母子家庭生活保護育ちの私が社会保険労務士試験を合格するまで②

高校1年生になった私は周りの学生のレベルの低さに驚愕しました。空き樽は音が高いという言葉がありますが、それが周りの学生の形容として合っていると思っていました。
「こんな奴らと一緒にされたくない。」
この負の感情から勉強に励みました。
数回ほど中間テストで学年一位を取ることができ、実力テストでは最初の回を除いて全て総合1位でした。中間テストなどは体育の点数が相当悪く(カナヅチでバランス感覚もなく、腕力もなかったです)、全体の平均点を落として、学年一位を取るのが厳しかったです。おそらくですが5教科(国数英社理)は総合的に1位を取れていたのではと思います。
また、中学時代から読書を続けたおかげで、読書力が身につき、難易度の高い本が読めるようになりました。例えば、夏目漱石の『吾輩は猫である』、『こころ』、『ぼっちゃん』、『草枕』や中島敦の『名人伝』、『山月記』、『弟子』、芥川龍之介の『羅生門』、『蜜柑』、『地獄変』、『侏儒の言葉』、『河童』、森鴎外の『舞姫』、『高瀬舟』、太宰治の『斜陽』、兼好法師の『徒然草』、脳科学系の本である『脳の中の幽霊』、『あなたの知らない脳の話』、池谷裕二先生の『受験脳』『記憶力を強くする』など影響を受けました。当時は文豪の本や図書館で興味の湧く本は片っ端から読んでいきました。
そのような読書と勉強の毎日により、かつての自分と比べてかなりの学力が身につけられたと思います。
高校時代は時間のほとんどを勉強に使いました。今も交友が続く友達や彼女もできず、薔薇色の学校生活とはなりませんでした。

高校卒業後の進路について、私は大学に進学したかったのですが、母は働いて家にお金を入れるよう暗に示してきました。大学にいきたいと母に言うと兄が高校卒業後働いてお金を家に入れていることを言ってきたのです。
私はこの頃母が憎くてたまりませんでした。
ろくに家事もせず、働かず、タバコばっかり吸ってるだけのくせに今度は進学も邪魔するのかと怒りがおさまりませんでした。
結局は大学の受験料や入学金を払えるお金もないので、進学を諦めました。
家計も兄だけの収入では厳しので、自分も働いて家にお金を入れるのが現実的でした。
兄は「お前が進学するなら奨学金の保証人になったる」といってくれました。しかしながら兄は働いて得たお金を家(母)に入れてほとんど貯金がありませんでした。
当時の私は母のせいで進学できなかったと、母を憎んでましたが、今思えば働きながらでも放送大学に行けば進学の夢は普通に叶うので、それほど深刻にならなくてもよかったと思います。
自分の家が貧困なのは、当時は学歴がないからだとも思ってましたので、視野が狭かったのだと思います。
私は就職し、手取り15万の中から家に10万円ほどお金を入れていました。
これを言うと職場のほとんどの人にびっくりされました。家にお金を入れることは多くの人はしないのかもしれません。ここにも貧富の差というのものを、親に恵まれた人との差というものを感じました。

貧困は世代間を連鎖するといいます。
(阿部 彩著『こどもの貧困』が詳しく、面白いデータを紹介してくれます。)
親が貧乏なら子も貧乏になりやすい。親が低学歴なら子も低学歴になりやすい。まさに自分がそうなったのです。
しかし、私は天邪鬼です。この貧困の連鎖を断ち切りたいと思ったのです。
そのためにより一層勉強し、社労士、簿記2級、FP2級といった資格にチャレンジして無事に全て一発合格しました。その資格勉強の合間で放送大学のテキストも読み、1年度30単位を取れるように学習しました。社労士の勉強方法について次回ご紹介したいと思います。




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