最近周囲がよく使う対極というちょっとワンランク上の言葉「いつまでも終わらないでと願う温かいサーカスの世界とは、対極にあった」
最近、仕事で一緒になる人たちが「対極」という言葉をよく口にする。
これまでの仲間間ではあまり聞かなかったワードだったので、脳内は多少戸惑ったものの瞬時に変換することができた。
対極という言葉を日常でも使えたら、ちょっとカッコ良いな。そんな単純な憧れだけが残った。
先日、タイトルだけで買ったエッセイを読み終えた。
内容は、タイトル通りパリでメシを食う人たちにフォーカスしたショートストーリーが並ぶ。
その一つに、Yukkiというヨーヨーパフォーマーについて書かれていた。
確かに、私が幼少期、ヨーヨーが大流行した。彼はそのブルーオーシャンにしっかり乗っていったのだろう。
ふと、どんなパフォーマンスをするのか気になって数日前に検索した。
検索結果画面を見て、手が止まった。
彼は26歳で死を迎えたという。
自ら死を引き寄せたのか、死を迎えたのかはわからなかったが、彼を追悼するファンのコメントが沢山出てきた。
私が検索して観た彼のパフォーマンスと同じかどうかはわからないが、著者は彼のパフォーマンスと彼自身についてこう記述している。
Yukkiの演技を見た後だったからなのか、どこか違和感があった。彼らチャンピオンたちはあたかも、対戦ゲームで次々と必殺技を炸裂させるキャラクターのようなのだ。それは確かにすごい。しかし、それ以上ではない。ユーロビートに合わせて、繰り広げられる超絶テクはどこまでもメカニカルで、目がチカチカした。それは、いつまでも終わらないでと願う温かいサーカスの世界とは、対極にあった。
私は最近耳にする「対極」という言葉を拾ったわけだけれども、区切りの良いところを切り取っても、素敵な表現だった。このハイコンテキスト文化の日本人らしく、やんわりと彼のことを表現している。そして、綺麗に褒めている。
そんな表現を、日常でも、ビジネスでも相手に伝わるレベルで活用したい、なんて思う。
今はまた、タイトルだけで買ったエッセイを読み進めている。偶然にも同じ著者であることに今気づいた。
奇遇にもこちらの今日の投稿でも、生死について触れている。
昔なら、こういった情報を得るとやるせない気持ちになるばかりであったけれど、今は違う。今は自分にできることを日々、粛々とやるだけだと力まなくなったからだろうか。
最近、夜な夜なランニングしていても思う。ランニングも同じで、辛くても、ただ一歩一歩前に足を送り出す。マラソンも人生もその繰り返し。
生き急ぐ気持ちもわかる。私ではわからない大きなものを背負っている人もいると思う。それでも、やることは変わらない。そう思う。
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