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百年前の句の中に


尾崎放哉は苦しんで、全部を投げ打って、良い句を作っている、百子ちゃんと似た生き方をしていると、友人が嬉しいことを言ってくれたので、今読んでいる。


爪切つたゆびが十本ある

ねそべつて書いて居る手紙を鶏に覗かれる

畳を歩く雀の足音を知つて居る

入れものが無い両手で受ける

花火があがる空の方が町だよ

すばらしい乳房だ蚊が居る

花がいろいろ咲いてみんな売られる

傘にばりばり雨音さして逢ひに来た

氷店がひよいと出来て白波

をそい月が町からしめ出されてゐる

淋しい寝る本がない

海のあけくれのなんにもない部屋

行きては帰る病後の道に咲くもの

つくづく淋しい我が影よ動かして見る

考へ事して橋渡りきる 

こんなよい月を一人で見て寝る

昼だけある茶屋で客がうたつてる 

二人よつて狐がばかす話をしてる

写真とつて歩く少し風ある風景

椿にしざる陽の窓から白い顔出す

冬帽かぶつてだまりこくつて居る

淋しいぞ一人五本のゆびを開いて見る

あかつきの木々をぬらして過ぎし雨

一本のからかさを貸してしまつた

月夜戻り来て長い手紙を書き出す



尾崎放哉『尾崎放哉全句集』村上護 編  筑摩書房(2008年)より


百年前の句の中に、今を生きる人と何も変わらない感覚と孤独が存在していた。馴染み深く、ありふれていない。
百年前の町並みをスマホでのぞけば、月のように遠く感じられるけれど、情景や生物を見つめるその心情は、なんて近いのだろう。

私の目に映るものは、なぜか泣けてくるものばかりだ。
みんないつか死んでしまうし、自分自身がそう。そんなことを考えると、たまらなくなる。
人や動物や物や自然。気温とは無関係なぬくもり。ただひとつの時間を寄せ合って生きている。
とてもささやかな瞬間に、心を動かされていたい。通り過ぎてゆくものをつかまえたい。
生きることに素直でありたい。
微熱に似た感覚を、忘れてしまわないように。
純粋に、静かに、自分自身の奥底にある文学を探したい。



放たれる時も言葉も一瞬の瞬きなのに永遠を知る


今は亡き心もいつかあたたかい場所で眠ると信じていた日


あと百年生きない私たちのために誰かの声が生き続けている





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