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しあわせの保護色

「おまえには、なにをしても、罪悪感わかないから」

吐き捨てられた言葉に呆然した。何度目の喧嘩別れだろう。
喧嘩をするたびに、わたしはあらを探す。目的もなく相手のあらを言及する。この日何してたの、友達と遊んでた証拠ないよね、最近連絡少ないのどうしてなの、と矢継ぎ早に尋問する。男たちはみんな、呆れとも疲労感ともとれる溜息を深くつく。

今日、吐き捨てられた言葉のように、わたしは男たちを捨ててきたんだな、と実感をする。電車の窓に映る自分を見て「ゴミだな」って心の中でつぶやいた。わたしはフラれる前に絶対フルと決めている。悔しい思いをしたくないし、引きずりたくないし、何より相手に罪を擦りつけられるようにしたくて。

タツヤと出会ったのは、カレシっぽい元カレと別れた直後だった。あの元カレは、カレシといっていいのかな、と考えてみる。世間でいうところのカレシではない気がした。セフレというほど機械的な関係ではないし、無償の愛を注いでいたわけでもない。たぶん、カレシではない。カレシっぽい人だ。

別れた直後も、心にぽっかり穴が空いたという感覚はなく、次の春の訪れに期待を込めていた矢先だった。バーで一人、次こそは良い恋愛をしたいな、と憂いていたところに、タツヤが現れた。
「僕も今、彼女と別れてきたところなんですよ」
「あなた誰?適当なこと言わないで」
「こんなところで、一人お酒を飲むなんて、失恋以外、ないですよ」
突然、隣に座ってきたのがタツヤだ。あけすけな態度で、安っぽいナンパだなんて思ったけれど、話し相手もいないことだし、特に拒絶する理由はない、と酒を酌み交わした。

まずは男は顔が大事。あとは年下がいい。お金はなくていいから、四六時中私のことを考えていてほしい。

お酒に身を任せて、自分の恋愛観をつらつらと語った。「うん、うん、わかるよ」「むきだしなお姉さんの感情、俺好きだなぁ」と、おだてられると気分はますます、上向きになっていく。
___この子は、カレシになるのかな。カレシっぽい子になるのかな。

タツヤはカレシとなった。


電車の外の風景は、ますます暗闇に溶けていく。華やかしい夜の街は、30分も電車に揺られると、テレビの電源を落としたかのように、パチッと暗くなる。

同棲していたタツヤの部屋を飛び出して、すぐさまお母さんにLINEを送った。
「今日から帰る」
「わかりました。家で話は聞きます」
私はカレシと付き合うたびに同棲を始めては、別れるたびに実家に戻る。お母さんは娘が出ていくときも、突然帰宅するときも、驚きもしなくなった。帰ってくるときは男と別れた時だと、インプットされちゃっている。こんなLINEのやり取りも何度目になるだろう。

ただ、今回はちょっとだけ違う。それは、わたしのなかだけのちょっとだけ、なのかもしれないけれど。
人の恋愛の話なんて、幸せか不幸か、嫉妬できるか憐れむか、で決まるものだと思ってる。別れの顛末なんて誤差なんだと思う。でも、わたしにとっては大事な要素だ。初めて、フラれたのだから。

何気ない日常だった。一日の仕事を終えて、紅茶を淹れているときだった。
「俺のこと、好き?」
「え?何、急に。大好きだよ?」
わたしは嘘つきであるけれど、この言葉に嘘はない。ちょっと気になる男の子がいて、目移りはした。それでも、わたしがわたしでいられるのは、タツヤだけだと思った。化粧っ気のない心でいられるのは、タツヤだけなのだから。

タツヤは、わたしのなかにいる、醜いものについて知っている。それは、悪魔であるとか、魔性であるとか、神秘めいたもので例えられるものではなく、もっと人間らしくて、小さくて卑しい泥臭いもの。好きか、と聞かれて、大好き、と応えるところも、わたしの卑しさだ。

「お前って、都合のいい女だよな」
ピンと空気が張り詰める感じがした。人の気持ちには鈍感なわたしでも、この空気の変わる瞬間だけは、見過ごすことはなかった。
冬でもないのに、空気に刺されるこの感じ。また、きたか、と思う。
「わたし、何か嫌なことした?」
淹れたばかりの紅茶が、まるで様変わりした空気によって変色したかのように、琥珀色に染まっていく。
「お前が自分のことをクズだってアピールすればするほど、俺はお前のことが好きになっていったんだよね。何でかわかる?」

