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桜吹雪の中ママは死んだ

この恐ろしい程に一気に咲く桜…
美しく壮大に咲く桜に、
毎年毎年、
苦しめられている私がいる

1996年4/9の午後
パリ郊外にある
アメリカン・ホスピタルで
検査結果を聞いていた。

寒いのに、仕事を抱え
夢中になると三中夜位は寝ずに
いろいろやっていて
膀胱炎から腎盂炎に
なりかけの状態だった。

家に夕方帰ると、父からの留守電が。
「ママが倒れたので、
すぐに帰ってきなさい」
日本時刻0:00位…

とりあえず電話して
「倒れたってどういうこと?
入院したの?意識ないの?」と聞く

「ママが死んだので、
すぐに帰ってきなさい」

………

最悪だった…

旅行代理店に勤めてる友人に
今晩の成田行き直行便に
乗れるか聞き、
19:30くらいだったかな?の
ANA便が空いていると

家を出るのに1時間もない

猫のBettyちゃんの世話を頼み、

日本で着る服?
喪服?なんてないけど、
黒だったらいいっかと
黒のミュグレーのスーツ、
他に何を詰めたのか?
日本では何の役にも
立たなかったモノばかりだった

とにかく、
シャルル・ド・ゴール空港に向かう
チケットはどうしたのかなんて
覚えてないけど
ギリギリ、チェックイン出来て、
買い物する間も無く、最後に搭乗

飛行機は飛び立ち
約12時間の旅だ

キャビンアテンダントが、
いつもの様に
緊急時の、ベストの着方とか
簡素マスクの使い方とか
説明している…

最初の夕食の機内食が出てきた
少しだけお寿司もどきのモノが
入っていて、
桜の花みたいなのも入っていて
あー日本だなぁって思ったら

涙が溢れてきて
成田に着くまで泣いていた…

「具合が悪いのですか?」と
アテンダントの人が聞く

「おしぼりの冷たいのを時々
持ってきて下さい」と頼んだ

成田に着くと、誰もいない…

そうだった
いつも迎えに来てた
ママはいないのだった…

電車に乗った事あったっけ?

その前に現金がない。

パリでおろしてくるの、忘れてた!
換金も出来ない
お財布の中は
250プラン(5000円)!

ま、とりあえず250フランを換金
手数料引かれて
4500円くらいだったか?

それでとりあえず
所沢まで帰ろう!

今みたいにスマホが
あるわけじゃなし、
荷物を持って電車で都内まで出で
西武線に乗る…

あの当時、
外国人たちは大変だったろうなあ
だって、案内が書いてないんだもの
本当、わからなかった

ま、池袋から西武線に乗った時は
着いたなぁ、と思ったけど。

電車から、桜の木が沢山見えた
わー日本の春だなあ、
春に帰国するのは8年振り…

やっとのことで帰宅…

「ママ、ただいま〜」って!

前日の昼間、
スワンに行く支度をするために
お風呂に入っていて
脳出血で倒れた…

パパは
「銀藏絵本」という古本屋を
御幸町でやっていたので
帰りは夜の10時…
第一発見者ということで、
警察の取り調べもあったらしい

その前の日は
スワンを休みにして
バイトやお客さんを連れて
狭山湖の公園で
スケッチ大会をしたって!
その絵が残っていた
元気だったそうだ

家には親戚10人位いるのに
シーンとしていて

私がママの側によると
パパは大泣きをし、
子供の様に泣きじゃくっていた

私だって泣きたいけど、
飛行機の中で散々泣きてきたから
大丈夫!と…

弟は部屋から一歩も出てこなかった

叔父さんが、
「麻季は、今、帰ってきたばかりで
なんなんだけど、
お前んちの男は、
全然話にならないから、
段取りとかは、
お前に任せたからな」って…

はい、って言うしかないよね
私は飛行機の中で
散々泣いてきたから大丈夫!

