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IKEAのコーヒーが教えてくれた性善説

 イケアのカフェに行った。物価がどんどん上がるなか、50円のコーヒーと100円のシナモンロールでくつろげる場所は貴重だ。

 コーヒーを頼んで、カウンターにコップをもらいにいくと、爽やかな笑顔のお兄さんに、「コーヒーは1杯のみご利用ください」と言われた。

 「1杯のみ」ってどういうことだろうと思いながら、ドリンクバーに行ってみると、なるほど、飲み放題のファミレスみたいだ。周りに店員は誰もいなかった。これは確かに、しれっと2杯目を飲みたくなる人もいるだろう。

 わたしは言われた通り、コーヒーを1杯だけ飲んだ。そして、なんとなく気分が良いことに気づいた。監視の仕組みや罰則がなくても、この店からわたしは信頼されているという、小さな喜びを感じたのだ。

 そして、高校でスウェーデンに留学していたとき、この不思議な信頼の感覚を頻繁に感じていたことを思い出した。

 留学先は結構な田舎で、始発から終点までが4時間くらいの長距離バスで学校に通っていた。乗車時に「どこまで?」と聞かれ、行き先までの料金を先に支払う。バスの中は夜行バスみたいに真っ暗で、誰がいつ降りたか全然わからなかった。近いバス停と終点だと料金が1万円くらい違うのに、口で言った行き先を信じてもらえるのが不思議だった。

 政治についても似たような側面があった。選挙投票率が常に85%以上を維持しているスウェーデン。留学先のホストファミリーはごく普通の家庭だったけれど、毎日のように政治について家庭内で議論が行われていた。

 そして、政治や、行政のサービスは国のために行われている「基本的に良いこと」という認識を持っていた。良い国を作るために高い税金を払うことは当たり前だと、同級生が言っていて驚いたのを覚えている。スウェーデンでは、政治に対しても「性善説」が存在することを感じた。

 留学を終えてから、10年以上が経った今、世界の情勢は大きく変化している。政治は二極化が進み、起きないと思っていた戦争も起きた。スウェーデンでも、移民に排他的な極右政党が躍進している。日本でも、貧困率や物価が上がり、やるせない閉塞感を感じることが増えてきた。

 それでも、わたしは性善説を諦めたくない。コーヒーをすすりながら思った。なんの根拠もないけれどあなたを信じてるよ、という社会は素敵じゃないか。

「あなたもわたしも基本的にいい人」という前提があると、性善説に基づいた社会を作ることができる。そのためにはやっぱり心の余裕が必要だ。経済も安定していた方がいいだろう。そして、それ以前に幼い時から「見知らぬ他者への信頼」を構築することが何より大切だと思う。

 監視しなくても、証明しなくても、人を信じられる。どうしたらそんな社会を作ることができるだろう。

 美味しい一杯だった。


©︎2023   もりあゆこ

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