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「安定した生活」=「幸せな生活」?

ふと、目にした「安定した生活を送る」というワード。

安定した生活というのは、食べるものに困らないとか、お金のことを考えずに自分の力だけで生きていけるということを指すのかな、と思っています。

良い学校に行き、良い会社に入れば、安定した生活が送れる

そんなセリフを言いそうな人がどこかにたくさん溢れていそうですが。
安定した生活を送れるのは、その通りだと思います。

しかしそれは、
万人にとって、幸せな生活なのでしょうか。

安定した生活を求めるのはそもそもなぜなのだろうというところから始めて見るのですが。
そもそも安定した生活を求める背景には、幸せになりたい、という欲があると思うのです。

そして幸せとは、お金に困らないことだ、という概念から、この安定した生活は、幸せな生活とイコールである、という理論が成り立ちます。

しかし、今は本当にそうでしょうか。

いや、一定以上はそうだと思います。
お金がなければ幸せとは言えない生活になってしまう確率は残念ながらかなり上がります。
お金がなければ、やりたいこともできないし、好きなものも買えない。
そういう観点から見れば、お金があるということはとても良いことです。
なので、安定した生活は幸せな生活ということになります。

ただ、それだけで終わっていない人がいるような気がしているのです。

僕は前に、時間とお金を比べる記事を書いたことがありますが。

無限に出てくるお金を稼ぐために、有限である時間をどんどん人のために使っていくのが、果たして本当に幸せなのでしょうか。

仕事が生きがいだ!という人は、素晴らしいと思います。
双方をある程度手に入れることができている可能性が高いからです。
好きなことを仕事にするとか、そういう本も最近見かけましたね。

しかし好きなことを仕事にして、生きがいとして生きるという現実に辿り着ける人がどれほどいるでしょうか。
僕はほんのひと握りなのだろうなと思っています。

至るまでにはやはり努力を惜しんでは辿り着けないし。
時間を惜しんではいけない。
それでも、辿り着けないことがあります。

世知辛い世の中です。


幸せとは、十人十色だと思っています。
いまだに「安定した生活」=「幸せな生活」が正義だと、思っている方がいます。

お金があって、安定していれば、他はどうでも良いということを押し付ける人がいます。

それは、あくまであなたの価値観です。
そうではない方が、世の中にはたくさんいます。

お金はほどほどでいい、でも…

好きなことをずっとやっていたい
好きな人と一緒にいる時間を増やしたい
知らないことをもっと知りたい

そちらの欲を満たしている方が、幸せな人がいます。

お金で不自由しないことは、とても大切です。

しかし、そのお金が自由だとしても、それ以外のことが不自由になってしまったら。

それは幸せではないかもしれない。

自分にとって、幸せな価値観をぜひ、持っていてください。
安定は、あくまで一つの形。
正義では、ありません。

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