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不便益を科学する Between A and B

昨年、とあるPodcastを聴いている中で「不便益」という言葉があることを知りました。簡潔に言えば、「便利さの追求」とは異なる価値軸として「わざわざ手間を掛けること」に良さ(=益)を見出そうとする考え方のことです。具体例としてよく引用されるのが、仮に富士山にエレベーターがあったとしても、登山客たちはわざわざ自分の足で登ることを選択するだろう、という話です。このような考え方を、概念として体系化しようとする人たちがいることに、人間の面白さを感じたことを覚えています。

その時は「不便益」について解説した書籍を一冊読んだだけで、このテーマについてあまり深く考えることもなく、時が経つ中で記憶からも消えかけていました。ところが、最近まったく関係ないテーマを調べていて読んだWEB記事の中で再びこの言葉と遭遇することになり、実は、人々がコロナの影響でこれまで通りの「便利な生活」を送れなくなっている今こそ、「不便益」についてもう少し深く考えてみるべきタイミングなのではないか、と思うようになりました。

「不便益」というコンセプトの理解をもう一歩進めるためには、「便利であるとはどういうことか」という問いと向き合う必要があります。当時読んだ書籍にも書かれていた着眼点は、便利さは「人を楽にはするが、楽しくするとは限らない」というものであり、そこから導かれる「不便益」の理解としては、「楽ではないけれど、楽しいこと」になります。

個人的な話で言えば、毎朝コーヒーを豆から挽いてマグカップ一杯分をドリップし、温めてフォーマーで泡立てたミルクをその上に注ぐ、という10分程度のルーティーンから一日をスタートします。近所のコーヒースタンドでバリスタが淹れる一杯を買ったり、自宅に全自動コーヒーマシンを置いてボタンひとつで美味しい一杯を飲んだりすることのほうが、もちろん“楽”ではあります。しかし、自分で手間を掛けて一杯のコーヒーを淹れる時間は、(忙しい朝に少し面倒だなと感じる日もありながらも)やっぱり楽しくて尊いものであると日々感じています。

このような事例は、考えてみれば私たちの生活の中にたくさん存在しています。掃除をすること、料理をすること、紙の本を読むこと、フィルムカメラを持つこと。人は、ある地点から目標地点への変化に関して、その「過程」よりも「結果」を見ようとする癖があります。しかし、人生の意味や物語は、A地点からB地点への移動という「結果」ではなく、その「過程」の中にこそ紡がれるものです。その真実を見つめることの大切さを、「不便益」は私たちに気付かせてくれます。

スティーブ・ジョブズがAppleを追放された後、よく言っていたとされる言葉があります。
「The journey is the reward. Not the destination. 」

人が「こだわり」と呼ぶものは、「面倒なことを楽しむ」という精神性のもとに生まれるのかもしれません。自分が大事にしたい「不便益」は何かと、改めて考えてみたくなりました。

NOTES:
『不便益システム研究所』のWEBにて「不便益」についての解説を読むことができます。
さらに詳しく知りたい方は、こちらの書籍をどうぞ。

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本当に仕事で疲れた日や、一週間の終わりの金曜日。なんとなく帰り際に行きつけの店で一杯、という流れが多いのではないかと思います。そんな日にこそ、あえてまっすぐ家に帰り、自分の手でこだわりのジン・トニックを作ってみる。いつもよりさらに一手間掛けて、カットライムを添えるのもよし。「不便益」に学ぶならば、そんな選択も楽しめるようになりそうです。やってみると意外とそのほうがリラックスした時間を過ごせた、なんていうこともあるかもしれません。
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