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相対性理論で人生長生きの秘訣を探る

相対性理論をめちゃめちゃシンプルな言葉で説明すると、「時間や空間は相対性を持つ」となる。要するに観測する人によって、時間や空間の感じ方が異なるという意味である。

身近な例で言えば、『小学校一年生の一年間』と『43~44歳の一年間』の長さは全然違うものに感じるだろう。もちろん客観的観測では同じ長さの時空だが、何故か明らかに前者の方が長く感じてしまう。皆さんも経験則で何となく共感していただけると思う。

一方で、アインシュタインは「光の流れは絶対的」としている。慣性系(恒星とか)から発せられた光の速さは完全同一と言うことだ。別々の時間軸を持っている人類がひとつの時間軸で統一できるのも、光の速さが須く同一であり、同一な条件を基にして時間を設定しているからだと言える。


簡単にまとめると、

①光の速さという絶対的(一般的)な基準がある。これが普段使われている時間。

②個々人によって違う相対的な時空間がある。これが実際に僕らが感じている時間の長さ。(同一の人物であっても時点が違えば時間の速さは違うように感じる)

③②で示される時空の歪みがアインシュタインの相対性理論の要。

となる。




さて本論。

先日ゼミの教授が、

ここ数年、1日がやけに長く感じるのに、いざ思い返してみるとめちゃめちゃ短く感じる。

(反対に)青春時代のときはあっという間に時間が過ぎていったが、思い返してみるとめちゃめちゃ長かったように感じる。

と仰った。これはまさしく「相対性理論」でいう時空の歪み(②③)だ。同じ大きさであり速さを持つ時空間のはずなのに、見ている視点が異なると全く別物のように感じる。

教授はこの時空の歪みについて、

毎日が激動していると時間のスピードが(その時点では)早く感じる。けど後で振り返ってみたら、その時点にいろんな事件が集中しているから長く感じる。

反対に日々がなんとなく過ぎていると、そのルーチンワークに慣れてしまい時間が長く感じてしまう。けどいざ振り返ってみたら、その間同じようなことしか起きていないので(思い出す事件が少ないために)短く感じてしまう。

と独自の仮説を立てていた。


この仮説、あくまで教授の感じ方ではあるが、僕も似たようなことを感じている。

直近二ヵ月、僕は、

・朝バイトをして昼から大学に行き、夕方から陸上競技の練習をして帰宅して寝る
・朝バイトしてから陸上競技の練習をし、帰宅したらゲームしたり就活したりする

の二パターンで終始するような生活を送っていた。

毎日が単調で事件も少ない、ただただタスクをこなし続ける日々。一日一日はそれなりに長さを感じたものの、いざ振り返って見ればあっという間に過ぎ去ってしまったような気分だ。


「長生きする」ことを目標にしている人によく出会うが、僕はこれ結構難しい問題だと思っていて、

⑴充実していればしているほど、一日一日が早く感じる。体感人生を短く感じる。だが思い返してみれば、長い人生だったような気もする
(例)青春時代、何も考えず恋に必死だったころ

⑵毎日が(つまらない)単調なルーチンワークになっていればいるほど、一日一日が長く感じる。だが思い返してみれば、短い人生だったような気もする
(例)スケジュールが変わらない、平日仕事して休日休む生活

⑶毎日が(楽しい)単調なルーチンワークになっていればいるほど、一日一日が短く感じる。思い返しても短い人生だった気がする
(例)ゲーム三昧、好きな趣味を永遠とする生活

という風に、一口に「人生長く生きる」と言っても色んな生き方があるな、と感じている。


で、僕自身どれも嫌だなと感じていて(どうしても選ぶとしたら⑴だけど)、せっかくなら充実した長い人生を送って後で振り返ったときも「長くていい人生だった」と思えるような人生を生きたいと思う。


もうここまで来たら科学というよりも哲学に近い気もするが、相対性理論の真髄に近づくことで「どうすれば時間を長く感じることが出来るか」「どうすれば充実した人生だったと言えるか」知りたいと思っている。

卒業論文の内容決まったかもしれない(法学部担当教授「は?」)





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