この季節にまつわる私のエトセトラ

昨年の今日の、1週間ちょい前は大学の後期の合格発表だった。
昨年の今頃は、今の大学への入学が決定しており、コロナで入学式がなくなることがわかっていた。

***

昨年の今日の、2週間前。

最難関の国公立大に合格した彼の合格報告に
同行したとき、彼の担任であり、私が2年の数学の先生としてや文化祭実行委員の際にお世話になったある先生のところへ挨拶に行った。

そして彼が他の先生のところへ挨拶へ行っている間にその先生と2人で会話した。

「ドットは大学はどこいくの?」

当時私は後期の合格発表待ちで、どうなるかわからなかったので、

「前期はA大学のスポ科に受かってます。後期にはB大学の心理学部を受けて結果待ちです。心理学部に行きたいので、後期受かっててほしいんですけどね…」

といったことを返した気がする。

先生は、「ドキドキやねぇ」と一言いったのち
「そうか…A大か…」とつぶやき、

「まあ、ここの高校の子らは本当にできる子らばかりやから。落ち込む必要はない。日本を担う社会の第一線で他の子らが頑張ってくれるよ。」

「ドットには人の上に立つ力、人をまとめる力があるから大丈夫。」

といった。

私には日本を担う社会の第一線で活躍する資格はないのか、と思った。

その先生の他にも、まだ受験を意識する前に私に京大を薦めてきた先生がいた。

「あなたと同じ生徒会副会長の人で、生徒会をやりながら京大に進んだ人がいるんです。
私もぜひあなたにそうなってほしい。
そしてあなたのような人に社会を担ってほしい。」

と。

当時の私は京大に入る力などないことはわかっていたし、そもそも私は早稲田志望であった。
その先生には結局会えなかったが、私が京大でもなく、その他国公立でもない、私大心理学部に入学したと聞いたらどんな反応をするのだろう。

この高校では
「学歴の低い(国公立ではない)」私に期待できることはないのだろうか。

ああ、私の選択はそんなに間違えだったのか、と絶望に陥ったのをよく覚えている。

今でも高校の先生たちのことは好きだ。
私に言った言葉は無意識なのだろうが、
先の先生のあの言葉だけは愚かだったと思う。

***

実は(というのもなんか仰々しいが)、
今の大学は第1志望ではなかった。

小4〜高2までは先の通り早稲田を志望していた。しかし、諸々あり国公立に志望転換をしてからは、旧帝大の一角を担う某国公立大の人間科学部を志望していた。無理でも、某公立大学文学部人間行動学科には滑り止まるだろうと思っていた。

しかし、ラストの年のセンターで失敗し、悉く計画は破綻。

・国公立
・現役
・(私レベルでも水泳を続けられる)
 水泳部or水泳サークルがある
・心理学を学べる
・家から行きやすい

この軸のすべてが叶う志望を取り下げなければならない中で、私は国公立へのこだわりを捨て、心理学を学べる私大に志望を切り替え、
残りの期間を過ごした。

とても屈辱だった。

現役でいくことは、親から課せられたことであり、むしろ私自身は別に浪人してでも志望校に入るつもりであった。
ただ、いつしかその考えは自分のものへと変わっていった。(詳細はまた別途)

私大は心理・社会学系とスポ科系を中心に受け、前期はスポ科のみ受かった。

心理学を学びたい私は納得いかず、後期を受けるといったとき、とても怒られ、反対された。

しかし、
・しつこく勉強と説得をし続けたこと
・スポ科大より心理大の方が家から行きやすかったこと
が高じて、過保護な私の親は渋々了承した。

前期の合格発表から2週間、勉強を続け、後期を受験し、合格し、現在に至るのが私である。

***

「まあ、ここの高校の子らは本当にできる子らばかりやから。落ち込む必要はない。日本を担う社会の第一線で他の子らが頑張ってくれるよ。」

そんな私にショックを与えるには
この言葉は十分すぎた。

センターを失敗していなければ、第1志望に受かっていれば、いや、もっと3年間勉強していれば、早稲田志望を変えなければ、
こんな惨めな思いはせずに済んだのか。

昨年の春の私は合格したあと、
たくさん調べた。

私の大学はS〜Fの中で、あるいはSSS〜Fの中で、何ランクか。あるところはAというし、Bランクという意見は多い。しかし、ひどいときにはCランクとかかれている。
第1志望ならSだったのに。

現役で私の大学は落ちこぼれなのか。
進学校からは落ちこぼれなのはもうわかっている。でも、一般的にはどうなのか。
十分優秀だ、と書かれた答えに縋りたくなっては、クソだという答えにうちひしがれそうになった。

