『帝国図書館』×少しだけ『夢見る帝国図書館』
5紙(読売、朝日、毎日、産経、日経)のすべての書評欄に紹介された書籍は必ず読むことにしているのですが、その条件に適う本は2019年~2023年の5年間でわずかに21タイトルに過ぎません。その中には、2023年の『帝国図書館』(以下『本書』と略)のほか、2019年の中島京子さんの小説『夢見る帝国図書館』(以下『夢見る』と略)も含まれています。
『本書』の「まえがき」にも
と言及があります。
偶然とはいえ、「帝国図書館」というかなりレアな単語を含む本が二冊も全国紙を"制覇"した理由は、この図書館ができるまでの激動の歴史が、日本の近代化の歴史とぴったり重なるからだと思います。併せて読むと堪能できます。
本書はその帝国図書館の通史です。
明治初期/
福沢諭吉の「ビブリオテーキ」
明治政府が最初に作った図書館は文部省博物局書籍館(当時は「図書館」という呼び方はありませんでした)です。1872(明治5)年6月のことです。場所は湯島聖堂の講堂でした。ところが、一年も経たない1873(明治6)年3月に、書籍館は太政官博覧会事務局に合併されることになりました。所管する省庁が変わってしまったのです。
太政官博覧会事務局は、この年に開かれるウィーン万国博覧会への参加を準備する部署でした。この辺りの事情を本書は
と解説しています。
文部省は巻き返しに出ました。太政大臣の三条実美や左大臣の岩倉具視らに、「書籍館は教育のための施設」であると訴え、最後は文部卿に就任した木戸孝允の理解もあって、2年後の1975年2月に、文部省に「東京書籍館」が設けられることとなりました。書籍館が戻ってきたわけです。
そもそも図書館の必要性は、市川清流さんという文部省のお役人が、『新聞雑誌』という雑誌に提言文を発表したのが発端といいます。市川さんは福澤諭吉らとともに、文久元年の遣欧使節団に参加した人です。
『夢見る』では、福沢諭吉の『西洋事情』に紹介された欧州の図書館(ビブリオテーキ)をめぐる明治政府の議論が以下のように紹介されています
本書(『帝国図書館』)では、不平等条約の是正が図書館建設の動機になったという記述はないので、このくだりは小説ならではのフィクションだと思いますが、列強に伍するために必死になって欧米に倣おうとしていた明治政府の雰囲気が伝わります。
東京書籍館オープン/
永井荷風の父は怒った
さて、文部省が「取り返した」東京書籍館は1975年3月13日、事務を開始します。その翌日から出仕したのが、後に永井荷風の父親となる文部省の永井久一郎でした。永井は当時24歳で、1871年から73年まで米国に留学したエリートでした。
ところが今度は2年後の1874年7月に、東京書籍館は湯島から浅草に移転することになります。湯島の施設が「地方官会議」の会場に当てられることとなったのです。さらにこの3年後に、東京書籍館は閉鎖されました。明治政府の財政難が理由でした。そこに手を差し伸べたのが東京府で、府立の図書館「東京府書籍館」と名称変更して引き継ぎます。
つまり日本初の官立図書館は、生まれてすぐから、文部省→太政官→文部省→移転→東京府と、所管も場所も流転したのです。
『夢見る』では、久一郎が怒りを爆発させます。
永井の同僚が「金も儲からない」と言っているのは、書籍館が利用者から閲覧料を取っていたからです。
『本書』には、こういう記述があります。
『夢見る』では、永井の怒りの矛先は、「国威発揚」、「富国強兵」を優先する明治政府に向けられていますが、一方で当時は、「脱亜入欧」、「和魂洋才」の時代でもありました。英語が堪能な永井が採用されたこと自体、洋書を収集することが、書籍館の主要な役割の一つだったためでした。
ともあれ、この蔵書票の文字からは、日陰者扱いされ続けた図書館を支えてきた永井たちの嘆きもまた、聞こえてくるようです。
さまよう図書館/
東京府→文部省→「帝国」→「国立国会」
東京府書籍館は1880年7月に、再び文部省の管轄となり、名称を「東京図書館」と改めました。
「東洋一の図書館」をうたい文句にした帝国図書館が設立されるのは、その17年後の1897(明治30)年4月です。1906年3月には、湯島から新館の上野に引っ越します。
さて、そこから41年後の1947年12月4日、帝国図書館は「国立図書館」へと改称しました。敗戦によって日本が「帝国」でなくなったのです。
一方で、新憲法下での国会では、アメリカの議会図書館をモデルにした国会図書館の構想が持ち上がります。両院議長の求めに応じて連合国総司令部(GHQ)が米国から図書館の専門家を招きます。
12月14日に来日したその専門家たち(米国議会図書館副館長のヴァーナー・W・クラップ、米国図書館協会東洋部委員長チャールズ・H・ブラウン)が2週間後の29日に出した勧告の中身は、構想中の国会図書館と、改称したばかりの国立図書館との合併でした。国立図書館が二つ存在することは不都合なので1950年1月までに「併合」すべきだというのです。
年末年始で、かつ、翻訳に時間がかかったため、帝国図書館側がこの内容を知るのは年明けの1月8日でした。当然、帝国図書館は猛反発するのですが、占領軍の勧告は絶対的なもので、かつ、日本側からの要請で行った調査でもあり、その意見は到底押し返すことができなかったといいます。
こうして、図書施設の変遷だけを見ても、明治・大正・昭和の歴史の流れに連動して激しく転変していくのですが、本書はこのほかにも、政府の図書館の役割についての認識がどう変わってきたかや、社会情勢に応じた貸し出し図書の統制や発禁書籍の取り扱いなど、社会世相とともに大きく揺れてきた図書館運営の在り方にもかなりの紙幅を割いています。また、明治の文豪が帝国図書館をどう利用したのか、読書の大衆化がどんな役割を果たしたのか、女性の利用の増加など、文化・世相史としても読みどころはたくさんあります。
なお、上野の旧帝国図書館は、今も「国立国会図書館国際子ども図書館」として残っています。建物も一見の価値があると思いますし、喫茶店の食事がおいしいです。
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