かず

教員。 自粛や在宅勤務の間に自己をメタ認知。 何のために,何をどのように,子供に教えて…

かず

教員。 自粛や在宅勤務の間に自己をメタ認知。 何のために,何をどのように,子供に教えてきたのか,教えていこうとしているのか。 アウトプットを通してしか分からない部分をnoteに求める。

マガジン

  • スタバの女

最近の記事

0108_学校の現場は若者を育てるのにふさわしいか?

若手の教員が学んでいくのにふさわしい職場だろうか? その2 ここからは特定の地域に関することかもしれないので一般的ではないと思っている内容である。 ある若い教員は、採用になり一生懸命に業務に取り組んでいた 職場には年配の先生方が多かった。また管理職は行政職にもついていた方だからなのか、さまざまな面で厳しい態度をとる方だった。大きな声を出して叱ってしまうような、そんな方だそうだ。 若いかどうかはさておき、教員だって失敗をする。誰にだってある。その時、周りがどうサポートす

    • 0107_学校で教員が成長していくためには

      ある先生との出会いから考えたことその1 ハッキリ言って、今の教員はとても優秀だと思う。 なぜかと言うと大学の教員養成課程では、 わたしの頃と違ってきちんと体系化された学びを受けてきている。また、教育実習においてもたしかな技術を学んできている。これは、わたしが教育実習に携わってきた経験から言えること。 大学の先生方も丁寧に学生一人一人を見て寄り添っている印象もある。 そして、なにより学生たちはとても真面目である。子供たちをよく観察し、担当の教員へよく質問し、学生同士よく話し

      • +2

        燻製の味わい深さをかみしめる

        • 0106_研修と研修の橋渡し

          切実なことだと思いませんか? 職場に気軽に相談できる人がいないって、働きがいとか働きやすさと関わってくると思う、自分のモチベーションとの関わりも結構大きいと思う。 だから、アンケートに書かれていた言葉を、見逃すことができなかった。それで色々調べてみたら、他の県はそうでもないっていう事実を知った。つまり毎年毎年、若者が採用されていて、同じ職場には年齢の近い先輩が少なからずいるのだ。北の果てではそうはいかない、深刻な事態なのだ。これから大量に退職する人が出たり、高齢化が一気に進

        0108_学校の現場は若者を育てるのにふさわしいか?

        マガジン

        • スタバの女
          5本

        記事

          0105_前回の実践について

          現状と課題 初任者の配置が少なかったため、研修自体を進めることに目的が置かれていて、内容や質にまで目が向けられていなかったこと。仮定ですが。 経緯 初任者の悩みのなかに、同僚との年齢差が挙げられていたこと。さらには、相談すると指導に近い答えがかえってくること。気軽に言い合える歳の近い先輩がいないこと。が、挙げられていた。 提案 初任者の悩みを吸い上げ、それを指導教員に渡す、それを元に指導教員に協議してもらう。 大学の先生やNITSの先生からこのような取組を行っていることを

          0105_前回の実践について

          0104_2月の研修の成果発表では

          まずは今月の実践を発表する! そして、前回の実践をまとめる。 初任者と指導教員の研修の橋渡しをしたつもりではあったが、それがどうなったのかを今月の実践で確認することができると思う。 橋渡しの役目をきちんと果たせたのかが、わかるはずだ。 そして、それらの研修の成果を、同僚や上司にも聞いてもらうんだ。そのこと自体とても新鮮だと思っている。===面白くなるはずだ。 明日はもう少し詳しく内容を伝えよう。

          0104_2月の研修の成果発表では

          0103_今年すぐにやってみたいこと

          初任者の研修と指導教員の協議会の連携を今年のテーマにしたいと思います。初任者の悩みを集め、それを指導教員に提案し、各学校での問題解決策を考えるための場を設けることが目標です。双方向性を重視した研修プログラムを企画し、初任者たちが抱える課題や悩みに対して、関係する教員たちと協力して解決策を見つけます。初任者と指導教員の連携強化を通じて、教育現場の質を向上させることを目指しています。 0104_明日の投稿: 2月の研修の成果発表では

          0103_今年すぐにやってみたいこと

          0102_これまでの経験から気付いたこと

          幸いにして、今の立場から、教育というものを広い視点から考えることができてきたように感じている。今、思うことは、過去にしがみついていることは未来を作ることはないということである。 過去の栄光やスキルを活用する場面は確かにある。きっとある。でも、今じゃないかもしれない。 それはまだ知らなかったICT端末の活用法を学んだときや、まだ参加したことのないオンライン研修に思い切って参加してみたときや、自分とは歳が離れた先生の授業を見たときや、これからの教育ってどうなるんだろう、という