親は
「あんたにしては上出来だ。十二分だ。」といった。
「1番良い選択だったんじゃないか。あなたが行ける中で1番いいところにいけた。」
と今でも言う。

その一方で、私の元同級生たちの進路を知るたびに
「みんな偉いなぁ」
「比べる必要なんてないんやで」
といわれると、とても悲しくなる。

私は"できない子"だったのだ。

数週間後、インスタを始めた。
インスタは地獄だった。(今でも別の意味で苦手だ。)

当たり前のように国公立や医学部に行った人がプロフィールに書いてある。
合格した!とストーリーに載せる人もいる。
そんな人たちをみると胸が痛んだ。

一方で私と同じように、失敗したのだろうな、という人には同じ痛みを共有したくなった。


そして、この時の私は「仮面浪人」や「編入学」を考えた。どうしても、第1志望にいきたかった。第1志望大の第1志望学部には幸い、編入学制度がある。失礼な話だが、3年次編入学をすることを考えつつ、私は今の大学に入学した。それだけが、私の救いだったのだ。
でも、見捨てるのはやめようと思った。はじめからその気で入るのではなくて、環境が合わないと感じるまでは、4年間通う気でいようと決めた。

***

それから数ヶ月が経ち、私は水泳のコーチの
アルバイトを始めた。

初対面の人に挨拶すると、
「大学生?」と聞かれる。
当たり前のように大学生だと答え、
「どこ大?」と聞かれる。
当たり前のように、私が今通う大学名をいう。

すると
「え!めっちゃ賢いやん!!頭ええんやな!」
と返ってきた。

最初はとてもびっくりした。
私の中では、私は落ちこぼれで、社会に出ても期待できない人であり、そんな私でも合格できた大学が賢いわけない、と。
偏差値は良さそうに見えるけれど、所詮、国英(社)の話であって、少ない科目数で偏差値が高いのは当たり前の話だと、思っていたからだ。

しかし、今でも水泳のバイトで、入ってくる新しい人に大学を聞かれ、私の大学名を告げると同じ反応が返ってくる。相手は短大生、高卒生、社会人だったりといろんな人がいる。

そしてやっと気づいた。

ああ、私の通う大学は世間的に期待できないような大学ではないんだ。十分、一流なのだ、と。

誰しもが、当たり前のように
小・中ののち、高・大と進んでいるわけではない。中卒の人もいれば、高卒の人もいるし、
大学ではなくて、専門学校の人もいれば、短大の人だっている。高校受験や大学受験を経験していない人の中でも、それは一貫校だから、という理由の人だっている。そのどれが悪いわけでも、良いわけでもない。

でも当たり前のように小中高大と進んだ私は、そうでない人でも知っていて、頭がいいと思ってもらえる大学に通えている。

その事実を知った時、今までの私はなんて小さな世界で考えていたのだろうと思った。

私は相手が高卒でも短大生でも、見下すことはなかった。「ああ、そうなんだ」と受け止めることができた。あるいは、「俺FランじゃなくてEランだから、へへ」と笑う人がいても、
下に見ることなく「ああ、そうなんだ」と受け止めることができた。

偏差値的に上のものに劣等感は感じても、下に優越感を感じることがない自分でよかった、と心から思った。


また、入学後に皆が皆、一般入試組ではなかった。むしろ、少ないと思われる。
推薦組、内部進学組が多い印象だ。
それでも、「実は自分推薦なんだよね」「内部進学なんよね」と打ち明けられた時、
「ああ、そうなんだ」と思った。
別に一般入試組だから偉いとも思わなかったし、勉強せずにきたその子たちと同じ学歴なことが馬鹿らしい、とも思わず、純粋に、
「そうなのか」としか思わなかった自分に驚いた。

でも、それらに気づいた時、私はもう学歴について考えるのはやめようと思った。


もし、仮に相手が嫌な奴でも、わからないことや知らないことが多い''アタマガワルイ"人だったとしても、それは推薦だからなわけでも、内部進学だからなわけでも、短大生だからなわけでも、この大学の人だから、なわけでもない。
その人がその人だからだ。

知らないことは知ればいいし、頑張りたいと思った時に頑張りたいと思えることを頑張れば
いい
のだ。

***

今の私は適度に学歴コンプを脱出し、就職に、将来に向けて動き出している。

学歴なんて関係ない、とはいえないけれど、
いつかそう言えるような未来を切り拓きたい。

私が大学名を告げて「ああ、そうなんだ」といいつつ少し小馬鹿にしたような目線を向けてきた人だっている。そんなしょうもない人を見返したいとは思わない。空虚なだけだから。

だけど、自分で目標を定め、その道で自分の思う成功をして、あの子馬鹿にしたような目線を、あんぐり開けた口に変えることができればいいな、とは思う。




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