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こういうのが観たいんだよ、映画『ホーンテッド・マンション』の話。

とても面白かったです、ディズニー実写映画の新作『ホーンテッド・マンション』

オーウェン・ウィルソン、ずっと好き。

同名アトラクションの映画化は、2003年公開 エディ・マーフィー主演の『ホーンテッド・マンション』と、本作2023年版の『ホーンテッド・マンション』の2作。(タイトル同じすぎてややこしい。)

事前のポスター、予告、本国ディズニーランドの盛り上がりようからも、かなり力を入れているなぁという印象がありましたが、期待を裏切らない傑作でした。

とはいえ…これが日本で、というよりカリフォルニア本国以外で、どこまでウケるのかは未知数。。。
かなりファン喜ばせ的な演出が多い本作であり、ディズニーオタク以外は飽き飽きしてしまう可能性も否めませんが、これぞ100年を迎えたディズニーにしかできない映画だー!と、わたしは大興奮だったため、少しでも皆さんとこの興奮を分かち合うために、本記事を執筆していこうと思います。


***


ディズニーランド屈指の異質アトラクション。

まずは本作の基となるアトラクションの話が必要不可欠です。
ディズニーランドの大人気アトラクション「ホーンテッド・マンション」

東京ディズニーランドでは、ファンタジーランドというおとぎ話がテーマのエリアに、突如現れる洋館「ホーンテッド・マンション」ですが…
本国カリフォルニア アナハイムのディズニーランドでは、「ニューオリンズスクエア」という、アメリカ ニューオリンズの街並みを再現したエリアに存在しているんです。

外観もかなり違います。


実はこの「ニューオリンズスクエア」、東京ディズニーランドにもあるといえば、あるんです。
それは「カリブの海賊」があるアドベンチャーランドの一角。
熱帯雨林のイメージが強いアドベンチャーランドですが、エリアの半分はオシャレな洋館が立ち並ぶ、ニューオリンズの街並みを見ることができます。

東京のニューオリンズ。
浮かれた格好のひろひろ。


この「ニューオリンズ」が何かというと…
生前ウォルトが愛した街、だったんですね。
(わたしもいつか必ず行かなくては・・・)

ジャズの発祥地であり、フランスやスペイン領だった頃の面影が残る一方、幽霊屋敷やオカルト話が後を絶たない、といった、とてもユニークで多様性に富んだ街として有名です。
ニューオリンズの葬儀は、ジャズミュージックに合わせて歌い踊るというものらしいです。いいなぁ。笑

陽気さと奇怪さが入り混じる街の雰囲気は、まさにウォルト好み。
いわゆる"ディズニーランドっぽい"雰囲気は、すべてこのニューオリンズという街に、その源流があります。

こんな建物ばっかりです。

さて、そもそも街全体として「オカルト話」「幽霊屋敷ツアー」なるものが観光業として栄えているニューオリンズですから、それをモデルにして「ホーンテッド・マンション」が出来たのは、皆さんも納得でしょう。

一方、夢と魔法の王国、世界一幸せな場所と謳うディズニーランドに、何が何でも「幽霊屋敷」を持ってきた、というのが、そもそも妙だとは思いませんか?

でも、ウォルトはその可笑しさに目を付けていたんですね。

ディズニーランド開園にまつわる様々な資料やドキュメンタリーを見ても、この「ホーンテッド・マンション」というアトラクションにかけるウォルトの熱量には凄まじいものがあります。それは、ゲストをわくわくさせたい!ドキドキさせたい!大人も大満足できるエンターテイメントを届けたい!という想いの、ある種「最終形態」といえるアトラクションの形であったようです。

しかし・・・ウォルトはこのアトラクションの完成を見る前に、他界してしまうんですね。

カリフォルニア アナハイムのディズニーランドだけは、最後までウォルトが手掛けたディズニーランドと言われていますが、実はこのアトラクションを完成させることはできなかったんです。

