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尊厳の喪失は見える!ー介護施設サービスの品質3


1.見える「非‐人間化」

(1)人間は見た目に弱い

 ナチスのホロコーストではユダヤ人は抑留所からアウシュヴィッツに汽車で連行される際に、家畜用の貨物列車数両に男女がすし詰め状態で詰め込まれ、4日間に渡る旅で人々は糞尿にまみれ、汚れていったと言います。
 ナチスは意図的にユダヤ人を糞尿まみれにしたのだと思います。糞尿にまみれた者は人間扱いされなくなります。
 糞尿にまみれた者たちは、見た目から、もはや「非‐人間化」してしまっているので尊厳も人権もないがしろにされていくのです。
 
 私は介護施設等で人間の尊厳を守らなかったり、人権を抑圧したりするのは職員たちの人権意識が低いからだと結論付けるのは早計ではないかと思います。
 人権意識というのは、なにか人権を抑圧するような事件が起こってから遡及的に加害者は人権意識が希薄なのだと結論付けるようなところがあると思います。今、私自身の人権意識と言われも・・・? 自分でも、あるんだか、ないんだか、よくわからないというのが実感です。

 人間としての相応ふさわしい姿・身嗜みだしなみ(appearance)、人として相応しい環境になっていない場合に、職員は入居者らを「やつら」化、「非‐人間化」してしまうのだと思います。

 人は、見た目が見苦しい人たちの人権を蔑ろにしていく
のではないでしょうか。

(2)見た目から始まる「非-人間化」のエスカレーション

 身嗜み・環境の劣化から始まる「非‐人間化」のプロセスは次のようなものではないでしょうか?

 身嗜みが整っていない・環境が汚い ⇒ 汚いから馬鹿にする ⇒ ケアするに値しない ⇒ きちんとケアしないから ⇒ よりひどい身嗜み・劣悪な環境になる ⇒ やつらはクズ・ゴミだ ⇒ もっと酷い身嗜み・環境になってしまう ⇒ やつらは人間じゃねぇ!=「非-人間化」

「非-人間化」のエスカレーション・ループ(祐川)

 その人の見た目、住まう環境のひどさから始まる「非‐人間化」が多いように思います。そして、その見た目の悪さから始まる「非-人間化」、つまり、尊厳・人権の喪失はエスカレーションしていくループ(loop:環)を形成しているのだと思います。

 この観点から、排泄介助や身嗜み、環境を整えたりする介護は人間の尊厳を守る行為と言えるのかもしれません。
 その介護で、人間の尊厳を蔑ろにするabuse/虐待が起こるとすれば、それは、介護できていないから、きちんとした介護ができていないから、ということになると思います。

2.「尊厳」は見えなくとも「非‐尊厳」は見える

 介護の品質を考えるときに、大前提として、当事者(入居者)の尊厳を守っているのか、お年寄りをかけがえのない者として大切に遇しているかということだと思います。
 これは至極当然なことで誰でも知っていることです。

 しかし、人間の尊厳を大切にすると思っているだけではダメです。
 尊厳、尊厳、尊厳と職員教育で呪文のように唱えるだけでもダメです。

 その尊厳を守るために何をどのようにするのかということが大切です。

 尊厳を守るということは、具体的にはその人の体面をおとしめず、名誉や自尊心を傷つけないことです。

 近内悠太(教育者・哲学者)は大切にしているものは見えないが、大切なものが大切にされない場合にはそれが目に見えると指摘しています。

 大切にしているものは見えないが、大切なものが大切にされなかったことは目に見える。
なぜなら、大切なものが大切にされなかった時、ひとは傷つくからです。
大切にしているものそのものは確かに見えないが、傷は見える。

近内悠太 2024「利他・ケア・傷の倫理学」晶文社 p60

 上記の文章の大切なものを尊厳と言い換えても十分に意味は通じます。

 尊厳は見えないが、尊厳が大切にされていないかったことは見える。なぜなら、尊厳が大切にされなかった時、ひとは傷つくからです。
 尊厳そのものは見えないが、傷は見える。

