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マンネリの哲学 Just One Thing

昨年3月に亡くなった志村けんの晩年を特集したドキュメンタリー番組を見ました。

その中で、晩年も彼が「ベタな笑い」にこだわり続けたことが描かれています。「みんなベタなことはバカにしてやらないけれど、ベタなことをタイミングと間をよくやったら、すごくいいものになる」と彼は語ります。「またあれだ、というマンネリが好き」「何回見ても面白いのが理想」という彼の平易な言葉の中に、「バカ殿」をはじめとする国民的ネタを生み続けた哲学の奥深さを感じます(役を演じていないときは、とても口数の少ない人だったそうです)。「王道を極める」というその思想の中に、「シンプルでこだわりのある生き方」の学びがあるのではないかと思います。

ダチョウ倶楽部が、看板ネタ「どうぞどうぞ」がウケなくなったとき、そのネタをやめたことがあるといいます。そのとき、志村けんはそれをしっかり見ていて、「自分たちが飽きちゃダメだ」と怒ったそうです。面白いものは、一回一回を真剣に、全力やればウケるんだ、と。「マンネリまでいくのが大変」と語る志村けんの言葉が妙に心に残り、「マンネリ」という言葉の語源を調べてみると、驚くべき真実と出会いました。

「マンネリ」の語源は、元々イタリア語の“maniera”で「芸術家の手法」という意味。偉大な芸術家の手法を変化させることなく伝えることの大切さを教える言葉だったといいます。いつしかそれが、「型にはまったもの=新鮮味がないもの」という解釈に変化し、現在使われているような、語源とは逆の意味へと変化してきたようです。この真実は、「マンネリ」と感じているあらゆる物事が、自分の中で完成と言える次元まで追求できているか、という自分への問いかけへと変換されます。

志村けんの著書「変なおじさん」の中で、今はなんでもできるマルチな人の時代から、自分のような生き方は時代遅れなのだろう、という内容が書かれている箇所があります。しかし、そのあとに続く彼の結論は、「人生の中で本当に好きなものがひとつあって、それをずっと続けてこられたのは、すごく幸せなことだと思っている」というものでした。Swan Labの思想は、「シンプルでこだわりのある生き方」を、現代的に追求していこうとするものですが、ひとつのことを突き詰めることの険しさと豊かさについて、そしてその現代的な意味について、改めて考えさせられます。

まずは、今の意味での「マンネリ化」してしまっている物事への向き合い方を、見つめ直してみること。そして、本来の意味での「マンネリ」の態度で、明日からを生きてみたいと思いました。

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「王道を極める」といえば、やっぱりジン・トニック。SIPSMITHを使って、ジンベースのカクテルに色々チャレンジしてみるのも楽しいですが、一回一回を真剣に、全力で王道のジン・トニックをつくってみる。その「マンネリ」の態度こそが、一杯の体験を最高のものにしてくれるのかもしれません。

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