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0108_学校の現場は若者を育てるのにふさわしいか?

若手の教員が学んでいくのにふさわしい職場だろうか?


その2

ここからは特定の地域に関することかもしれないので一般的ではないと思っている内容である。

ある若い教員は、採用になり一生懸命に業務に取り組んでいた

職場には年配の先生方が多かった。また管理職は行政職にもついていた方だからなのか、さまざまな面で厳しい態度をとる方だった。大きな声を出して叱ってしまうような、そんな方だそうだ。
若いかどうかはさておき、教員だって失敗をする。誰にだってある。その時、周りがどうサポートするかで、その失敗から教員は多くのことを学び、そして力量を高めていくことになる。やってはいけない失敗があることは十分承知である。一方で、失敗を経験していくことも大切である。
また、周りは、誰かに失敗があった時にどうするかが、問われている。

その教員(A教員)に失敗があった時、周りがどうしたかははっきりとはわからないが、結果としてどうなったかといえば、A教員は自らを責め、相談が怖くなった。
また叱られると思った。
また、自分が悪いからだ、全部自分のせいだ、どうして自分はこんなにできないのだろう、と思うようになっていった。そうなれば、逃げる、休むしかない。学校に行くことが難しくなって休むことが多くなり、周りが対応に追われ、その教員の立場を考えるよりも周りからどう見られるかを気にしたり、学校全体としての業務をどうやって進めていくかを優先したりしていくことになった。このような状況に陥ることは避けるべきだが、一方で失敗から学ぶことも重要だ。どのように失敗に向き合い、克服していくかは、その教員の成長に繋がると考えるからだ。

教員は自信をなくして休みをとった。

私が知っているのはある一部分だから

そこから全体を知っているかのようには言えない。
私がその教員に電話をした際、A教員は過酷な状況にも関わらず、子どもたちを思いやり、自分を責めながらも何とかしようと奮闘していたことが伝わってきた。
そこで私自身も、どのようにサポートできるか真剣に考えた。
きっと、今も考え続けている。

考えていても仕方なく、相談することにした。
わたしがそのことを相談した相手は、
心を病む教員がいることに対して、とてもマイナスの印象を抱いている方で、聞いていると、そういうことになるのは心が弱いから、心が弱い人が心を病むみたいなことを言っていた。こちらの言いたいこともうまく伝えることができなかったと思う。
わたしは、それに対して、ちがうなあ、それ。とは思ったが何がちがうのかはっきりとわからなかった。また、どう言いたかったのかもまとまってはいなかっただろう。

今の私は、心が弱い人が心を病む、という考え自体が全くもって間違いだということ!また、そうさせているのは、自分を含めた環境にあること、を自覚している。

環境によっては、その教員は自分を必要以上に責めることもなかったかもしれないし、休むこともなかったかもしれないし、子どもたちに対しても笑顔でいることができたかもしれない、ということだ。
その環境によって、持っている力を発揮できる教員もいれば、その環境だからこそ、発揮できなくなってしまう教員もいるということ。
そして、その環境は、言語環境でもあるし、安心、居心地という環境もあるし、出会う人であるということである。

出会いなんて奇跡って思う人もいるかもしれないが、
奇跡だけでなくて、人為的に良い環境を作っていくことが必要なんだと思う。それこそが、わたしにできること。
なかなか難しいことではある。その環境の中にいればまだしも外側から変えるなんてことは無理だと思う。
だから、教員に寄り添いたいと、話を聞いてあげたいと、よく頑張ったねと声をかけてあげたい。

休みを取ることになった教員は、たまにメールをくれる。わたしもメールを送る。自分なりに一生懸命やっている姿がそこからはわかる。そういう人を応援したいし、笑顔にしたい。そのためには、まず自分が笑顔でいないといけないだろう。まずは自分が楽しく仕事をして、周りを明るくしていかなければならないだろう。

そう思っていた私も、昨年はストレスフルになり、突発性難聴になった。誰にでも起こりうることなのだ。ストレスはあった方がいい場合もある。ありすぎるのが問題なのだ。

私たちは環境を良くし、互いに支え合いながら、心地よい職場を作り上げていく必要がある。


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