開園当初から外観だけはニューオリンズスクエアに佇み続け、ウォルトの死後もその門が開かれることはなかった「ホーンテッド・マンション」でしたが・・・

今では誰もが知るアトラクション。
そう、この幽霊屋敷が目指したものは、完璧なる「ホラーとユーモアの融合」だったのです。

怖いだけではダメ。
面白いだけではダメ。

怖くて面白くなくては、意味がない。

ウォルトが託したそれは、彼の死後もディズニーランドを手掛ける天才たちを悩ませ、しかし必ず出来ると信じ、決してプロジェクトの変更を許さなかったことによってできた代物なのです。

その証拠に、開園当初から存在するアトラクションの中で、唯一「ホーンテッド・マンション」だけは、その内容に変更を加えることなく、完璧な姿で在り続けているのです。
(「ホリデー・ナイトメア」という期間限定イベントはあるけどね)

アトラクションのポスター。おしゃい。

ウォルトは「ディズニーランドは永遠に完成しない場所。想像力がある限り夢を描き続けられる。」と語っていましたが、その言葉に矛盾が生まれるものが「ホーンテッド・マンション」というアトラクションなのです。ディズニープロダクツの中に存在するこの異質さ・・・。

そんな裏話を含めて、とても怖くて、でも面白くもある。
まずはこの異質さを、皆さんも感じ取っていてください。

「ホーンテッド・マンション」が異質であるというのは、そうしたウォルトの愛と、託した夢と、それによって実現された完璧すぎる形の、不思議なバランスによるものなのです。


アトラクションへのリスペクトが止まらない。

映画の話に移りましょう。
上述の通り、「ホーンテッド・マンション」は、ディズニーランドの中でもピカイチで大切に(?)されてきたアトラクションです。

2003年版『ホーンテッド・マンション』でも、豪華な役者陣と、練りに練られた脚本、アトラクションお馴染みの曲を使って、ユーモアありホラーありの良作っぷりが見て取れます。

が、2023年版『ホーンテッド・マンション』の、アトラクションリスペクトが凄すぎるんです。

すてきなポスターたちです。

2003年版『ホーンテッド・マンション』が、「アトラクションをモデルにディズニーがホラー映画を作った!」と表現するならば、2023年版『ホーンテッド・マンション』は、「ホーンテッド・マンションというアトラクションそのものの映画をディズニーが作った!」と言えます。

そうか!だから「ホーンテッド・マンション」に乗るとこうなのか!というアンサー的な映画でありつつ、あれはこうだったのか?というクエスチョンをぶつけられる映画でもある。アトラクションの映画化としては、これ以上ない完璧なネタの散りばめ方でしたね。

中でも注目は、「ハットボックスゴースト」の存在。
残念ながら東京ディズニーランドの「ホーンテッド・マンション」では、その存在を確認することはできませんが(そもそもストーリーが若干違うからね)、本国では「ハットボックスゴースト」というキャラクターが有名です。

シンプルに、不気味。

シルクハットをかぶった、首無しゴースト、といえばいいでしょうか。

ハットボックスゴーストが有名なのは、その特徴的なキャラクター造形もさることながら、ある時アトラクションに舞い戻ってきた、からなんです。

舞い戻って・・・?きた?


ウォルトの死後、「ホーンテッド・マンション」がオープンするやいなや、たちまち大人気アトラクションとなったわけですが、あるキャラクターは、ディズニー側が意図していなかった形でその知名度を上げてしまいます。

そう、仕掛けが分かりやす過ぎるネタキャラとして・・・です。

単純な仕掛けなんですけどね。

「ハットボックスゴースト」は、首が消えて、手持ちのハットボックスの中でぼわんと浮かびあがるという恐ろしいゴースト、なのですが…

オープン当時の「ハットボックスゴースト」は、技術の進歩が追い付かず、あまりに分かりやすすぎる仕掛けで、ゲストの笑いものになってしまいます。登場から1年足らずで倉庫行きになってしまった1体のゴーストは、その後復活までに、45年もの歳月を費やすこととなりました。ディズニーランド60周年時の、まさにビッグサプライズでした。

おかえり、ハットボックスゴースト。

本作はそんな「ハットボックスゴースト」こそが最重要キャラクター。
彼のバックボーンは実におぞましく、異様な存在感を放つ彼と、その他の999人のゴーストたちとの関わり、なぜゴーストたちはあの屋敷に取りついたのか、なぜ999人なのか、なぜ1000人目を待っているのか、アトラクションだけでは語られない「ホーンテッド・マンション」の全貌が明らかになっていくんですね。緻密な歴史ものが絡んだディズニー実写映画に外れはありません。

