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弟子達への伝言と決意表明

病に冒されこの様な状況でも一番の気がかりは、やはり松栄塾道場でした。
いずれにせよ、暫くは少年の稽古を何とかしなければいけませんでした。
 このまま、道場閉鎖も考えましたが、いまだに新入会のこどもたちは、元気に通って来てくれています。なんとか、家賃だけでも捻出して 道場だけは残したいと思いました。
 とりあえず、幼少の頃や小学校低学年から空手を続けてきてくれている大学生たちに集まってもらい、事情を話してできるだけ少年のクラスを見てもらうことにしました、丁度、受験が終わり進路が決まった、弟子たちが日程を調整してくれて、自分がいないときは、クラスを指導してくれました。今、思えばこの時の、学生たちがいなければ、道場は潰れていたかも知れません。

このまま、今の病を隠し通せるわけもなく、万が一の場合に備えて現状を一般部のメンバーに伝えなければいけないと思いました。
 一番集まれる曜日を選んで師範代始め指導員、選手、稽古生に集まってもらいました。
 松栄塾では緑帯までを稽古生、茶帯、黒帯を弟子と呼びます。
弟子が十名ほどいました。
その日は何か重大な発表があるような雰囲気で皆緊張した面持ちでした。
「自分の病気は癌です」一瞬、時が止まったような気がしました。
 永年、稽古を一緒に 積んで来た元世界チャンピオンの西島洋介君は終始下を向いていました。
居並ぶ黒帯たちも声を失い、終始俯いているだけでありました。
「残念ながら、還暦を過ぎて、更に鍛えようと思っていたのですが、癌に罹ってしまいました、しかし、こんな病気に負けて死ぬわけにはいかないので、空手道松栄塾の師範としてこの病気と闘って行こうと思います」こうなったら、病と闘いその姿を持って生き様を見せていこう、もし、寿命がここで尽きるのなら、それこそが、自分のできる最後の戦いだと考えていました。
 二十年間共に稽古に励んできたU師範代は「師範は、そこらの還暦親父ではないし、枠にはまる人ではないので、簡単に死んだりはしないと思っています」と言ってくれました。
そうは言われても、癌のなかでも生存率の低い「肝細胞癌」であるし、癌の生存率が上がったと言っても、脾臓癌に続いて下から二番目で、5年生存率は僅か十九%、十年生存率は一桁の数%である。
手術もできず、放射線療法も厳しいとなると、残りは抗がん剤の化学治療ぐらいしかない状況です。
 科学治療は治すためではなく進行を遅らせたり、癌が転移するのを、防ぐ為のものであるという、現代の先進医療を持ってしても、 完治はむずかしいと様々な文献に載っていました。
 余命が余りないと考えて、一番悲しいのは娘の栄麻(六年生)が小学校を卒業し中学に入学する姿を見られないこと、昨年、結婚した息子の子供(孫)を見てあげられないこと、今いる三人の孫たちの成長を見てあげられないこと、そして生涯の夢であった小説で人の心を感動させることが、できなかったこと、考えれば考えるほど、悔いの残る人生だったと後悔をしましたが、いろいろと考えた結論は「まだ、死にたくはない 」 で は な く「 まだ 、 死 ねない 」で ありました 。

 再び入院すると奥さんが着替えと一緒に空手のこども達が書いてくれた手紙を持って来てくれました、たどたどしい字で、それでも一生懸命書いてくれたのでしょう「しはん、はやく、げんきになってください」「また、からてをおしえてください」「しはんはゴジラよりつよいので、びょうきになんか、まけないで」
様々な子供達から自分の復活を信じた手紙であった。読んでいるうちに、涙で文字が見えなくなった。病院のベッドで 泣きながら、死んでたまるかと更に決意を固めました。

こんな、駄文を読んでくださり貴方は仏様ですか?