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スピリチュアル(もどき)の話をしていいのかな

書くことというクリエイトには、多分にイマジネーションが強みになります。
自分心理に、独自の感覚を否定される恐怖や、自分の感覚を疑う思いが少しでもあると、心のままに書くことそのものにブレーキがかかることになってしまいます。

非現実なことや、感覚的個性を疑われるような、一笑に付されるくらいの些細やことでも、
ここでは書いてもいいでしょうか。

noteに戻ってきて、書くようになってから、これまで傷つきたくなくて封印してきたさまざまに、自分で気づき、
解放したい思いに駆られるようになってきました。


私は、物心ついた時から気がつけば、現実と非現実の区別がつかないまま育ちました。
なんの変哲もない一般家庭に生まれ育ち、家族や身近に不思議な人がいたわけではないのですが、
私だけが特異体質的に、当たり前の常識より、大人や周りがバカにして否定するような話のほうに、真実味があるように感じられていました。

といっても、幽霊や妖怪が見えている自覚もなかったし、自分に霊能力やら超能力やらがあるわけでもない…と思います。
直感的なこととか、いわゆるエンパス体質ではあるし、たまにあれ?という経験はしていますけれど、
それがあり得ない不思議なことなのかどうか、自分では判断できないし、人に話しても理解されたことがなく、
世間でよく聞くような、明らかな怪談や神秘体験といえるような、際立ったことでもないので、不可思議に感じられることがあっても、勘違い・気のせいと言われれば、それ以上自信が持てない…その程度でした。

大人になってからは、現実がつらすぎて、むしろ不思議で非現実的な話に救われるような心地で、惹かれていました。
さりとて、いわゆるオカルト好きというわけではなく、怖い話や、マイナスな低次元意識な話は、気持ち悪くなってしまって、精神的に受けつけられません。
だから、人前で不思議系の話をしたことはないし、逆に知られると不気味に思われて、イジメや仲間はずれにされがちだったので、自分から不思議の「ふ」の字も口にしたことはありません。

それなのになぜか、どこの職場やグループ活動に参加しても、いつの間にか“そういう人”だと認識されがち。
……霊体験について相談され、祓ってくれと頼まれたり。
……占い師から「あなたの方が本物の占い師じゃないの?」と言われたり。
……前世の巫女とか、イタコとか、ユタとかの資質があると言われたり。
……新興宗教の教祖からスカウトされたことも何度か(そのせいで宗教勧誘に拒絶反応が出ます)。

いい言い方をすれば神秘的なイメージがあるんだそうですが、たいていは不気味系と言われて、
私としては、なんでやねん、としか思えない。
そう言われても、何も祓えないし、何もわからないし、何も判断できません。

果てはイジメ気質の人たちから「あいつに関わると不幸になる、呪われる」みたいなウワサを流され、
当然ながら私のせいでないし無関係なことであっても、ちょっとした怪我や不幸や、たまたまのささやかな悪いことを全部私のせいにされる……いわゆるスケープボード扱い。
時代が悪かったら、確実に魔女裁判や異教侵犯の冤罪で攻め殺されかねないな……と、切実に怖かったりします。


黙っていてさえ、そんなふうに見られるので、思ったまま、感じたままを表すのが、ずっと怖かった。

子どもの頃は、感じたままを誰かに話しても、
変な話をするなと親や大人から怒られたり、学校で笑われたりバカにされたり、否定されるのがイヤだった記憶しかなく、
自分でもこんなことを感じるのは悪い、間違ったことなのかと自分を責めるような思いがあって、あえて鈍感になるように努めたり、忘れるようにしてきました。

けれど、それでも、
富士山麓育ちのひとり遊びの中、自然の中で遭遇した不思議なことや、
大人になってから史跡をひとり旅するようになり、直感が磨かれて遭遇したことや、
古代を研究したり、物語を創造したり、能を習った際の舞台上で、次元移行したような憑依感覚を、時たま……
人に話すほどのこともない、ささいなちょっとした、でも何だったのかな……というような記憶が、何かの拍子に蘇ります。

本当は、忘れたくないし、その感覚を抱きしめていたい。
だって別に、それが祟りを招くわけでも、禍のもとになるわけではない。むしろそれが、私の個性であり、感性であって、もともとの私自身の特性だと思えるから。

私にとって怖いのは、目に見えぬ怪異や妖かしではなく、私を奇異の目で見て嘲る、現実の人間のほう。
怖かったのは、実際になんの不思議能力も影響もないのに、現実で生きにくくなることでした。
だから社会人でいるために、感じないようにつとめ、封印してきましたが。

それのせいで、「書く」こと、創造する力まで、封じることになってしまうようです。

スピリチュアルや不思議体験が特殊ではなくなっているらしい時代になった今、
こうしたクリエイティブな場でなら、
解禁して、書いてもいいかなぁ……

人から否定されることに対する、抵抗や恐れを克服する意味でも、
個性や感性に素直に、自分の心に忠実に、書いていく、自分なりの訓練になるように思います。

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