          0102_これまでの経験から気付いたこと

          0101_自己紹介

          1. 小学校教員になるまで 講師経験4年 教員採用試験4回目にして合格 講師の間に経験したことは、教務部のお手伝い、学年付きの教員として教科担当、学担が休んだ時の補充、小さい学校でたった7名の担任、大きい学校で学年の専科、1〜6学年まで全学年へ教科を教える、運動会、卒業式で放送担当としてスタジオでひっそり参加、音楽発表会でピアノ伴奏、などなど。 2.採用になってから まずは大きな学校で3年働く、学年主任がいきなり病休、独りで運動会の学年指導、校外学習へ引率、いろいろな

          0101_自己紹介

          教員の魅力を発信!誰に発信する?

          自分自身を振り返ってみれば、「魅力は?」と聞かれたときに語ることはいっぱいある。先日、訪ねてきてくれた教え子の成長や、学校になかなか来ることができない子との関係性、いろんな問題を子どもと一緒に考えたこと、分かってきたよ、できたあ!!と喜ぶ姿、どれをとっても私にとっての魅力である。だから、続けてきたのだと思う。 なのに、発信するとなると、どうしても作られたような、上塗りしているしているだけのような、本当にこれでいいのだろうか、という思いがどうしても出てきてしまう。私の違和感。

          教員の魅力を発信!誰に発信する?

          マウント取りたくなったら

          マウント取りたくなったら、いったん二年後のこととか考えればいいのに。そしたら、二年経ってオレ管理職!こんな小さなことで自分の評判落としたくないな、なんて思えたら、そのトゲトゲした言葉を引っ込めることができたんじゃないだろうか? 言ってしまえば引っ込めることできないのが言葉だから、言う前に一秒でいいから、自分にとって得かな?って考えろよ〜って。 あなたに言いたかった° ✧ (*´ `*) ✧ ° あなたの言葉で嫌な思いをしている人がいますよ😫

          マウント取りたくなったら

          スタバの店員さんの声が素敵すぎた!私好みのしっとり響く声で、ちょっとびっくりしてしまいました。

          スタバの店員さんの声が素敵すぎた!私好みのしっとり響く声で、ちょっとびっくりしてしまいました。

          昨日、教え子が声を掛けてくれた (˶> <˶)♡ そういえば、あの時のわたしはよく叱っていた、叱るしか術がなくて、何とかしたくて、それで国語を学んだんだ。その時に隣にいた先生が今も語り合える仲間になった。なんとかしたい!と思っていたけれど、子どもはちゃんとなんとかなるんだよね。

          昨日、教え子が声を掛けてくれた (˶> <˶)♡ そういえば、あの時のわたしはよく叱っていた、叱るしか術がなくて、何とかしたくて、それで国語を学んだんだ。その時に隣にいた先生が今も語り合える仲間になった。なんとかしたい!と思っていたけれど、子どもはちゃんとなんとかなるんだよね。

          片付けながら仕事の見通しを立てる

          片付けながら仕事の見通しを立てる

          どうして時数が多いのだろうか?(私見)

          標準時数を大幅に上回ってというところが、どうしても引っかかる。いろいろなことを想定して、結果的に上回っているのだろうと考える。しかし、大幅に上回るということは、そもそもやらなくていいことをやっているか、やるべきことを精選できていないかもしれない、ということではないだろうか。 わたしが見てきた学校や先生方は、どこもどなたも一生懸命である。だからこそ、丁寧に指導しすぎるということは起こりうると思う。結果、あれも、これも、やらなくてはいけない、と思い込んでしまうのではないだろうか。

          どうして時数が多いのだろうか?(私見)

          ピカソについて勉強中です、ただ、どの教科書見ても、ゲルニカ、明日への願いみたいなタイトルがついているんですよね。これをある意味子供の主体性に任せて鑑賞させるって、けっこう無謀だと思うんですよね。やっぱり、だれかに会う時には、その人のことをもう少し知ってから、って思いますもの。

          ピカソについて勉強中です、ただ、どの教科書見ても、ゲルニカ、明日への願いみたいなタイトルがついているんですよね。これをある意味子供の主体性に任せて鑑賞させるって、けっこう無謀だと思うんですよね。やっぱり、だれかに会う時には、その人のことをもう少し知ってから、って思いますもの。