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シンガポールの古着屋で日本の四季の有難みを感じた話。

夏が好き。
どんなにうだる暑さで、あぢ~~とやる気のない声を上げていても、わたしはやっぱり夏が好き。

9月に入り、大好きなディズニーランドもすっかりハロウィンパーティーの装い。会社の隣の100円ショップだって、かぼちゃのグッズが所せましと並び、秋の味覚が次々と店頭に顔を出し始めた。

それでも毎日の気温はまったく秋らしくなく、連日30℃超えの真夏日が続いている。

・・・と思っていたが、カーテンの隙間から覗く太陽や、夕方に差し込む日の光が、もう真夏のそれではない。数字ではまったく同じ32℃を指しているのに、夏の32℃とは決定的に違う。今年のわたしはそんな季節の変わり目に、変わらぬ寂しさと、ちょっとした喜びを感じている。

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この夏、わたしはシンガポールまで遊びに行き、とある古着屋のオーナーと友達になった。

彼はとても日本文化を愛しており、わたし以上に日本の漫画・アニメ・音楽を知っているほどだった。

そんな彼との会話でとても印象的だったことがある。
わたしが「シンガポール、まじでいい国だよ。ずっと夏が続いてて最高。」と言ったら・・・「何言ってんだ!日本には四季があるじゃないか!(Dude! Japan has four distinct seasons man! 的なノリ。)」と、食い気味に反論されてしまったことだ。笑

シンガポールは1年を通して温暖な、まさに常夏の島国。
その側面だけを切り取ると、なんて良い国だろうと思うが、最高にクールな古着屋を営む彼にとって、常夏とファッションはなかなか相性が良いものではないようだ。
日本だったら、もっとレザーのジャケットとか、ロングコートとかも着ることができて、ファッションの幅が格段に広がるのに!と言っていた。この言葉に、わたしは少しハッとさせられた。

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四季があるのは素晴らしいこと、なんてよく言うけれど、なぜ素晴らしいのかを聞かれたら、正直答えにすごく困ってしまうだろう。

季節の変わり目は風邪を引きやすくなるし、ちょっと暑いと思えば、すぐ寒くなったりするし、景色が良い、食が豊か、と言われたって、四季がなくとも素晴らしい文化は世界中たくさん存在しているじゃないか!と、思ってしまう。

だが、日本ほど明確に、細分化された季節の違いがある国は、そう多くない。

それは、先に挙げた景観の良さや、食物の豊富さを育むだけでなく、ファッションや自己表現にも、多様な価値観を生み出してくれる、とても貴重な役割を担っている。

これこそが、四季の持つ素晴らしさではないかと、わたしは異国の地で気付かされたのだ。

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喜ばしいことに、わたしの周りには、お洒落な人がたくさんいる。
洋服好きな人や、アパレルで働いている人、役者をやっている人なんかまで。もちろん、シンガポールの古着屋の彼もそのひとり。先日SNSを開いたら、みんながみんな「ファッションが楽しい季節になった!」と投稿していて驚いた。笑

色とりどりの洋服に、いかしたポージングで、ノリノリに映る彼らの姿がとても美しい。

それは単純に、ちょっと涼しい季節になったから、というだけでなく、新たな自己表現の挑戦、見たことのない色や素材の組み合わせを楽しむ発想力など、暑さ寒さ以上に、季節が1つ切り替わることを、エンタメとして楽しんでいる豊かさを感じ取ることができるのだ。

その起爆剤として、日本では確かに「四季」が機能している。
日本の外からみて、「四季」の素晴らしさを訴える理由は、それくらいのインパクトがあるのだろう。
そして、その「四季」のインパクトを知っている者たちは、季節の変わり目というかけがえのないイベントを、毎季節ごと楽しんでいるのだろう。

この発見には、否が応でも「日本っていい国じゃん」と思わざるを得なかった。

わたしにとって、夏が終わるのは確かに悲しい。
カラカラと音を立てて運ばれる落ち葉を見ると、なんとも言えない寂しさが込み上げてくる。

しかし、その気持ちを味わう豊かさがあることもまた事実。
「四季」に生き、「四季」に生かされて、コンピュータやAIには真似できない、人間特有の「らしさ」を生み出すきっかけが、この国には溢れかえっている。

明るくないニュースばかりが溢れかえる毎日でも、ちょっとした季節の変化は、我々の想像力を掻き立てて止まない。

そんなことを思う今日。



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