言い換え文章(祐川)

 入居者を傷つけてはいけません。
 入居者の大切にしている、体面、名誉、自尊心を傷つけないためには第一に、入居者の身嗜み・身なりがきちんとしていなければ話になりません。
 それから、入居者の身の回りの環境が整っていること。
 そして、入居者が人間として接遇されていなければなりません。

 以下に身なり、環境、接し方についてそのポイントをみてみましょう。

(1)身嗜み(appearance)

 尊厳を守ると言いながら、入居者が目やにがこびり付いていて、鼻水が出ていて、髪の毛が茫々ぼうぼう、衣類が汚れていて臭かったら尊厳が守られるとは言えません。尊厳は目に見えるものなのですから。

appearance

(2)環境(environment)

 照明や空調・換気、湿度・温度、採光、衛生などの物理的環境はもちろん大切です。
 部屋が暗い、汚い、臭い、雑然としている、暑い、寒い等の物理的環境もさることながら、家具・調度品、飾り、私物が何もない。または、飾りが子供っぽい、家具・調度品がみすぼらしい等々、チェックすべき点は多いと思います。
 ようするに、宗教、思想、絵画、音楽、趣味、家具・調度品等々の文化的環境が乏しければ尊厳が守られているとは言えないでしょう。

(3)接し方(behavior)

 入居者に挨拶しない、入居者に声をかけられても無視か面倒くさがったり、当事者に対して暴言を吐いたり、指導・指示・命令ばかりして、入居者を子供扱いする。話を聞くとき威圧的に腕組みをする。こんな対応・態度ではとても尊厳が守られているとは言えないでしょう。

 人間の尊厳について職員に教育し、意識を高めようとするだけでは入居者の尊厳は守れません。

 尊厳を守るためには観察が大切です。
 特に、尊厳が失われている兆候は見えやすいものです。
 
 尊厳が守られているか否かを、入居者の身なり、入居者を取り巻く環境、職員の接し方、話しかけ方等々、職員全員が注意深く診て、問題があればその都度、話し合い、是正していく地道な努力が不可欠なのです。

(4)尊厳の喪失防止のための高度信頼性組織

 尊厳の喪失防止する、この地道な努力を継続実施していくための組織(高度信頼性組織)については拙文『虐待防止教育について-虐待論Ⅴ-3』の「2.高度心信頼性組織の教育方法」をご参照願います。

3.介護のできばえ

(1)サービス定義

 サ-ビスとは、利用可能な諸資源(人、物、システム)が有用な機能を果たすその働きですが、サ-ビスにはそれを生む源泉が必ず存在します。
 このサ-ビスを生む源泉を「サ-ビス主体」、このサ-ビス主体が働きかける客体を「サ-ビス対象」と言います。

 サ-ビスはサ-ビス主体からサ-ビス対象への有用な働きかけなので、サ-ビス対象はサ-ビスを受けることによって、それ以前の状態から当然、変化します。

 例えば、介護職(サ-ビス主体)が入居者(サ-ビス対象)の衣服交換を介助する(サ-ビス)すると、このサ-ビスにより入居者の衣服は以前の物と替えられ、整えられることになります。
 このように、サ-ビスは当事者(お年寄り)の衣服(もの)へ体化たいかします。つまり衣服(もの)が以前と状態と替わるということになるのです。
(参照:田中滋監修・野村清著1983『サービス産業の発想と戦略-モノからサービス経済へ-』電通)

(2)大切な「できばえ」

 介護サ-ビスをとおして、入居者の環境、状態に良い変化が生じるのです。
 確かに、介護の評価の基本は入居者の主観的満足度ですが、もし、第三者による客観的評価があるとすれば、サ-ビス客体(入居者)の変化、「できばえ」がその手掛かりになると思います。

 ただ単に食べさせればよい、ただ着替えればよい、ただオムツを取り替えればよい、ただ入浴させればよい、しかもなるべく速くというのが業務の標準となっている介護施設もあるように思われます(業務日課至上主義)。

