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日本全都道府県に行ってきた(さらばジャパン)

2022年9月から12月にかけて、日本を旅していました。最初の目標は、「日本最北端の駅である稚内駅と、最南端の駅である西大山駅の両方に行こう!」というものでしたが、途中から、「アレ?もしかしたら全都道府県を通れるかも…」という野望(?)が頭をもたげて来て…はてさて、それは達成できたのか?

これまでの流れはこのマガジンからどうぞ。


12月8-17日

さて、このヨタレ旅がらす記もそろそろ終わりにせねば。

宮古島からは直行便で羽田、そして横浜の家に。

兄夫婦のフライトが少し後だったので、空港ターミナルで待ちがてら、「そういえばあれ食べたなかったな」シリーズ。

いや、トンカツやそれに似た食べものはオーストラリアにもあるけど日本の専門店でのトンカツはやはりね…あぐあぐ。

羽田から横浜に行くバスの窓からは、夕焼けと富士山が!ブレブレだけど。

オーストラリアに帰るまで、あと1週間ほど滞在していたが、泊りがけの遠出はしなかったので、ここで一気に写真をもとに振り返ろう。

国立博物館で国宝展をやっていたので見に行った。

もちろん展示されていた数々のものは素晴らしかったが…結論から言うと、余りにも人が多すぎたなあ。やはり、展示されているものと「会話」ができるくらいの人混みでないと、ただ「行った、見た、帰った」になりがち。

横浜の家は、横浜市に属していてもかなり郊外なのだが、そのおかげで家からさほど離れていない公園に行くと、富士山がなかなかいい感じで見える。来た時に比べると、雪がかなり山の下までかかってきているなあ…。今度また富士山を見るのはいつのことやら…と、日本を離れる日が迫ってくるにつれ、ややセンチメンタルになってしまう。

東京で、小学校時代の同級生と恩師を交えての同窓会に行けたのも嬉しかった。そこに向かう前に、ちょうどやっていた草間彌生の野外展示。

直島からこっち、南瓜と縁があるな…。

世代の問題なのかもしれないが、やはり東京タワーのほうが好き。

鶴見線に乗り鉄。戦前からの「国電」の雰囲気が漂う国道駅。

コンクリートの壁に残っている穴は、戦争末期の米軍機の機銃掃射によるものだ。

ガード下、という用語も死語になりつつあるのかな。昔はいくつかあった店舗や事務所も今は全部閉まっているようだった。

この寂れた風情も非常に味があっていいのだが、もう少しいい具合に(古いものを残しつつ、新しいテイストのお店などを入れるとか)レストアできたらいいのにな、と残念。

例えばシドニーでこんな場所があったら、ファンキーなバーやカフェ、古着屋なんかが入って、若い人が押し寄せる感じになると思うけどなあ…。

そこから鶴見線に乗って、海芝浦駅へ。

改札の外は工場(なので私有地)に直結しているために、社員及び関係者でないと駅の外には出られないという珍駅なのだが、一部エリアは公園になっているので、帰りの電車が出る少しの間、そこでのんびりすることができる。

京浜工業地帯のど真ん中なので、見渡す限り工場ばかりだが、それでも海があるので、波を見ていると心が和らぐ。

その後、友だちとみなとみらいで落ち合って、イルミネーションを楽しんだ。シドニーでもVividというライティングフェスティバルがあって、とても似ている…。

別の日には、山梨は勝沼のワイナリーめぐりに行くことができた。

オーストラリアのワイナリーとどう違うのかな…やっぱりオージーワインの方が規模もでかいし、美味しいだろうな…とやや見くびっていたのだが、失礼しました、ハイクオリティなワインも多く、とても楽しかった。

天気も初冬の青空が広がっていて、空気がうまかった。

ここのワインは、オーストラリアのトップレストランにも出されているそうだ。

そして最終日。夜のフライトだったので、先に羽田空港で荷物を預け、どこに行こうかな…。

色々候補地が頭に浮かんだが、定番のこの場所へ。

観光客でごった返す浅草をあてもなく歩き回り、最後のメシは、これかな?

羽田に戻る際は、ダイレクトルートではないけど、せっかくだから水上バスに乗って浜松町方面へ戻った。

ちょうど夕暮れ時だったので、空と海のコントラストが素晴らしかった。

それにしても、日本のあちこちを旅することができて、本当に楽しかった。

色々な思い出を山ほど抱えて、元気にシドニーに帰れるな、と思いこの滞在を終えた。

(完)

(これで一応このシリーズはおしまいですが、番外編をいくつか書くつもりです!)

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