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猿の檻のある公園

 猿の檻のある公園、村上春樹さんの「風の歌を聴け」を読んだことがある方ならご存知かと思います。

 僕がショックから醒め、壊れたドアを蹴飛ばして外に出ると、フィアットのボンネット・カバーは10メートルばかり先のサルの檻の前にまで吹き飛び、車の鼻先はちょうど石柱の形にへこんで、突然眠りから叩き起こされた猿たちはひどく腹を立てていた。

「風の歌を聴け村上春樹

 読んだ時には疑問符しか出てきませんでした。自動車が事故を起こしてボンネット・カバーが吹き飛んだところに猿の檻があるという光景が想像できなかったのです。檻に猿がいるという光景は動物園であり、自動車が走る場所に猿の檻があることは現実ではない気がしました。不思議だなとは思いつつも、確かめる術もありませんでした。僕がこれを読んだのは中学生の頃です。インターネットもない時代でした。情報を簡単に得られる時代ではありませんでした。今でも年に一度は開く本ですが、ある時までは架空のものなのだろうと思っていました。

 10年ほど前のある週末に神戸に行くことがありました。僕の職場はその頃ある問題を抱えていました。入ってきたばかりの新人にベテラン達が生意気とか協調性がないと言っていじめが起きていました。非常に賢い子だったのです。その子はそんなことをされながらも上手く付き合う努力をしていることもわかっていましたし、落ち度がないことはわかっていました。上司として仲裁することも試みていましたが、ベテラン達が態度を改めることはありませんでした。僕は常に職場にいる立場でした。1日くらい僕がいなかったら何か変化があるかもしれないと考えて、月曜日まで延泊して通常の業務を休み神戸に残ることにしました。

 急遽、神戸に1日長く滞在することになった僕は時間の潰し方を考えていました。その時にふと猿の檻の公園のことを思ったのです。「そんなものが本当にあるのだろうか?」インターネットで調べてみました。そしてある記事からモデルとなった檻がある公園の存在を知りました。

 土曜日に神戸に向かい、日曜日の午後には入っていた予定が終わり、自由な時間が訪れました。僕はお店を利用することはないのですが花街を見に行くことが旅先での過ごし方なのです。その日の夜は福原の花街を見に行くことにしました。そして伝える相手もいないのに「明日、猿の檻に行こう」とつぶやきました。

 次の朝、宿泊していた三宮を出て芦屋に向かいました。よく晴れた気持ちの良い朝でした。月曜日ですから早い時間は通勤で混んでいるだろうと思い9時過ぎに駅に向かいました。阪神本線を使うことにしました。打出駅が最寄りのようでしたが、芦屋という名前のついた駅で降りてみたいと思い、阪神の芦屋で降りることにしました。

 一駅分どの道を歩いて行ったのかはよく憶えていません。駅の周辺を少し歩き、打出駅の方向に向かう道に出るとその道をまっすぐ歩いて行きました。落葉しはじめていましたが街路樹が美しい通りでした。「これが芦屋か」敬愛する作家のゆかりの地であっても、感慨深さを感じることもなく、ただ歩いていきました。打出駅に入っていく十字路を山手の方に歩いて行きました。更に少し進むと右手に神社が見えてきました。それは打出天神社でした。神社の道を挟んで左手には蔦で覆われた石造りの建物が見えました。それは図書館でした。神社の境内に入りお参りをしましたが月曜日の午前中ですから僕だけでしかいませんでした。幼稚園か保育園が近くにあるのでしょうか、子供の声は聞こえてきます。しかし、すれ違う人影もなく街から人の気配は感じませんでした。そして図書館の方に向かいました。扉も美しい細工が施された歴史のある風格のある建物でした。「公園はこの近くのはずなんだけどな」図書館は入ることはできなかったので周囲をうろうろしていると公園らしきものが目に入りました。「あそこかもしれない」その公園の方向に歩いて行きました。

 その公園に入っていくと見えてきたものがありました。主人を亡くした檻がそのまま残っていました。檻には説明書きがあり、間違いなくこの場所が猿の檻のある公園でした。辿り着けた喜びよりも、拍子抜けしてしまいました。閑静な住宅街の中にある普通の児童公園だったからです。

 それでも僕はすぐに去ろうとは思いませんでした。思いを巡らせるには十分な場所だったのです。辺りを見渡し「フィアット600を80kmのスピードで走らせるほど広い道に面していないな」「ここから海まで歩いたらかなりの距離だ」そんな下世話なことを考えてみたり、この閑静な住宅街の中で猿が生活していたことを想像してみたり、空想と現実の狭間に来てしまった感覚に囚われていました。なんの変哲もないただの空っぽな檻、でも僕はここが「あちら側」と「こちら側」の境目の一つなのだろうと思いました。

 僕はどれくらい滞在したのでしょうか?答えは煙草三本分程度の時間でした。そして携帯灰皿に吸い殻を入れてその場を離れました。そして再び神社に向かいました。

 戻ってみると神社の社務所が開いてていました。再びお参りを済まし、社務所で打出の小槌の形をしたお守りを買いました。自分と家族に、そして今日も普通に出勤しているであろう職場の新人に。そして僕は帰路についたのでした。

 僕の職場の控え室にはまだ打出の小槌のお守りが飾ってあります。それを見るたびに、人から見れば無駄としか思えない時間の使い方をしたあの日を思い出すのです。

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