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私が看護師になった理由①

 看護師を目指すと決めた時、私は心身ともにボロボロだった。
地元を離れ、彼氏(今の旦那)と同棲していたが、無職でいくつも面接を受けたが受からなかった。
 
 大学時代に私は就活をしなかった。ホステスとして働いていたからだ。ホステスとして、月4.50万の稼ぎがあった為就活をして就職をしたところで給料はしてれているし、真面目に昼間に働くことはバカらしいと思っていた。楽してお金を稼ぐ、これを言えば誤解が生じるかもしれないが、その時は今より景気は良かったので正直、キャバクラの仕事は楽だった。これは本当に人によると思うし夜の仕事は夜の仕事にしかない大変さや苦労がある。普通の人生を送っていれば見なくて済むような場面もいくつも見てきた。第一に誰でも出来る仕事ではないし、その世界で大成する人はごく一部である。もちろん、私はその世界で大成したわけでもないし、出勤もバラバラの惰性で働く不真面目ホステスだったわけだが。(ついでに言うと並外れた容姿を持つわけでもない)
 そんな生活を19-22歳くらいまで送っていたわけだが、あることがきっかけでホステスを辞めた。そして、学歴や経歴が重要視されないアパレルの世界へ入ったのは23歳の時だ。  

 アパレルの仕事は大変なりにも楽しかった。洋服は元々好きだったし、憧れのブランドに入社することも出来た。百貨店のテナントだった為館のマナー等、接遇は厳しかったが、学ぶことはたくさんあったし、上層階級のお客様と話すことは新鮮だった。日々売り上げというプレッシャーに押しつぶされそうになりながらも、表面上キラキラした世界で(アパレルはかなりの肉体労働である)高級な洋服を身に纏い、キラキラとした空間にいることが楽しかった。
 よく、アパレルは女の世界だからというが、人間関係にも恵まれ、周りは皆人格者でよくある売り上げの取り合いなんてのはなく、働きやすい環境で働けていたことは運が良かったと思う。
流行りの最先端の、憧れの洋服をー自分じゃとても手が出せないー社販で購入できる事も嬉しくて、その洋服の良さを伝え、コーディネートし、接客する事にそれなりの楽しさを見出すことはできた。なによりセット売りが出来て、高単価で売れた時はやはり達成感ややりがいがあると感じた。
 しかし、自分に向いているかと言われれば別問題で、私には接客業は、特に何かを売る、しかも口巧みにその商品の良さを伝え売り上げに繋げる技術はあまりなかったと思う。周りは皆話し上手でお客様との信頼関係を築きながら売り上げを上げていく中で、私はと言えばやる気のない(売り上げの良くない)販売員だったと思う。
 販売員はただ一点モノを売れば良いわけではない。ファーストアプローチからセカンドアプローチ、比較検討など、一応売るという行為に対するマニュアルや手法はあった。必ずセットで、しかも高単価で売ることが目的としてあり、単品売りしか出来なかった時はよく先輩に責められるわけではないが、何故単品で終わってしまったのかなど振り返りもあった。新規獲得や、リピーターの定着、DMや電話アプローチ(私は電話アプローチが大嫌いだった)など、アパレルの仕事は単純そうに見えて複雑で、業務内容も多岐に渡った。

 初めの何年かは楽しかったがその内飽きてきて、人と話す事や、売り上げを上げることにも疲れ、接客以外の別の仕事がしたいと思うようになった。
 しかし他にしたいことなんてのはなかった。
というより、自分に他に何ができるというのか。頭も良くない、学歴もない、これという突出した才能があるわけでもない。
 20台後半はそんなことを考えながら、辞めたいと思いながらも辞めて他にすることがないという思いだけでダラダラと続けていたように思う。


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