早速、葬儀屋との交渉
叔父さんの知り合いだというので
段取りは早かった

4/9から日取りが悪く、
12日お通夜、13日告別式
だったと思う…

そういえば、
関東には、浄土宗という
古いお寺はあまりなくて、
探すのが大変でしたと言っていた

戒名とかは?
あーそれは父に…

とパパを探すも家にいない!?
どこに行ったのか?
全然帰ってこず
まさか?なんて思っていたら

丸坊主になって帰ってきた…

本当に永遠に、
あの人の考えていることは
不明だった…

と混みいってる所に
東京新聞と朝日新聞の記者が来る。

「写真を探せ」となる
私、この家もう8年も
住んでいないから、
何がどこにあるのかわからない!

で、東京新聞は、
全国版に ママの死 を載せたので
日本中から、電話がかかってくる。

昔、バイトしていた方や
地方へ帰ってしまったお客様など…

お香典も速達で届く
いちいち郵便局員さんが
届けてくれていた

北海道からは、
花屋さんじゃないんだから…
1m箱でカサブランカが
何本入っていたかわからないほど
届く

結局、
新聞は、東京、朝日、読売、産経、
埼玉、新民報…
雑誌は、スイング・ジャーナルなど JAZZ系、
桑沢研究所や 美術系、
生花の遠州流武蔵野派の師範だったのでその系、etc.

とまた混み合っているところへ
叔母さまが
「お返しどうするの?」
「はっ?あーお返しですね。」

「親戚の誰々のこどものなになにちゃんが
やってる所にしましょう!」

あ、決まっているんだったらそこで!
「カタログあるから、見てくれる?」

さーっと見たけど
大体タオルで、シーツやブランケットとか?
「私ね、この毛布が欲しいのよ
お姉さんのために○万もお香典、
お花、それに喪服新調したでしょ、
それくらいもらっても良いのじゃない?」

「私はこれが良いわ」
他の叔母さまが言う…

もう本当に泣きたい
でも飛行機の中で
散々泣いてきたから大丈夫!

おばあちゃんが、
実の娘に先立たれ
ボーっと爪噛みしていた…
が、ここで喝!

「自分のことばかり考えて…
麻季が困っているじゃないの!

5000円いただいた方には、
こういうものがいいかな
10000円頂いた方には、
こういうものにしよう…

って相手のことを
思わなくてはいけないよ!

白いタオルがいいよ」

決着…

お通夜、告別式と、
所沢までの駅から、
会場となるお寺まで遠いので、
常連さん達が、
「岡田家は、こちら」の
ポスターを持って角角に、
立っていてくれたとは、
後から聞いた…
寒かった日だった、
ありがとうございます

お通夜は、賑やかに
みなさん、思い出話がつきないのか
長いお通夜だった

事件はその夜起きた

弟の卓が、酔ってもいただろうが

ママの棺桶の蓋を
持ち上げて、放り投げたのだ

それで、
「わー!」とママを
抱き起こそうとしていた

私はそれで良いと思った
好きなだけ抱きしめれば良いと…

そこで叔父さんが、止めに入って
殴り合いみたいになる…

「お前の母ちゃんだろうけど、
その前から俺の姉貴なんだよ!
ふざけるな!
しっかりしろ!」

卓のジャケットとシャツは
ボタンが取れ、ぐちゃぐちゃに

ママの棺桶の顔の窓の
プラスチックは割れてしまったので、
全部剥がした

告別式は風が強く

桜が舞い散っていた
とてもとても綺麗だった
こんな桜吹雪の中、
人生が終わると言うのは

悲しからずや…

でも、私はもう見られない

見ていられない

怖いのだ

桜の季節は家にこもっている

お通夜・告別式には、
JAZZミュージシャン、
お客様始め、
約800人の方々が
足を運んで下さいました

今でも忘れないと言う方も
沢山います

ありがとうございます


翌年、発表したアルバムに

ママの絵をジャケットに
使ってくださった

【MAKE SOMEONE HAPPY
高橋知己4 Featuring 渡辺文男

先日、お亡くなりになった渡辺文男さん、
バッチリ叩いてます!

と、ママの写真50歳パリで

もう一枚、
ベーシスト山崎弘一さんのアルバム
【セレニティ】
にも、ママの絵が
「細かく見ると、
ベースに血が通っているんだよ」
と、山崎さん
とても素敵なアルバム…

原画はスワンにあります

あと、20年くらい前のSWAN♪

壁紙を全面取り替えたので
ママの絵は、今自宅にあります


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