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みんなの考えをぶつけ合ったら話し合いにならないって思いませんか?

誰も来ないハンバーガーショップでゆっくり考え事をするのがとても好きで、休日の朝によく来る。今日はお昼近くになってしまった。パソコンを開いて「そういえば」とあの時の話し合いを思い出して考えてみる。あるテーマについて話し合ってはいるのだが、場の雰囲気が固いので、進行する立場としてもドキドキしてしまったことを思い出した。やはり、話す前に場の雰囲気がどうであったかで、その話し合いがうまく進むかどうかは決まってしまうのではないだろうか。

また、こと、教育や授業や学習についての話になると、こうすれば良いという方法については、たくさん出てくる。それだけいろいろな考えをもってみんなが何かしらの経験をしてきたことだからだろう。だとしたら、そういうことも踏まえて、視点というものをもう少し明確にできたらよかったのかたもしれないなとまた反省をした。あくまでも前向きな振り返りである。

そして、子供の発言よりも教師の発問や働きかけに焦点が当たってしまう。私のイメージだと、「〇〇くんが〜〜という言葉を使って話していたのは、その前の計算棒の操作でこういう動かし方をしていたからではないかと思う、だから、そのときもしも先生がこのような投げかけをしたとしたら、隣の子もポイントに気づくことにつながったのではないかと考えました」みたいな、建設的な意見のやりとりである。

実際は、自分の考えのぶつけ合いになってしまっていたかもしれない。それはもちろん経験からくる子供の見取りからくるものであるから、間違ってもいなければ悪いことでもない。ただ、言い方が良くなかったので、言われた相手は素直に受け止めることが難しかったのではないのかな、と思う。それだけ、何をいうかよりも、どういうか、伝え方が大切になってくるということだ。今一度、自分の話し方を見直したい。

みんながそれぞれの実践に基づいて、成功体験からこれがいいと思っていたとして、それを相手に伝えても、今回の実践の対象である子供達にフィットしていなければ、有効な手立てとはならない可能性が大きい。そこを認識しているかどうかなのだ。認識していなくて、自分勝手に話してはいなかっただろうかと振り返る謙虚さが欲しい。

だから、話し合って、最後に自分に返ってくる時に、自分の学びにならないのである。相手への批判ばかりして心がささくれだってしまっただけなのだ。まずは、自分の心をまっさらにして相手への敬意を大切にして、自分を振り返ってみよう。そこから学べることがたくさんある。これ、分かってくれる人いるかなあ。結局は、甘い!って言われるだけなのかもしれない。組織の中で、どうやって自分の考えを伝えるかは永遠のテーマになる。だから、話し合いは面白いと思う。だから、研修は楽しいのだ。

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