論文まとめ 吉野巌・山田健一ほか「音楽鑑賞における演奏者の映像の効果 :― 音楽心理学研究に基づく仮説の実践授業での検討―」

読んだのでメモ。

簡単に内容を説明しておくと、演奏者の映像が楽曲の認知に及ぼす影響と、鑑賞授業での有効性について調べたもの。

先行研究との違い

この手の先行研究は以下。

映像付き音楽は興味を高めたり、注意を持続させるという動機付け効果を持つ(Geringer,Cassidy,&Byo,1996)


マガーク効果(McGurk & MacDonald,1976)


文章+図で理解度が向上する(岩槻,1998)


視覚優位効果は、一般的に成人より子供で効果が顕著(Stine, Wingfield,&Myers,1990)


子供はテレビ番組を見るとき、聴覚的な項目よりも視覚的な項目をよく記憶する(Field & Anderson,1986; Hayes, Chemelski, & Birnbaum,1981)


・①無表情な演奏②標準的な演奏③大袈裟な演奏を、「音のみ」「映像のみ」「音+映像」のいずれかの条件で視聴させると、「音+映像」が3通りの演奏を区別しやすくなる(Davidson 1993)


・ピアニストに同一曲を3通りの異なる表情レベル(1機械的な演奏, 2標準的な音楽的演奏, 3大げさな演奏)で演奏してもらったものを録音・撮影し,3種類の演奏音と3種類の映像を組み合わせて作成した9種類のビデオを実験参加者に視聴させた。その結果,例えば,機械的な演奏音と大げさな演奏の映像の組み合わせを視聴すると「表情の大きさ」の評定が高くなり,逆に,大げさな演奏音と機械的な演奏映像の組み合わせを視聴すると「表情の大きさ」評定が非常に低くなるなど,演奏者の映像による大きな影響が認められた(下迫・大串1996)


・ギター奏者が演奏した不協和音程(2つの音高からなる)の不協和度評定が視聴覚提示条件でより高くなることを示した(実験 1)。また,歌手が歌った音程に対する判断で,実際に歌われた音程の音響刺激にそれとは異なる音程を歌ったときの映像を組み合わせて提示すると,音程の広さの知覚や感情評定が映像の影 響 で ゆ が め ら れ る こ と を 示 し た ( 実 験 3 , 4 )。 Thompson, Graham, & Russo(2005)


演 奏 者 の 映 像 が 楽 曲 のフレーズの開始や終わりの認知を容易にするということも明らかになっている。V i n e s e t a l .( 2 0 0 6 ) 


以上のように,演奏者の映像は,楽曲固有の音響的・構造的特徴の知覚認知並びに感情的側面の認知に影響を及ぼすと言える。

これを踏まえた上で、学校教育の鑑賞授業でよく用いられている演奏者の映像は楽曲の特徴(音楽の諸要素)や感情的性格(曲想)の認知,もしくは鑑賞者の動機づけなどにどのような効果を及ぼすのかという問題設定。

どんな内容か

研究の方法

研究1では音響のみ条件(Auditory:A 条件)と映像付き条件(Visual& Auditory:VA 条件)での聴取の比較を行い、楽曲の諸要素や感情的性格の認知が,音のみ(A)条件と映像付き(VA)条件とで異なるかどうか,楽曲に対する感情価評定と自由記述の量・質により調べる。また児童と成人を対象とすることにより,発達的要因の効果についても検討する。


研究2では実践的な鑑賞授業の中で,音のみの提示を中心とする教授法と映像付き提示での教授法の効果の違いについて検討する。


本研究では聴き手の楽曲に対する認知を自由記述(曲の特徴について気づいたことを自由に記述)によって調べる。

音楽の雰囲気から感じ取った楽曲の気分・表情のことを“音楽の感情的性格”と呼ぶが,これは自由記述並びに,特定の感情的性格の程度を表す“感情価”(谷口,1998)を評定させることにより測定する。

