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オーストラリアに行ったら、レ・クレドールのコンシェルジュになった:続々

ついに勤務先のホテルより3か月間休職となりましたが、給与の一部は引き続き貰えるので、まずは安心。この話は、いよいよオーストラリアに渡って、学校に行っている頃になります。

学校が始まる

さて、初めてのオーストラリア。子供の時に、父親の仕事の関係で3年ほど海外で生活していたので、それほどカルチャーショックに悩むとか、ホームシックになることもなかったような記憶がある。着いてすぐにオペラハウスにコンサートを聴きに行ったり、スポーツを見に行ったりと、活発に動き回っていたなあ。

思うのだが、留学をするのにベストな年齢、ってのは人それぞれだと思う。出来れば、まだ頭が柔らかい若いうちに行った方がいいけど、例えば自分の性格を考えると、あまり早く行ってしまったら、余計なことを考えすぎてダメになってしまった気がする。
なので日本の会社で一定期間仕事をして、ちょっと自信のようなものをつけた後に行ったのは良い選択だったのかもしれない。

学業の方は、最初の1、2か月は語学学校で英語のおさらいをし、その後ホテルマネジメントコース(Diploma of Hospitality)に入るという手続きだった。語学学校は日本でも行っていたし、TOEIC、 TOEFLといった試験もそれなりにいい点を取っていたので、それほど苦労せずに専門コースに入ることが出来た。

さて、実際にホテル学校に行ってみると、海外留学生が9割で、しかもそれほど志の高くない(失礼)生徒が多い、いわゆるビザ取り学校(どちらかというと学生ビザを隠れ蓑にして就労してしまう人向けの、余り学業に重きを置かない学校)の要素が強かったのでちょっとガックリきた。「やべえ、学校選びを誤った」と。

でも学校側は、政府の決めたカリキュラムをきちんと提供しているので、自分が勉強したいという意欲があればちゃんと出来る。なのでほとんど授業もサボらずに通学し、頑張って勉強した。
ホテルマネジメントの授業は実技が多い。実際のホテルに行ってのベッドメイクのやり方(あれ、かなりきつい仕事です)から、野菜の切り方やカクテルの作り方(これは酒好きには面白かった!)、お皿を何枚も持つ方法や、フォークとナイフで食べ物を選り分けるシルバーサービスといった料飲部門。フィッシュマーケットや、デパートの食料品売り場へ見学に行ったり、郊外のワイナリーに1日がかりで遠足、いや社会見学にも行った。

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当時の紙焼き写真を発見。オリジナルカクテルを作った時の写真だ。それにしてもうれしげな顔で、酒好きの性格丸出し?

そしてコースの後半は経理、マーケティング、異文化交流、といった座学、そして最後には新しいホテルをオープンするためのプランニング…と、かなり詰め込みで色々教わった。
もちろん真面目な学生もそこそこいたので、なるべくそういった生徒とつるみ、真剣な討議をしたり、放課後に集まって課題をやったりしたのはいい思い出だ。日本でホテルの専門的な勉強はしていなかったので、それを英語で勉強できたのはいい経験だったと思う。

仕事探し

さて、ホテルの専門学校なので、現地実習が卒業要件となる。つまり、レストランなりホテルなりで、実際ある程度の時間(当時は600時間だったかな?)働かないと卒業証書がもらえない訳だ。学校によっては、大手のレストランやホテルとパイプがあり、生徒がもれなく実習できるようにサポートしてくれるところもあるが、自分が通っていたような弱小学校の場合、「がんばって自分で探してね~」、というスタンス。

もちろんきちんと卒業したいし、このまま無収入で、残額が減るばかりの銀行口座を見るのは切ない。学校のコースが始まって半年ほどすると、授業のコマ数が少なくなって来たので、仕事を探すことにした。

資格を取るための現地実習先は、ホテルでもレストランでもカフェでも構わない。だが、やはり自分の場合はホテルしかないだろう、ということで、シドニーにある色々なホテルにレジュメを送ったが、やはりなかなかいい返事が来ない。学校行ってるので時間帯がフレキシブルじゃないし、英語だってそれほどできないんだから、今考えると当たり前か。

それでも、今は無くなってしまったが、当時キングスクロスにあったハイアット・リージェンシーからインタビューに呼ばれ、ポーターのポジションを得ることができた。やはり日本のホテルで経験があったのが断然良かったのだと思う。

ああ、これで海外で仕事、それもホテルで働けるのだなあ、と思うとけっこう嬉しかった。海外に行く際に立てた目標の一つが達成された!

(まだ続きます)