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コトバツムギ

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気になる言葉、魅力的な言葉を集める共同マガジン「コトバツムギ」。ライティングスクールで一緒に学んだスミヨ。と、もりやみほが運営中です。 月・木:もりやみほ 火・金:スミヨ。
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記事一覧

笑いに変える魔法の言葉

「彼氏に、元カノの名前と間違われたんだけど」 とある昼休みの食堂で投下された爆弾発言。カレーライスをふたくち口に運んだ頃だった。長いテーブルに座っていた5人が、一気にガタンと椅子を動かした。 「え、ヤバいねマジで」 「それはない」 「最悪最低」 彼氏への悪口が矢継ぎ早に飛び交う。当の本人は、もくもくとお昼ご飯をほおばっている。怒りきれていないような、ちょっと戸惑いがあるような、何か言いたそうで出てこない口をしながら。 悪口は気が済むまで続くかと思った。しかしちょっ

粋を気取る「蕎麦をたぐる」

どの記事にもそれに即したトンマナがある。使用頻度の高い言葉も、どくとくな言い回しも。それに合わせることが必ずしも「正」ではないけれど、“知っていて使わない”のと“知らない”のとで大きく違うよなぁと思う。私はもっと、書く媒体ならではのトーンや言い回しを知ったうえで、使うのか使わないのかを判断したい。 そんな風に思い、夏に買った観光雑誌を引っ張り出して、見慣れない単語探しを始めてみた。今見ているのはこの雑誌。 そしてさっそく初めて見る表現が目に入った。 「蕎麦をたぐる」……

追いコメントで納得感が出る。「判官びいきの心理」とは。

最近、電車で日経新聞をさら見する。 チラ見ではない。さら見、だ。 さらっと見て、気になるタイトルに目を止め、そして簡単に斜め読みする。 なんてカッコいいこと言うけれど、現実は春秋を読んでいる。 春秋しかり、天声人語しかり、一面にあるという構成が素敵だと思う。 連日続く米国大統領選挙の報道は、いくばくか日本の政治報道を上回っている気がする。それほど日本中が注目しているわけだから、当然のように春秋も大統領選挙に関する内容だった。 その文章ではっとしたのは、こんな表現だった

四季を愛でることば「木枯らし一号」

「なんてロマンなことば!」 会社のslackでタイ人編集者が感嘆のメッセージを挙げていた。彼は「木枯らし一号」という言葉にひどく感動したようだ。 その感動は記事にもあらわされた。本人に詳しく聞けていないから、Googleの自動翻訳に聞いてみる。つたない日本語で訳された記事によると、季節の訪れを伝える表現が、とてもロマンチックに聞こえているようだ。 確かに、私たちが“木枯らし”と呼んでいる風は、言ってしまえばただの寒い北風だ。Wikipediaによると「日本の太平洋側地域

社会を動かす“言葉使い”

その物事がおもしろくなるか否かは、“名づけ”でかなり差が出るんじゃないか。 ある事象が世に広まるかどうかは、“名づけ”が運命を握っているのではないか。 ものごとに名前がつくとそれはちゃんと認識されるし、どう認識されるかはどう名づけられるかによるんだなぁと、見逃し配信Tverを見ながら思った。 先日の「あざとくて何が悪いの?」は、中島健人の名づけが神がかっている回。あざといメンズの行動ひとつひとつを、独特な言い回しで表現する。 さりげなく「好き」が伝えられる男の子は「好

言葉のチョイスで知的さを、終わり方でユーモアを「泉下の先生も定義に困っていまいか」

中学生の頃、朝日新聞の「天声人語」を読むのが好きだった。 誰が書いたかわからないが、文調を好んで読んでいた。 中学生の私は、朝ごはんを食べながら新聞をこんな流れで読んでいた。 まず、一面。気になるタイトルを眺める。 う〜ん、ない。あ、今日の天声人語は何かな。ふむふむ… よし、TV欄。さっと見て終わり。そんなにTV観ないのよ。 続いて社会面。ここはじっくり読む。なぜなら、当時は一番自分に近い情報が載っていたから。 でもさ、中学生の私よ。天声人語を読むところまでは良いと思うん

また良い返しができなくて知識の差を感じた「少年易老学難成のごとく、、、」

故事諺は、覚えるのが大変だ。 中学受験の時に、できる限り覚えたものの、使わないとあっという間に脳から消えていく。 知らず知らずのうちに、自分が楽な方に楽な方にと進んでいく人間だから、致し方ないのかもしれない。 また恩師に言われた言葉に、反応できなくて猛省している。 今度は漢文で習ったでしょ?なんて言われてしまった 「『少年老いやすく、学なりがたし』ってところなのよ」 ご存知の方が多数だと思うが、念の為、言葉の解釈を。 学びが必要だとわかっていても、年を老いていかないと