また特筆すべきは、「ホーンテッド・マンション」というアトラクションそれ自体ではなく、「ホーンテッド・マンション」が存在する「ニューオリンズ」の街、ゴーストや迷信など信じる背景、生人と故人の関わり方など、いうなればアトラクションの待機列で感じ取れるアトラクションの背景を、丁寧に描いてくれていることです。

ピクサーの大感動作『リメンバー・ミー』で、死後と先祖の関わりを描いたとするならば、『ホーンテッド・マンション』は、血の繋がりだけではない、愛や憎しみ、人が生きていく上でぶつかる避けられない障壁への関わり、が色濃く表現されています。そういった意味でも、大人なディズニーらしさが満点で、思わずぐっと涙を堪える場面もいくつかありました…。やってくれるぜ、ディズニー。


ホラーとユーモア、その先で。

幽霊屋敷「ホーンテッド・マンション」と、そこに関わる生人・故人たちの行く末は・・・もちろんネタバレになってしまいますので、ここでは明言しませんが、王道でもあり、新しくもあると思える映画のラストに、ディズニー帝国の本気度が伺えます。

昨今のディズニー映画は、賛否両論が絶えません。
いわゆるポリコレだー、なんだー、と、賛成派も否定派も、もう少し穏便になればいいのに…と思うこともしばしばありますが、わたし個人の意見としては、ただ作品が面白いかどうか、原作を改変したりリメイクしたりするほどまでに作品それ自体が面白くなっているのか否か、が気になるポイントです。

どれも良い作品ではあるんですけどね。

ディズニーはその企業の巨大化によって、単なるエンタメ企業ではなく、社会や人の価値観を揺るがすほどの、あまりに強大なパワーを持ってしまいました。わたしも漏れなくその力に左右されるひとりですが。笑

そんな昨今のディズニーにおけるキーワードは「自由意思」だと感じています。

これはウォルト亡き後の黄金時代を築き上げた『リトル・マーメイド』『アラジン』等でも語られてきた同様のテーマですが、とりわけ人種問題や、LGBTQ+、過去のディズニー作品で創り上げてしまったステレオタイプを崩したい現在は、より一層個人の自由意思を尊重した描き方をしています。

ピクサーからは『トイストーリー4』で、これまでのルールに縛られない自由意思を貫き、ルーカスフィルムからは『スターウォーズ:スカイウォーカーの夜明け』で血筋を真っ向から否定、マーベルからはドラマ『ロキ』で、これまでの10年間はすべてレールの上だったと明かし、その神聖時間軸を破壊する物語で新たなフェーズの幕を開けました。

今もなおMCUを追う理由は『ロキ』の行く末を見たいから。それ一択。


無論この展開に好き嫌いはあるものの、この数年間、ディズニーは徹底して「自由意思」を主軸に物語を展開してきました。

『ホーンテッド・マンション』も例外ではなく、やはり慣例に倣う者を悪、新たな道を歩む者を正として描かれます。

が、それ以上に「死の前では何人も皆平等」ということを主軸においたことが、個人的にはとても好みでした。

そう、自由意思を突き詰めてしまうと、それは自ら死を志願することも、悪の道に突き進むことも、世界を破滅に導くことも、その人の意思である以上、尊重することが正となってしまうんですよね。

絶対悪・絶対正義が揺らぐ現代、人生の選択がより複雑に困難になってきていますが、「死」の前では、老いも若きも男性も女性も、人間も動物も、すべてが1つの命を持つ者として平等であるしかないと、本作は語っているように感じられるのです。

ホラーとユーモアのその先で、我々は生きるしかないのです。生き方を見つけるしかないのです。その面白さを、「ホーンテッド・マンション」は誰にも分かりやすいホラーコメディタッチで伝えてくれる傑作だったと、わたしは思っています。

メメント・モリ。

ディズニー100周年、まだまだ楽しむぞ…!



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