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【読むライブ配信*第3回】{前編} 気付いてる⁈あなたが人間関係にいつも疲れている理由

こちらの記事は
2022年11月13日(日)に
ライブ配信された
内容の書きおこし<前編>です。


お楽しみくださいませ!


今回のライブ配信はこちら
ねぇ、気付いてる?
あなたが人間関係にいつも疲れている理由

第1回目
コレが解決したら悩みの9割は消える⁈

第2回目
人間関係に悩んでる?
だったら『ラスボス』の正体知りたくない?

第1回目・2回目と
対人関係についてお話してきました

本日の配信は
人間関係・対人関係は
すごく疲れるから嫌なんですよねって方が
いらっしゃるのではないかと思います

なぜあなたは人間関係に疲れているのか?
その理由について迫っていきたいと思います

ここで「教えて!西村先生!」
なぜ私たちは人間関係に疲れるのでしょう?

西)ズバリ言ってしまうと
  『役割で生きている』からですよね
       もうちょっと詳しく言うと
  『役割で生きている』ことに
      気が付いてないからですよね!
     どういうことなのかって言うと
  例えば「父親」として演じてみたりとか
  「母親」として演じてみたりとか
     もっと言ってしまえば
    「名前」そのものに
  縛られてる場合もありますね
  そういうところに気付いていないので
  その『役割』が足かせになって
  人間関係に疲れていく・・・


疲れました


か)本当にそうですよね
  私たちは無意識で『役割を生きる』ことを
  意識していますものね
  無意識で意識してるって変な言い方ですけど
木)捕らわれてるってことですよね
か)その『役割』に捕らわれてしまって
  日々を送ってしまっているのもあるし
  そうする方がいい時もある
  
  社会そのものを構成していくうえでの
  社会的な『役割』を人々が
  ある程度果たしているから

  世の中がうまく回っている
  それによって社会が成り立っているところが
  ありますよね?
  でも、必要以上に
  その『役割』に縛られすぎてしまうと
  人と接するときすごく疲れてしまうし
  「素の自分」からどんどん
  乖離していく感覚がするので
  それも疲れる原因だよね!
  そして気が付きにくい

 『役割』で社会が構成・成立しているので
  その『役割』を疑わなくなりますしね
  疲れを感じている原因なのかな?
 
  最近この『役割』をするの
  私疲れるんだなーと自覚したことって
  ありますか?
  この人間関係で疲れてたなってこと
仲)「母親」だってことは大きいかな?
  意図的に背負わないように
  しているのは あると思う
  ガッツリ「母親」をやろうとしてしまうと
  やはり疲れるので
  自分に”手を抜くことを許す”というか
  それは意識してやっているかも
か)そこで”手を抜く”っていう選択肢を
  採用しなかった場合には
  お子さんとの関係は
  どんな感じになりそうですか?  
仲)うーん 
  なんだかイラつくのではないかな?
  こっちが捕らわれて”やる”をやっているから
  やっぱり大変じゃない?
  だから子どもに対しても イライラが出てきて
  他に出来ている人もいるのに
  私は出来ていないという
  自分に対するイライラも出てくるかも
か)ただでさえ毎日一緒で
  離れることが少ない
  成人している訳でもないから
  距離感が近いじゃないですか
  近ければ近いほど
  『役割』にハマりすぎてしまうと
  疲れ度合いが増す感じはしますよね

仲)うんうん。そうなの
  余裕がある時はやるけどね
  子どもに我慢させるというのとは違うけど
  「疲れてる」ときには正直に
  「疲れている」ことを伝えてる
  そんな感じかな? 
 

受け持つ役割

か)自分と自分の親との関係
  私が親で自分の子供との関係って
  当然立場が逆の関係になりますけど
  関係性の作り方とか
  距離の取り方とか
  似てるなって思うこともあると思いますが
  何か気を付けているところとか
  ありますか?

