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『千の輝く太陽』A Thousand Splendid Suns

アフガニスタンが混迷している。

タリバーンがまた権力を掌握した。こんなに簡単に政権奪取ができたということは、アフガニスタンの多くの人の支持があってこそだろうから、これまでの政権は結局失敗だったのだろう。

アメリカや、私が住んでいるオーストラリアも多くの兵士を送ったのに、これらは結局徒労だったのか?とおもうと心が沈む。

タリバーンといえば、厳格なイスラム法に従って国を統治する。私達がすぐ頭に浮かべるのが、頭から足まですっぽりと布で覆われた女性たちだ。

イスラム教自体を否定するわけではないが、人口の半分を占める女性を家に閉じ込め、自由にさせないという「主義」とは何なのだろう。それは本当にイスラム教の原理にかなっているのだろうか?

そして、女性というひとつのグループを抑圧する政権が、他のマイノリティ(身体が不自由な人、子ども、他の宗教を信じる人)に寛容になるとは思えない。

自由、人権といったものが尊重されている国で生活している私のようなものにとっては想像もつかない困難だろう。

そんな中、アフガニスタンについてもっと知りたくなった。その国の空気のようなものを吸ってみたくなった。

そうだ、アフガニスタンを舞台にした本があったなあ…と思って読んでみたのがこの本。カーレッド・ホッセイニ著の「千の輝く太陽」だ。

(私は海外在住で、日本語訳にアクセスするのが難しかったので英語で読んだ。それほど難解な英語はつかわれていなく、ストーリーはぐいぐいと進むので、原語でチャレンジしてみてもいいかもしれない。)

アフガニスタン生まれのホッセイニの小説は、映画にもなったThe Kite Runner が有名で、私も昔見た。(日本語訳では「君のためなら千回でも」という、ちょっと感傷的すぎるなあ…という題名になっているようだが)

「千の輝く太陽」の舞台は1960-2003年までのアフガニスタンで、主人公は、その混迷した時代を生きる二人の女性である。

アフガニスタンの歴史を少し調べてみると、本当に戦争、紛争が相次いでいて、ソビエトによる支配、その後の軍閥、タリバーン、9.11後のアメリカ軍介入…といったように、平和な時期というものがほとんどない。

そんな状況では、当然のように女性であるというのは輪をかけて困難な生活を強いられるというのは想像に難くない。

皮肉なことに、ソビエトに支配されていた共産主義時代が最も女性が活躍できた時代で、主人公の父親が、「(ソビエト影響下の)今が、アフガニスタンの女性にとってはいちばん自由な時なんだよ」というようなことを言っていた。

そしてつい最近までの米国などの影響にあった、いわば半占領状態の時だけが女性が自由を得ている…というのは皮肉なことだ、とは言いすぎなのだろうか。

作者もあとがきでのべていたように、この国における女性の立場は、タリバーンになってから貶められたわけではなく、アフガニスタンではそもそもそういうものだったということだ。

実際、主人公の女性もタリバーン政権以前よりさまざまな苦労をなめていて、次から次に悲劇が訪れる。読んでいて、「もう彼女たちにこんな試練を与えるの、やめてくれ!」と言いたくなってしまった。

それでも、人は生きていかなければならない。ものを食べ、家族を養い、子どもを育てていかなければならない。日々をぎりぎりの状態でサバイブしていく彼女たちにはただただ心を打たれる。

この本には、闘争にあけくれ市民を顧みない軍閥や妻を虐待する夫、といった人間の醜い面も存分に描写されているので読むのが辛いが、そんな中でも時折心が休まるような自然の描写などがあり、その交互の場面展開が鮮やかだ。

小説の最後のチャプターは2003年が舞台で、希望をもたせる形で閉じられているが、その後アフガニスタンは混迷を深めていき、結局タリバーンによる政権奪取となった。

タリバーンも、今回は前回ほど抑圧的には統治しない、と言っているようだし、それを期待したいところだが、実際には徐々に女性の抑圧は始まっているようだ。彼らとしては、以前と違う政策をとることは、彼らの信じる宗教に反することになるので、それは難しいと思う。

主人公が実存しているとしたら、彼女はいま、どう思っているのだろうか?それを想像すると胸が苦しくなった。

そういえばシドニーにはアフガニスタン人が多く住んでいるエリアがあり、そこを訪れるフードツアーに参加したことがある。コロナ禍になる直前、2020年2月のことだ。

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タンドール窯で焼きたての、信じられないくらい安い値段の平たく長いアフガンパンが香ばしくふわふわで、驚きつつむしって食べた。

その後、アフガン料理のケータリングサービスをしているファミリーの家を訪れ、この文章の冒頭にのせた写真のような、ケバブやビリヤニの絶品ぶり、そして家族のとても温かなホスピタリティに感動したことを思い出した。

彼らと彼らの家族、同胞が穏やかに暮らせるようになることを願う。