 業務日課至上主義については、拙文『「迷いのない介護」が支える「業務日課」至上主義 介護施設の課題Ⅱ-4 』をご参照願います。

 ただやりさえすれば良いのであって、「できばえ」なんか関係ない。
 たとえ、食後に当事者の口元や服が汚れていようが、着替えたズボンの中心がズレていようが、オムツ交換後でも陰部に便が付いていようが、入浴後でも目やにが付いていようが関係ない。
 ただただ速ければ良いというスピード至上主義的な組織風土になっているとしたら、とても尊厳を守っているとは言えないように思います。

 理髪業も介護と同じような対人サ-ビスですが、ただ単に、髪を切るというだけではなく、最後にきちんと頭髪を整え、「できばえ」を良くするために、最後に「いかがでしょうか?」とお客さんに必ず確認してもらっています。 

 介護でも、排泄介助や、入浴介助、着衣交換などでも「できばえ」を良くする最後の詰め、仕上げが大切なのです。 
 
 そして、サービスの管理者は介護サ-ビスの「できばえ」をチェックすることが大切な務めだと思うのですが、残念ながら実際にこの「できばえ」チェックをする管理者が少ないように思われます。 
 また、「できばえ」が分からない管理者は、味のわからないレストランの支配人のようなものです。

 繰り返しになりますが、最終的な介護の評価は当事者(入居者)です。
 よって、清拭サービス、入浴サービス、整容サービスの後で、「いかがでしょうか?」とその「できばえ」を入居者に確認してもらう、そんなところから現場で取り組むのが良いと思います。

4.介護施設のサービス品質を決める者

(1)最も感じの悪い職員がその施設のサービスレベルを決める

 レストラン等でサービスを受ける時、最初に来たホールスタッフはとても感じが良かったけれど、後に来たホールスタッフは態度が非常に悪かったとします。
 あなたは、このレストランのサービスレベルを感じの良いスタッフを基に判断はしないでしょう。感じの悪いスタッフを評価の基準にするのではないでしょうか?
 最も感じの悪いホールスタッフがこのレストランのサービス品質のレベルを決めるのです。 

 これは、介護施設のサービスでも同じでしょう。最も技能がつたない、または、態度が悪い職員がその介護施設のレベルなのだと思います。
 よって、ある介護施設のサービス品質を向上しようとするとき、最も大切なのは、最もサービスレベルの低い、最も拙い未熟な職員、態度の悪い職員の教育、底上げです。

(2)接遇マニュアルの意義

 態度の悪い職員のために接遇マニュアルがあるのでしょう。
 接遇マニュアルは最低限の接遇レベルを示すものであって、臨機応変でなおかつ理想的な接遇を示すものではないと思います。

 そして、接遇マニュアルは極力、明瞭で覚えられる程度の簡単なものでなければ実際的ではないでしょうし、覚えられない、使えないのであれば意味がないです。

 対人能力の高い介護職員はマニュアルに縛られることなく、より良い対応、応答、接遇を一人一人の入居者、その都度の場面に合わせて、工夫していけるでしょう。

(3)高度人材育成の陥穽かんせい

 多くの介護施設は、より良い介護サービスを実現するため、職員に内外の研修を受講させ、より専門的、より高度な、レベルの高い人材にしようとしています。
 しかし、この専門的で高度な研修は数人の「レベルの高い」「品の良い」「出来る」職員を育てることはできるかもしれませんが、彼女ら、彼らの努力は、態度の良くない職員によって無効にされてしまいかねません。
 その介護施設のサービスレベルは、もっとも拙い、または態度の悪い職員のレベルとなるからです。

 まずは、足元の介護現場の abuse/虐待、ちょっとした人権侵害を検出し、直視することから始めた方がよい施設もあるかもしれません。

 現実を無視して、夢想にふけってはなりません。

 「良い介護」についてはさまざまな主張・意見があり、それぞれの見解は相対的なものだと思います。
 でも、「ダメな介護」については、ある程度、一致することが可能だと思っています。

 私は、介護施設のサービス向上のためには、「上を見るな!下を見ろ!」と言いたいです。

 


 以下のnoteも併せてご笑覧願います。


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