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コロナと在宅と看病の日々。

こんにちは。明日はミイの49日です。

ここまで更新してきたこちらの記録ですが、本日と明日の更新で最後となります。こちらの更新が終わったら、今後は気ままにボランティア活動のことや、今のうるとの生活を記録していきたいなと思っています。

最近の豪雨にとても心を痛めています。コロナでただでさえ大きな痛手を負っているなか、さらに豪雨で被害を受けた方たちを思うと、とても悲しい気持ちになります。そして、同時にどうか動物たちも無事でいてくれてほしいと思います。悲しい思いをしている子がいないでほしい。

「人命優先」

よく言われることではありますが、やはり私は命に優劣はないと思っています。だから、どうか等しくつらい思いをしないでほしい、そう心より願っています。

さて、前回はミイが入院し、我が家に帰宅したところまでを書きました。今日は、その帰宅してからのお話です。

食欲、行ったり来たり、そして行ったきり。

ミイが入院から帰宅したのは2月22日のこと。今思い返せば「にゃんにゃんにゃんの日」でしたね。この時はそんなことは頭に浮かぶ余裕はなかったです(笑)。ねこの神様がミイを帰宅させてくれたのかな。

帰宅してからのミイは、薬の量も以前より増え、食欲も良好というわけにはいきませんでした。ボランティアの先輩方から、いろいろなおすすめフードを教えてもらい、取り寄せ、試す日々。朝も晩もお薬たくさん。それでもたまに、スイッチが入ったかのように自力で食べてくれる日もあったりして、そんなときはとっても嬉しくて、食べている間ひたすらに横で応援し、食べ終えたあとはいい子いい子を繰り返しました。

ところが、やっぱりだんだんと食べられる日は少なくなり、ご飯が手つかずになる日も出てきました。そんな時、どうしても仕事で3泊4日の出張に行かねばならなくなり、夫がお薬をあげることができないのと、食欲が落ちてきているのが心配だったこともあり、その期間、再度団体のクリニックにミイを預かってもらうことになりました。そして、預かってもらう間に、検査や造血ホルモン剤の投与もしてもらうことに。

出張を終え、ミイを迎えに行くと、先生からは体重が落ちていること(この時2.02キロ)、それでも不思議なくらい元気ではあること、2週間後に再診に来てほしいことを告げられました。それが3月27日の出来事です。

そこから2日後の29日、団体代表との連絡係のボランティアさんから、突然代表の伝言が届きます。

「預かる際と、お迎えの際に直接会えなくて伝えられなかったのだけど、ミイちゃん、強制給餌なら食べるのに体重2キロ切ろうとしているから、うちで預かります。受け入れはいつでも。」

お迎えの際に、先生からは代表が体重を気にしていたこと、私の仕事の忙しさを気にしていたこと(代表はわたしの勤務する会社を知っていました)を伝えられていたので、なんとなくそんな連絡が来るのではないかとは思っていました。とはいえ、この連絡にかなりのショックを受けたことは確かでした。

人間都合は関係ない。

連絡をもらった時の率直な感想は

「確かに仕事はとんでもなく忙しい。毎日朝から22時まで仕事でヘロヘロ。でもそんな中でもできることは最大限やっているのに…。」

でした。そして、代表のお家に行っても24時間代表が見れるわけではないし、ミイは慣れない環境で、ほとんどこれまで一緒に過ごしていない人と、ずっとケージの中で過ごすことになってしまうではないか。そんなのはむしろ、ミイの精神的にはよくないじゃないか。そんなことを思いました。

でも、しばらくして、冷静になって、思いなおしました。

「私なり」というのは、人間側の都合でしかないのではないか。結局、他の人が強制給餌をできたのに、私のもとにいることでミイの体重が落ちているなら「私なり」というのは自分の正当化でしかないのではないか。であれば、やはり私のやることは十分ではなかったのではないか。

そう考えなおしました。

そして、代表へは、これまでも一切食べない日は強制給餌はしていたが十分ではなかったことに関する謝罪と、仕事の都合ですぐ連れていくことはできないので、まずは強制給餌の量と回数を増やすようにすること、そのうえで2週間後の再診の際に体重が変わらなければ、ミイを代表にお預けすることを伝えました。

ミイの最後の数日の他に、この闘病生活で打ちのめされた瞬間は、このやり取りをしている時だったかもしれません。

緊急事態宣言!!ミイの体重はいかに…。

そんなこんなしている間に、コロナで緊急事態宣言が出て、4月の頭から私は完全なリモートワークに切り替わり、7月に向けて動いていた大きな仕事もすべて飛び、在宅でゆるゆると仕事をする、それまででは考えられない日々が始まりました。

コロナそのものでの仕事へのダメージは計り知れなかったのですが、この時の私は、不謹慎ながらこのリモートワークの日々をとても喜んでいました。

24時間ミイといれる!!!

