ないから立ち入り禁止にしてるのに、いいんかなあ…」とその時は思った。しかし、よく考えてみるとこの方たちはただ日常を営んでいるに違いなかった。おそらく、地震の前までこのルートを散歩することが七尾の方たちの楽しみであり、日課だったのではないだろうか。それを「危ない」といって諌めるのも何か違うような気がした。
そんなことをぐるぐる考えながら夕映えの七尾の街を歩いた。
海沿いから家並みを南の方に進んでいくと、大地主神社という、金沢の歴史博物館で見た青柏祭を主催する神社がある。でか山の映像にすっかり魅了されてしまい、ぜひお参りをしたくなった。
民家の中に、突如不思議な形の立派な鳥居が現れる。「山王鳥居」というタイプの鳥居だそうだ。社殿は神社というよりお寺を思わせるもので、さらにその奥は御神体を安置する大きい神社によく見られる構造になっていた。
七尾に無事こられたことを感謝して、少しでも早く日常が戻ることを祈念させていただいた。その後、予約していたビジネスホテルにチェックインをして、夕食の時間まで仮眠を取った。
朝漁れ一番 哲 さん
勇者に激推しされて、今回の七尾滞在で一番楽しみにしていたところだ。入り口にかかっている店主さんの笑顔満点すてきなのれんは、イラストレーター・Vtuberの加能むすびさんが描かれたものとのこと。
三連休の中日ということで、予約の時点で店主さんから「あらかじめお造りの盛り合わせは予約しておいた方がいいですよ」とお聴きし、前もって注文させていただいていた。実際に、到着時点ですでにお造りは品切れとのことだった。大人気!
どの魚もおいしい!普段内陸で食べるものとは味も食感が違う!お任せで注文した飲み比べの能登のお酒も、もれなく美酒。おちょこ3杯×2セット+一合いただいてしまった。もう製造されないであろうという貴重なお酒もお出しいただいた(それが一番甘くてフルーティでおいしかった😭)。
お造りももちろんおいしかったが、ぼくが一番感動したのは「いしる(能登の魚醤)」だった。いしるを使った「もみイカ(イカの内臓ごと干物にしたもの)」とおにぎり、どちらも日本酒にとてつもなく合う味だった。
店主さんと、料理のこと、能登のことなど色々とお話しもさせていただいた。海なし県出身なもので魚の知識がなく、素人質問にも丁寧に答えてくださり、本当にありがとうございました。
お腹も気持ちも満たされてビジネスホテルに戻った後は、Eテレでキリシマ祝祭管弦楽団の「春の祭典」を聴いて、床についた。
長くなったので、続きは後編で…→