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私論を書き付けることと、絵を描くこととの相似について

「ある特定の概念を理解し、それを通じて世界を観察する」、あるいは「他者と意思疎通をはかる」うえでは、言葉を駆使することが欠かせない。

「概念を理解する」という行動と、「言葉を駆使すること」の関係性について、もう少し記述を深めてみよう。「概念を理解する行動」を観察してみると、これは「自分や他者が読んで(あるいは聞いて)納得できる内容になるよう、文章を組み立てる行為である」と説明できそうだ。

この「文章を組み立てる行為」とは、「概念という対象物を、言葉という道具で、つじつまが合うかたちで描写する行為である」とも言い換えられる。つまり、「概念を説明した文章」は、「概念を言葉という道具を使って描写した“絵”である」と見立てることができる。

こじゃれた言い方を公開文章に使うのは好きではないが、私は絵を趣味としてきたこともあり、この比喩はかなりしっくりくる。文章を書き出す時の内的感覚が、デッサンや絵を描くときの感覚と似ているためだ。

彫刻などのデッサンでは、白い紙(画面)にとりあえずアタリ線を描く。アタリ線を重ねながら、対象物をうまく表現できている線を画面中に見つける。その線を濃くしていく。全体を見渡しながら、場合によってはたくさんの線を思い切って消してしまうこともある。しかしヒントとなる線の跡が紙にうっすら残っているので、それを手がかりに再度、絵を仕上げていく。

まだ洗練されきってはいないものの、ある程度考えとしてまとまってきた私論を、文章として書き示すことを「スケッチ」と表現する向きもある。例えば、19世紀後半から20世紀初頭に活躍した科学者・哲学者のパースだ。『連続性の哲学』(岩波文庫、編訳は伊藤邦武)はパースの論文集で、ここにはパースの広範な科学的・哲学的知識に基づいた、精緻な思考の軌跡が書かれている。

目を通すと、「~についてスケッチする」という記述が見られる。先人の誰もが切り拓いていない概念を探索するために、言語を画材に概念を描き出そうとするパースの姿勢がうかがえる。

■瞑想会+お話会のおしらせ

2024年 6月28日(金曜日)18時30分から、東京都・文京区のプライベートサロンにて、「形而上学の夜&誰でもできる瞑想会」を開催予定です。瞑想が初めての人でも、また日々実践している経験者でも、深い瞑想に入れる瞑想法をナビゲートします。

またこの瞑想会では、「形而上学」に関するお話会も開催します。ここで言う形而上学とは、一般に言われる形而上学よりもさらに広い範囲をカバーした知識体系を指します。

形而上学というと「実務や実社会から離れた抽象論を知っても役に立たない」と思われるかもしれません。私たちがここで扱う形而上学では、「森羅万象の背後にある普遍的な知識」が説かれています。これを意識に留め置くことで、仕事、生活、人間関係など、生活の広い場面で、様々な恩恵を得ることができます。

ぜひ、ご都合を合わせて、ご参加ください。

なお、会場はお申し込みいただいた方にお知らせしています。また、参加費2000円(税込)は、当日現金にてお持ちくださいませ。

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■最後に

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