ゲームの代償

おいしいものを食べると幸せになる、食べなくても食べ物の画像なんか見ると脳にはドーパミンが出る。画像を見ただけでもハッピーになるのは食べ物がこの世に存在しているということが前提でそれが食べられる経済状況であることも踏まえている。物質でありカロリーでありエネルギーである。

運動をしても幸せになる。それは大昔の祖先たちが歩いて食べ物を探していたからで運動=食べ物が見つかるということになる。食べ物じゃなくても生涯の伴侶とも出会うかもしれない=セックスというワケで歩くだけで脳は騙されてハッピーになる。

じゃあゲームはどうなのか?ゲームの面白さとはなんなのか?人間を気持ちよくさせるものがあるが、それは原始的な欲求から倒錯している。5000年前からあるバックギャモンというボードゲームは盤と駒とサイコロだけだが面白い。ルールという空想上の現実、0から1を生み出せるのは人間に備わった特殊能力なのか?

ここからは仮説になるが、現代社会で認知症が増えているのはゲームをする若者が増えているからだと思う。例えば、お年寄りが5人くらいのゲーマーと一緒に1時間過ごすだけで認知症が進むというワケである。それはゲーマーが日々勝ったり負けたりすることで脳に変化が生じ、それが周りの人にまで影響を与えるというものである。

大昔の日本にはバックギャモンのやり過ぎで日本人がみんなおかしくなってしまったので幕府が取り締まったという歴史がある(盤も駒もサイコロも燃やされた)。今の日本はゲームに対して何の規制もない。もしかしたらゲーマーと目が合っただけでメンタルがやられる可能性がある。オタクが気持ち悪いというのは正しかったのかもしれない。

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