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おじさんのかさ

朝から雨が降っている。ウサギは窓の外を見つめ、小さくため息をついた。「雨の日が嫌いってわけじゃないんだけどね」灰色に煙った外の景色は、いつもより少し寂しく見えた。

「こんな日には、あの絵本が読みたいわ」
彼女は窓から離れて、小さな本棚の前に立った。揺れる瞳で背表紙をなぞると、その中から一冊の絵本を取り出した。そして窓辺に腰を下ろすと、柔らかい雨音を聴きながら、ゆっくりとページをめくり始めた。

物語の中に出てくるおじさんは、いつも傘を持ち歩いているのに、けっして傘を開かない人だった。雨が降っても、傘を抱えて濡れながら歩いたり、厚かましくひとの傘に入ったりする、少し変わったおじさんだった。

「でもね、大切だから使えないものってあるのよね。だから、このおじさんの気持ちはよく分かるの」

彼女は一旦顔を上げ、部屋の中を見回した。「私なら、例えばハンカチかしら。本当にお気に入りのものは、もったいなくて使えないもの。額縁に入れて壁に飾りたいくらいよ」彼女はうっとりと目を細めた。

「使わないと意味がないことは、冷静に考えればもちろんわかるわ。でも、好きな物の前では冷静でいられないのよね」彼女はちょっだけ口を尖らせると、本の世界に戻り、そっとページをめくった。

「このおじさんは、かわいいところがあるのよね。傘をさして歩いている子どもの歌を聞いて、つい好奇心があふれてしまうの」と、微笑みながらページの先に目を走らせた。

「そして、物語の最後の奥さんの言葉が大傑作なの。笑わずにはいられないわ」ウサギは読み終えると、そっとページを閉じた。

「この本を読んでいたら、私も傘をさしてみたくなったわ」彼女は玄関で長靴を履くと、三本ある傘の中から取っておきを選んだ。

「今日はこの傘の気分なの」と彼女は言いながらドアを開けて外に出た。そっと傘を開いて雨の中に一歩踏み出すと、奥さんの言葉が頭をよぎり、思わず笑ってしまった。

物語の最後で、奥さんはこう言っていた。
「あら、傘をさしたんですか。雨が降っているのに」

※おじさんのかさ
佐野洋子 作・絵/講談社

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