運命としか思えませんでした。そこからは1日5~6回に分けてお湯でゆるくといたウエットフードや粒子の細かいウエットフードを強制給餌する日々。

その頃のミイは「食欲はあるけれど、自分では食べたくない」そんな感じで、ご飯の準備をしていると鳴きながら足元に絡みついてくるのに、お皿に入れてフードを出すと食べようとせず、抱き上げてシリンジを口に近づけるとすごくなめて、食べるというそんな赤ちゃん返りのような状況でした。

毎日私がいることもうれしかったようで、それまでの床への粗相はぴたりとなくなり、きちんとトイレでしてくれるようにもなりました。

ほんとうにミイは甘えん坊で寂しがりなんだと再認識した瞬間でした。このタイミングでリモートワークになって、24時間一緒にいれて、不謹慎と思いながらもこの状況に、心から感謝しました。

そして、そんなめぐりあわせもあって4月11日の診察ではミイの体重が2.2キロまで、増加していたのです。この時、どれほどホッとしたか…。そして、診察の後、そのままミイはわたしとともに帰宅ができたのです。

週1回の通院。忍び寄る影。

そこからは、ホルモン剤投与のため、週1回の通院が始まりました。移動嫌いなミイ自身にとっても、わたしのお財布にとっても(毎回往復タクシーだったので…)なかなかに大変な日々でした。とはいえ、毎週先生にお会いし、ミイの様子をご確認いただくことは、私にとってはとても大きな安心材料でした。

ところが、GWくらいから、強制給餌でも食べられる量がだんだんと減っていきました。何とか小分けにして、こまめにあげることで体重はキープしていましたが、食べた後明らかに気持ち悪そうでした。BUNは140をずっと推移。そりゃ気持ち悪いよね。薬を飲んでも、皮下補液をしても、ホルモン剤を投与しても、数値が下がらないことに焦りを感じていました。

そして、皮下補液もじょじょにきちんと体に吸収できない状況になっていきます。それまでは、補液をした後にしばらくは皮膚がタプタプしていても、時間が経てばそのタプタプは吸収され、消えていました。ところが1日経ってもタプタプが消えず、どんどんとミイのからだがむくんでいきます。

そして、5月13日、代表同席のもと週1回の診察。やはり、むくみがひどく、私が在宅のうちに皮下補液から切り替えて、静脈点滴を自宅でもしようということに。(この頃、コロナの感染者数も少し落ち着きはじめ、6月くらいから出勤が始まるかもとの話が出始めていました。)ところが、何度先生が血管を取ろうとしても、ひどい貧血のミイの血管はなかなか浮いてきません。そして、ミイの血管はとても細く、点滴の留置針を刺すのは困難でした…。

結果、静脈点滴を入れることはこの時、かないませんでした。この時、もし入れられていたら、もしくはもう少し早い段階で判断していて、お家で静脈点滴をすることができていたら、もしかしたらミイはもう少し長く一緒にいれたかもしれません。長くはいれなくても、最後あんなに苦しい発作を起こすことなく、穏やかに過ごせたかもしれません。そんなことを思うことがあります。

そして、代表から、呼吸も少し苦しそうだから酸素室あったほうがいいかもと言われたので、帰宅してすぐにレンタルの酸素室を手配しました。これがミイの最後の日々、大活躍することになるとは…。

本日の投稿(とはいえ、書いていたら11日になってしまった…)はここまで。

最後の日々の看病中、何度も後悔に襲われたり、これで本当にミイにとってよかったのか、もっとミイにとって幸せなことがあるのではないか。数値が改善するわけでもないのに、こんなに毎日薬を飲ませて、毎週嫌いな移動をさせながら通院をさせ、本当にそれがいいのか。もっと留守番がなくて、共働きではなく、誰かがずっと家にいるようなそんな家に預かられた方がよかったのではないか。うちにいさせるのが幸せだと思っていたけど、本当は代表に託すべきだったのではないか。いろいろなことが頭をよぎりました。

私は医者でもなければ、ねこと暮らしたのも初めてです。圧倒的に知識も足りなければ、経験も足りませんでした。ミイの気持ちや様子の変化はだれよりも早く気づけているつもりでしたが、本当にそうだったのか。もっと何か気づけるタイミングはあったのではないか。考え出すと今も止まらないのです。

でも、それでも4月~5月は思いがけずずっと一緒に入れて、24時間ミイの様子を見れて、ミイを優先に動き回れたこと(理解のある職場のチームメンバーには本当に感謝しています)、本当にそんな奇跡としか言えない時間を過ごせたこと、不謹慎かもしれませんが、私はとっても幸せでした。

ミイが亡くなったのは5月24日。いよいよ最後の日々です。たぶん号泣しながら書くでしょう。では、また。

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