  ”これ”やってたから私
  すごい疲れていたわ!とか
  両方の立場経験しているから
  あったりするのかな?って
  気になったんですけど

奥)私は「お姉ちゃんだから我慢しなさい」を
  ずっと強いられてきたから
  自分の子には1回も言ったことない
  理由もないのに
  「早くやりなさい!」って
  追い立てることとか
  自分がやられて嫌だったことは
  子どもにやらない様にしてるけど
  それも「箱」に入ってるかもだけどwww
か)もしかしたら子どもは
  平気なタイプかもしれないからねww
奥)平気かもしれないけどね
  右から左に聞き流してたりしてねwww
  基本的には自分がされて
  嫌と感じていたことはしない
  それをしないことで
  自分がイライラするなら別だけど
  我慢させる必要ないよね?というところは
  余分にやらない様にしてたところはある
  甘えさせるところはあるけど
  甘やかすことはしないとか
  自分の中の境界線が
  子どもと合ってるかはわからないけどね

か)自分がされて嫌だったこととか
  “こうしてほしかった”みたいなところは   
  子育てに反映しやすいよねと思いました
  わたしの場合は
  母親が”こうしてほしかった”が
  すごく強いタイプだったんですよね
  おそらく自分に”こうしてほしかった”がね
奥)私の母も同じだと思う 
  「私のかなえられなかった夢を
  あなたがかなえてちょうだい」な感じで
  ガスガス侵食されたwww
か)私もちょっと近いところはある
  例えば「習い事に行きたかった」とか
  それでたぶん本人はピアノを
  やりたかったとか
奥・木)一緒だ~
か)「子どもが望む事を
  やらせるのが親の役割だ」
  という「箱」があったんでしょうけど
  それが微妙に「自分のこうしたかった」に
  すり替わってるのではないかと
  いうのが思い出されますね
  その『役割』っていう「箱」も
  これも緩やかに見ないとね
  本当に疲れちゃうよね?っていう
  自分自身も疲れるし
  相手も疲れさせるし
  お互い「箱」同士でどーん!みたいのが
  無茶苦茶出てくるよね?って思いますよね
  由紀さんは思い当たる事ありますか?

木)私もやはり親からされて嫌だったことを
  やっちゃってる⁉って
  今は気付いたり出来るけど
  まだこういうことを学ぶ前
  自分がそういう『役割』にハマってるって
  分かっていない頃には
  親にされて嫌だったことを
  してしまっている
  そんな自分に傷つきつつも
  それを止められない
  それで自己嫌悪になったりして
  それに疲れてしまう
  でもだんだんね
  あ、今コレやっちゃってるな?と
  自分で観察できるようになってきて
  分かってきたら
  「早くしなさい!」って言われるの
  すごく嫌だったけど
  たまにこどもに言ってしまう事が
  あったとしても
  「ああ、やっちゃってるな?」と思うだけで
  軽く流せるんですよ だから自分が
  その『役割』にハマっているかどうかが
  認識できているのか?だけで
  だいぶ受けるダメージ
  自分で受けてしまうダメージが
  違うかな?と思うんですよね
  「箱」から抜け出すことも
  出来たらいいんですけど
  こういう「箱」に入ってるんだな?って
  認識できてるかどうかが大きいのかな?と
  思ったりします

こんな箱に入ってます


か)その『役割』にハマっていること自体を
  自分で気が付くことが出来るって
  疲れる要因を減らす 最初の気付きですよね
木)自分が今「母親」として対応しているとか
  この人の前では「友達」として出来るけど
  あの人の前では「部下」って感じだな?
  というように
  自分のモードが変わっているところを
  分かっていればね
  自分の中での対応が変わっても
  違和感を感じないし
か)自分は今何の『役割』を
  果たそうとしているのかというのが
  意識に上がっていると
  疲れにくくなりそうだし
  対応も出来そうですよね
奥)逆もあるかな?
  子どもの部活の引率で同行したとき
  一緒に先生の話からかったりしてた時に
  子どもたちから
  「親なのに?」って言われたのよね
  まさかの子供たちからとがめられるっていう
  え?なんで?
  話が面白いからよくない?みたいな
  逆に「親」とはコレにはめられたwww
  こういう事もあるのねと 学習しましたww
木)こっちは子供の役をしてるから
  あなたは親の役ね?みたいな
奥)そうそう『役割』を求められる
か)それぞれに「箱」のイメージがあるので
  その「箱」同士をぶつけ合うっていうね!

そのお話を西村さんが
超絶静かに聞いているっていうwww

この後西村さんの「渾身の一撃!」が
来るっていうwww

さあ!西村さん一撃どうぞ!!



<後編>に続きます!


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