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noteで「スキ」を押せない心理

noteの記事に「スキ」を押せない自分がいた。


「あれ?なんで僕は今『スキ』を押すのをためらったのだろう?」

そうだ。この記事にはまだ「スキ」がついていないからだ。

人の尺度でしか価値を測れない人間になってるんだ。

自分が良いと思ったものを良いと言えずに、他人の評価に合わせて生きてきた弊害がnoteの「スキ」の押し方にまで投影されてるんだ。


なんかもったいない生き方しているなあ。

現実では難しくても、note内では自分が「スキ」かどうかくらい自由にすればいいのに。


小林賢太郎さんの著書「僕がコントや演劇のために考えていること」の一節「自分で決める力をやしなう」にこうある。

僕は観たい映画を「面白そうかどうか」で決めます。ところが、インターネットで調べようものなら、出てくるのは批評ばかり。僕が知りたいのは、誰かが個人的に思った悪口ではありません。製作費じゃありません。どんな賞をとったかではありません。知りたいのはただひとつ「その作品が僕にとって面白そうかどうか」、これだけです。

他人がどう思ったか?ではなく、「自分にとって」どうだったか?

自分の心の声に耳を傾けて生きていきたい。


まあでも、「そんなすぐには自分を変えられないよな」と思い直しつつも、

それでも小さな一歩として、静かにそっと「スキ」を押す。

皆さんも”そっと”でいいので「スキ」押してくれると嬉しいです。

ではでは!


小林賢太郎さんの著書「僕がコントや演劇のために考えていること」のリンクはこちら


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