研究1

小学5年生と大学生の間でも感情価評定が類似している。しかし、大学生の方がより適切な感情価評定を行った。大学生は,楽曲の感情的性格の認知に際して,演奏者の視覚情報を利用していると言える。

映像中の演奏者の動きが多ければ,より強く激しいように感じるであろうし,逆に動きが少なければ,より優しく穏やかに感じる。


一般的に,映像は小学校5年生には負の効果を,大学生には正の効果をもたらしたといえる。5年生の段階では,ワーキングメモリの注意処理資源が十分に発達していないために,異なる様相間(この場合は映像による視覚情報と音響刺激による聴覚情報)の複数の情報を統合し整理することが大学生ほどにはできなかったのだと推察される。一方,大学生は,映像と音響の両方から意味のある情報を多く引き出して統合することにより,細かい曲の特徴を認識することができたと推測。

小学校5年生程度の子どもの場合,ワーキングメモリ容量が小さい上に,視覚優位効果で映像情報を優先的に処理してしまうと考えられるため,音響情報の視覚イメージ化処理には妨害的にはたらいたと推測。


VA条件の子どもは,演奏者の動きの大きさやスピードから,音量や速さに関する情報を敏感に認知できた可能性もある。一方,より抽象的な情報である構造(楽曲中の変化も含む)については,音のみを集中して聴いたA条件の子どもの方がより敏感だった

研究2

楽曲の音響的特徴や構造など音楽の諸要素を感じ取らせたい場合や,楽曲から連想される情景をイメージさせたい場合は,音のみを提示した方がよい(仮説1)

演奏者の演奏表現や楽器の特性などに注目させたい場合,その楽曲や授業への興味を喚起させたい場合は,演奏者の映像を伴う視聴覚教材を提示した方がよい(仮説2)


授業の中で子どもが行った活動(課題)は,


1楽曲や授業への興味度を測定するための質問紙(1回目の楽曲提示直後),
2「音楽の要素」に関する自由記述,
3「連想した情景」に関する自由記述,
4「楽器」に関する自由記述,
5「演奏者の様子」に関する自由記述,
6楽曲や授業への興味度を測定するための質問紙(授業終了
時)


記述内容を見ると,映像付群は画面上にアップで出てくる楽器を列挙する
ことがほとんどであるのに対し,音中心群はより多様な楽器名をあげることができていた。音中心群の子どもは聞こえてくる音響に注意を集中することにより,様々な楽器の音を認知・判別することができたと推測。

「音響的特徴」では音中心群の平均記述数が映像付群より有意に多かった。また,「印象的記述」では音中心群よりも映像付群の記述数が有意に多かった。なお,「構造的記述」には群間に有意差は認められなかった。前述のように「音楽の要素」全体としての記述数では群間に有意差はなかったが,明確に音響的特徴と言えるものだけに限定すれば,仮説通り,音のみで聴く群の方が多くの特徴を認知できているといえる。


音中心群では,連想した情景をより豊かに膨らませた結果,イメージ中の登場人物の行為を示す語や印象をより精緻に描写する修飾語が多くなったと考えることができる。


結論と考察


「楽曲の音響的特徴や構造など音楽の諸要素を感じ取らせたい場合は音のみを与えた方がよい」という仮説については,「音響的特徴」に関しては自由記述課題の下位カテゴリーでの群間差より検証された。

「楽曲から連想される情景をイメージさせたい場合は音のみを与えた方がよい」という仮説については,「連想された情景」の自由記述の総記述量・下位カテゴリーの分析の両方から検証されたと言える。


「演奏者の演奏表現や楽器の特性などに注目させたい場合は映像も与えた方がよい」という仮説については,「楽器」に関する記述では仮説と逆の結果となり,音のみの方が効果的であった。前述の通り,映像付群では画面上に出現した楽器に注意が制限されてしまったと推測。このような目的の授業を行う場合は,映像なしで行うべきであろう。


