「哲学的な何か、あと数学とか」を読んだ感想(のようなもの)[前編]
哲学の入門書とかを読むのが好きだ。
哲学の原書は難しすぎて挫折してしまう。だから、現代の人によって分かりやすく書き下された入門書で幅広くさらっていくくらいが丁度いい。
今回紹介したい本もその一つだ。
飲茶著「哲学的な何か、あと数学とか」
本のタイトルからすると、哲学の話が主で、数学の話がサブで書いてある印象を受ける。
しかし、内容は「フェルマーの最終定理」という未解決問題に取り組んだ数学者たちの軌跡を描いたものである。
ただ数学的な知識が無くても読み進めることができるので、むしろ数学は苦手でも、数学者の人生に興味がある人にはおすすめ。
読んで思ったことをまとめていこうと思う。
実用的には十分使える精度の高い答え
オイラーが生み出した計算法
オイラーの章を読んで、「必要なものを過不足なく提供する」重要性を感じた。
オイラーが生み出した計算法は、「厳密な答え」ではないが、「実用的には十分使える精度の高い答え」を出せるそう。
当時から数学は”科学の道具”として、船の設計や運行などに使われていたらしい。
そこでは、必ずしも厳密な答えにこだわる必要はない。
むしろ厳密にすればするほど、それにかかる費用や時間も膨大になる。
現実世界での活用を考えれば、「必要なものを過不足なく提供する」ことが重要なのだ。
顧客が本当に必要だったもの
僕はここで「顧客が本当に必要だったもの」を思い出した。
それぞれの絵の解釈についてはニコニコ大百科の項目を参照してほしい。ただ絵を見ただけである程度想像は出来ると思う。
そこがこの絵の秀逸なところだ。
なお、各絵の全てには深い意味が込められているので、興味がある方はぜひリンクから飛んで、読んでもらいたい。
話を戻そう。
オイラーの計算法は「顧客が本当に必要だったもの」だったんだな。
自分自身が工学系の研究をしているからこそ、独りよがりになってはいけないなと感じた。利用する人のことを考えた開発をしなければ。
サンクコスト
努力は普通に裏切ってくる
本書では、「フェルマーの最終定理の証明に生涯を費やしたものの、達成できなかった人」の想いが描かれている。
具体的な氏名は出てこないので(歴史に名を残す偉業を成し遂げてないから当然だけど)、おそらく著者が想像で無念の思いを代弁したのだろう。
このエピソードから、「費やした労力に見合うリターンが得られるかどうかを冷静に見る」必要性を感じる。
諦める重要性
「諦める」ということも時には必要だろう。
”諦める”というと、マイナスなイメージがあるかもしれないが、そんなことはない。一度踏ん切りをつけることで、また新たな一歩を踏み出せる。
自分が自然に輝ける才能や環境を見つけるチャンスに恵まれるとも取れるのだ。
とは言っても、なかなか人は諦めきれないものだ。
そこで、「サンクコスト」という概念を持ち出してほしい。
「サンクコスト」という概念
サンクコストとは、「過去に払ってしまい、もはや取り戻すことができない費用」のこと(「錯思コレクション100」より引用)。
今回の例でいえば、「フェルマーの最終定理を解くために費やしてきた労力や年月」がそれにあたる。
「これだけ労力や年月を費やしてきたのだから、今止めてしまえば全部無駄になってしまう」
そう感じて、引くに引けない状態になる。
しかし、そこで”諦める”という踏ん切りをつけないことで、さらに”損失”が拡大することになるのだ。
ここで、「潔く諦めて次に進む」という行動が、利益を生み出すきっかけを作ってくれるかもしれない。
泥沼にハマっていると少しでも思ったら、「サンクコスト」を思い出してほしい。
また、「諦める」ということについては為末大さんの「諦める力」に詳しく書いてあるので、これもおすすめ。
長くなってしまうので、後半に続きます。
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