大切な存在を自分で消さないために

考えても意味のないことを頭の中でもんもんと巡らせてしまうとき。自分は独りぼっちだと考えてしまったとき。自分なんて必要とされてない、愛されてないと、自分だけの殻に閉じこもってしまったとき。 これまでよく、「私を大事に思ってくれる人は一人もいないんじゃないか」と思うことがあった。そのたびに“思ってくれる”なんて受け身じゃだめだ、自分が誰かを大事に思えばきっと自分にも返ってくる、とも思っていた。けれど、「大事に思ってくれない人を大事にすることって、できるのだろうか」とずっと疑問だ

新鮮な反応「恥ずかしいので、そんなに詰めないで」

職業柄、日々ロジックを考える。 性格からか、「なんで?」「え、なんで?」と興味を抱いて聞いてしまう。 そんな風に職場以外の後輩くんに接していたら、こう反応した。 「恥ずかしいので、そんなに詰めないでください」 "恥ずかしい"は、詰められて返答できない自分が恥ずかしいという意味にも解釈できるが、今回の場合は恥ずかしいから詰めないでほしいという逆の流れだ。 この新鮮さに共感を覚えてくれる人がどれだけいるだろうか。 後輩くんのニュアンスは、そんなに詰められると内面をえぐら

歴史から言葉を引用して「百家争鳴だけど…」

小学生や中学生の頃、あんなに懸命に覚えていた四字熟語は、今となってはほとんど使えていない。なんのために覚えていたのだ、と思うことがある。 先日、聞き慣れない四字熟語を耳にした。 「百家争鳴だけど…」 ヒャッカソウメイ? なんのことだかさっぱりだった。 どうやら調べてみると、四字熟語でもなく歴史の出来事を文字った表現のようだ。 言葉の由来は、百花斉放百家争鳴から来ている。 これは中国の政治運動を指していて、人民からの主張を歓迎するという運動だった。 つまり、「百家争鳴

社会における、人生における“障害”とは

人は、人生でどのくらいの人に出会うのだろう。どのくらいの人の気持ちに寄り添い、理解したいと思えるのだろうか、と考えた。そんなふうに思ったのは、週末に読んだマンガがきっかけだ。 話の内容はよくあるラブコメディなのだけど、カップルの男の子がヤンキーで、女の子が弱視という、いわゆる“普通”からはちょっと外れていると思われてしまう二人。だからこそ、「よくあるラブコメディ」の中に考えたことも無いような視点が入っていて、思わずホロリと涙が流れてしまうストーリー。 その中で、「そもそも

「多すぎるほどの質問をなげかける」ときの心情

佐藤友美さんの音声配信「深夜のラブレター」が好きでよく聞いている。編集やライティングに大事なことが、約5分間の中でさらっとまとまっていて聞きやすいし残りやすい。最近とくに印象に残ったのは、「語彙力より重要な力とは?」だ。 この配信を聞いて、しばらく触れていなかった本を手に取って眺めた。中には75の感情を表す単語が書いてあって、“外的なシグナル” “内的な感覚”など、その感情を示す表現が見開き1ページに書かれている。人の身体表現を書くことが少ないので、パラパラと何回か眺めてそ

感情は振り子のように。「悩みは、感動の種である」

数年前の冬のこと。心を無にして日々すごしたいと思って、ブッダの教えをひたすら読んでいるときがあった。体を支えきれなくなったビーズクッション、家から駅までの道、スーパーからの帰り道。もう戻ってこない思い出に耐えられず、悲しみを感じずに過ごすにはどうしたらいいのかと考えたのだ。 ブッダの教えには、どんな時にも平常心を保つよう、一つの感情にとどまらないことが書いてある。楽しいときも悲しいときも、その感情に執着せずに解き放つ。苦しみから抜ける方法には、そんなような言葉がつづられてい

文章に動きをつけるオノマトペ

私の仕事のひとつに、4コマ漫画のディレクションがある。ひらがな、カタカナを覚えた海外の人向けに、やさしい日本語で書かれた漫画だ。 ネタやイラストは日本語教師の方が担当していて、実際の授業で生徒から出た質問や間違いをもとに描いている。その中で上がった題材のひとつに、「日本語はオノマトペが多くて難しい」というものがあった。 粘り気があるものが“もちもち”と表現するとか、雷の音と、大きな何かを転がすときの音は違うのに、同じ“ゴロゴロ”で表せるとか、「なんで?」と聞かれるとうまく