本研究からは,鑑賞授業を含めて音楽を聴くときに,映像なしで音のみで鑑賞することの積極的な効果が見いだされた。


聴覚的な情報に注意を集中するために目をつぶって聴く,という方略が有効かもしれない、としている。


その時々の鑑賞の目的・要求(例.曲の雰囲気を楽しみたい時,演奏を批評する時, など)に応じた適切な方略をとることができるようになれば,より多様な音楽の楽しみ方ができると提案。

課題

・映像の作り方による影響の大きさについては不明確


・序で述べたように楽曲の感情表現については映像がある場合の方が聴き手に伝わりやすいことが知られている(Davidson,1993;下迫・大串,1996)。しかし,子どもを対象とする研究はほとんどないので、課題を演奏表現に特化した検証が必要


・「鑑賞と表現との関連」という観点から考えると,映像付きで楽曲を視聴する方が,鑑賞活動で学習したことを表現(器楽演奏等)に直接応用したり,表現活動に対する動機づけが高まる,などの効果が期待されるかもしれない


・楽曲に対する反応を基本的に自由記述によって測定したので,データが国語力に相当程度左右されている可能性があること,自由記述を得点化した量的データのみを効果の有無の判断基準とし,質的な検討をほとんどしていないことも問題点


演奏者の表情や動き・パフォーマンスなどを直に見ることによって,演奏者の意図した表現の理解が促進されたり,演奏会特有の緊張感や高揚感,共感が得られやすくなるということもあると推測

読んだ感想

何でもかんでも視覚的な要素を取り入れれば良い、というものではない、というのは当たり前だが心に留めておく必要がある。その一方で、演奏行為から切り離して音源だけの聴取、というのはそれこそモノとして、対象として音楽を扱っていることになる。演奏されなければ音楽は存在しないのであって、純粋に音楽的な特徴を知覚させたいからと言って本来ともにあるべき視覚的な情報を捨象する、というのはどうなんだろうか。

とはいえ、もはや音源だけで音楽を聴くことは生演奏を聴く機会よりはるかに多いのであって、であれば音源だけで聴く、という聴き方も必要だろう。

どちらにせよ、特定の目的に応じて聴き方を変えるべきだ、という最終的な主張には賛成。ただ、その聴き方の提示がやはり課題。音源だけの音楽的要素に着目させた聴き方の研究は多い。その一方で、別の聴き方の提示は少ない(最近出てきてはいるが)。

まぁあとは、小学生と大学生で感情価の評定の適切さに差が出たことに関して、大学生は視覚的情報を利用したから、と言っているけど、単純に小学生と大学生では感情を捉えるスキルの精緻さに差があるからじゃないか、と思った。小学生ではまだ言語化できない感情や経験したことのない感情もあるだろう。

あとは、自由記述だからデータが国語力に左右されるんじゃないかっていう問題。これはそうだな、と思う反面、特定の現象や感情を表す語彙を持っている、っていうことはむしろ知覚(音楽理解)に役立つんじゃないか、と最近は思っている。特定の語彙や言い方を知ったおかげで、言語化できなかった世界が開けた、という経験は誰にでもありそう。そういう意味で、言語化は音楽をモノのように扱う一方で、むしろ深く聴くことに導く、という一見矛盾した機能を持っているんじゃないか、と考えてる。

あとは、

・「鑑賞と表現との関連」という観点から考えると,映像付きで楽曲を視聴する方が,鑑賞活動で学習したことを表現(器楽演奏等)に直接応用したり,表現活動に対する動機づけが高まる,などの効果が期待されるかもしれない

てなってるけど、概ね賛成。要するに、鑑賞と器楽を結ぶ、という視点は必要。個人的に研究したいのは、楽器性instrumentalityが鑑賞に与える影響なので、器楽→鑑賞というアプローチだけど。まぁ、循環性があると思うのでどこから始めるか、という問題。

以上。

Roam Researchっていうアウトライナーを使い始めたけど、最高すぎるな、一瞬でまとめられるしキーワードをリンクづけできて、個人的なWikip ediaが作れる。オススメです。では。




おそれいります、がんばります。