見出し画像

【エッセイ】頑張る奴ぁ無条件に応援するぜぃ、って話2

ボクの夏休み。

疲れたら少し休もう。

本来は夏も演奏会であくせくしている。
しかし最近年齢のせいか
疲れてきてね。
夏休み的に少しペースダウン。
楽器を弾かない時間も大切にと
他のことに時間を取れるようにした。

それが功を奏したのか、
この夏は
ワクワクすることが増えてくれた。

今回は夏の想い出シリーズの続き。

お品書きはこちらでございやす↓


新たな出逢い

友人の音楽企画イベントで
たまたま知り合った。
静かな佇まいに反してどこか熱い。
直感的に自分と似ていると思ったのかも。
聞けば翌月ライブを開催するという。
実際に訪れたところまでが前回の話。

夏の暑い日 新しい出逢いを楽しんでいる

今回はその続き。
前回紹介したミニライブから数日、
今度はがっつりとライブやるよと
連絡を受け、ふらりと行ってきた。

JAZZとのこれまで

高校時代、部活の有志と毎年JAZZバンドを
組んで演奏してきた。
元々は発足人がJAZZ好きで
そこから毎年色々教えてもらった感じ。

発足人とは後年
仙台のJAZZフェスに参加している。
あの時はサポートメンバーで
1~2曲だがベースを弾いた。

オリジナルも本当は提供したかったな。
作ってはいたが
その後疎遠になってしまった。

今活動しているオーケストラのメンバーも
実はバリバリのJAZZメン。
フレンチ式の弓使いはソロ演奏のために
後から覚えたのだそう。

フレンチに興味はあった。
フランス音楽やるなら
やっぱりフレンチでしょ、
って思っていた。

なんやかんやで我流のフレンチを始めて
そろそろ2年くらいになる。

先のJAZZメンのライブも
数回お邪魔した。

アドリブの世界、
音楽を、音を通じて
彼らは会話している。

自分もいつかはトリオでいいから
バンド組んでやってみたいなぁとは
長年考えている。

お洒落な音楽バー

さて、この夏何かとワクワクする
出来事が続いてくれて。
この日もまだ見ぬ場所へと足を運ぶ。
最近出来たのだろうか
綺麗なバーだった。

地下へ降り
扉を開ける。
目の前にはバーカウンター。
右手にはちょっとしたスペース。
そこに彼らはいて
演奏していた。

ピアノ、ベース、ドラムのトリオ

ちょっと通いたいような雰囲気の場所。
お気に入りの場所ってのは
いくらあってもいい。

前回のイベントと違い
自分たちのライブ。
時間もたっぷりあるし
やりたいことを更に詰め込んだ印象。

合間に流れる映像も興味深い
途中この席で少し話せた

音楽から彼らの優しさが伝わってくる。
いい奴らだなって。

優しさが溢れる時間。

水の中に沈みながら
ただそこにぷかぷかと浮かんでいく。

他に何があるでもない。
音の中を彷徨いながら

夜の海をたゆたうようなライブ。

確かにあの曲がと
ちょっと話題にしたい時不便かもしれないけど
曲にタイトルを付けないっていうスタイルだ。

だけどそれがいいと思ったのだ。

タイトルは必要か

話すのが苦手だという
彼のMCはあっさりしていた。

「曲にタイトルをつけたくない。」

自分の中で考えていたことだが、
絵画や写真にタイトルがあり
短い説明文がある。
展覧会、展示会はそれを参考に
作品を眺めていく。

写真に特化したInstagramも
短いコメントによって
写真のみにフォーカスして
それを楽しむ。

ちょうど、各種SNSで
何が出来るだろうかと
使い分けを考えていたから。

タイトルの有無について
「分かるなぁー、その気持ち。」
と思っていた。

写真で一言、の大喜利があるように
添えるコメント次第では
受け手の印象も変わるはずだ。

他愛ない風景にも
訪れた背景だったり
その時の心情だったりを
プラスすると

見えてくる絵が変化するだろう。

写真技術のない時代は
絵画もより正確に写実することが
求められていた。

写真のように鮮やかで
動き出しそうなくらい
見事に描かれている。

やがて写実的から変化していき
描きたいものを描くように
時代が変化していった。

タイトルには
作品のイメージを補足する側面がある。

言葉にする時は
自分から離れて
客観的な思考で表現するから

言葉にならないことで
自分の中に留めておける。

自分で作曲していた頃も
題名は付けずナンバリングだけに
していたっけ。

作品のイメージを
人それぞれに任せる、委ねる。

そういう音楽があってもいいと思う。

自分なりのコミュニケーション

ボクも会話は得意ではない。
話し言葉で考えることは少なく
書き言葉で考えることが好きだ。

会話によって
頭の中をスッキリさせることが
少ないから

頭の中のキャパシティが
いっぱいになることもある。

そういうことを繰り返して
たどり着いたのが
書くことだったように思う。

コミュニケーションにおいても。
全打席ヒットを狙っていなくて

狭い狭いストライクゾーンに来たら
全力ホームラン狙い。
そんな風にしか話せなかった。

音楽しかないような人生がイヤで

好きなことをもう一度大切にしようと
趣味を広げていった。

運動は苦手だけど
スポーツにも考える余地がたくさんあるし

元々何となく好きなものを
ちゃんと(?)ハマってみたらいいじゃないの
ムーブメントが来て。

アナ雪の予告編きっかけで
ディズニーオタク復活したりとか。

繰り返し好きになっていい、
その発想が
今の自分を支えている。

そうこうしているうちに、

ほぼ初対面の人たちとも
会話に困ることが少なくなった気がする。

どんな角度からであっても
共通項を見つけられたら
スーッと話せるようになったのかな。

多趣味さによって他者にも
興味が持てるようになったのかもしれないね。

カンパーニュというパンがある。
カンパーニュ自体は「田舎」って意味。
語源のカンパニオには「仲間」という意味合いがある。

先日のイベントの時
実はパン屋を紹介してもらったのだ。
これがまた美味しくて。

古民家のパン屋さん
いいお値段だけどめっちゃうまい

家族や友人と
パンを分け合う。

いいなって思うことを
誰かと味わえるのって嬉しいものだ。

彼は今回誘ってくれた時、
「これからの紆余曲折を見届けてくれたら嬉しい。」
と言ってくれた。

見ていてくれる人がいるのは
嬉しいものだ。

こうして今
読んでくれているあなたが
いるということも。

そこにいてくれて嬉しい。

ありがとう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?