あのバーでの夜が始まりであったから、タツヤには、わたしを包み隠さず出すことができた。それが何より楽で、開放的で、いい意味で幼稚な関係を築けていた。
わたしが浮気をしてきたことも知ってるし、隠れて煙草を吸ってることも知ってる。年下が好きなのは、自分が主導権が取れるからということも。

「お前には、なにしても、罪悪感わかないから」

続けざまに、なんか冷めちゃったから、別れるか、と告げられた。


深夜だというのに、外から見える実家のリビングは、煌々としていて、わたしの帰りを待っているんだな、と気づく。
「ただいま」
玄関の鍵は開いていて、そのまま、リビングへと入っていった。
「あんたは、ほんと、学ばないねぇ」
お母さんは、わたしの顔を見れば、わたしに言うべきこと、タイムリーな話題を瞬時に察して、言葉を投げつけてくる。血で繋がってるってこういうことなんだなぁと、納得してしまう。
「今回は、ほんと、ダルいから、ほっといて」
「いくらなんでも、とっかえひっかえ、男を代え続けたら身を亡ぼすわよ。もう若くないのよ?」
レンジの音が、チン、となる。戦いの始まり、ゴングを連想させたが、わたしにその気力はない。

「お母さんもう、恥ずかしいよ。世間様に顔向けできないわ。どうして、毎回そうなるの?」
「わたしが、聞きたいよ」
温められたオムライスを食べながら、ぼーっと省みる。幸せになりたいはずの行動が、ことごとく、裏目に出て、いつのまにか、ひとりぼっちになっている。
誰から見ても、わたしという人間は「憐れ」という一言で表せる、薄っぺらい人間なんだと思う。
「自分のことなんだから、それくらい、わかるでしょう」
「うるさい!」と、一切の言葉を遮断して、わたしは席を立った。
まったく、という声にならない声が、お母さんの方から、聞こえてくる。

部屋に戻ると、三か月ぶりにこの部屋に入ったのに、昨日までここに暮らしていた、と錯覚するような空気があって、不思議な気持ちになった。テーブルにはタツヤと付き合う前に、友達といつか遊ぶとき用のために買っておいた、ラブジェンガが積んである。

なんとはなしに、ジェンガを一本抜いて裏面を覗いた。
___親に電話していつもありがとう、と言う
と、書いてあった。
さっきまで、お母さんから投げつけられた言葉の数々を思い出して、思いがけず、ジェンガを投げてしまった。投げたジェンガが、積み上げられていたジェンガにあたり、バラバラと床に崩れ落ちていった。
ほんっと、なにもうまくいかないと、そのまま、ベッドに横たわった。


朝起きてリビングに降りると、朝だと思っていた時間は、11時を回っていた。食卓には置手紙と、朝食と、たべっ子どうぶつが置いてあった。

「温めて食べてください。お母さんは買い物に行ってきます。あと、お父さんが、あんたのために、たべっ子どうぶつ買っといてくれたから、それもどうぞ」

たらこと、玉子焼きと、お味噌汁と、白米と、たべっ子どうぶつ、という異色の献立が並べられている。
親というのは、学ばない。わたしが、まだ、たらこを好きだと思っているし、お父さんに限って言えば、わたしが、まだ、幼児向けのお菓子である、たべっ子どうぶつが好きだ、と思っている。

外の日差しに照らされた、その朝食たちは、なんか、温かそうに見えて、わたしは、そのまま口に、玉子焼きを運んだ。当然、玉子焼きは冷たかったけれど、わたしは、そのまま、朝食を平らげた。

携帯電話をとり出して、わたしは、お母さんに電話した。
「もしもし」
「あのね、お母さん。いつもありがとうね」
「はい?なに、あんた。気持ち悪いわね。熱でも、あるんじゃない?」
「ううん。これ、罰ゲームだから」
「罰ゲーム?何言ってるの?からかってるの?」
「あとね。わたし、今は、天津飯が好きだし、めんたいこが好きなの。それから、お父さんにも伝えて。今、おいしいお菓子はアルフォートだって教えてあげたのに、なんで、たべっ子どうぶつ買ってくるかなぁ。ほんっと学ばないよねえ」
「ちょっと、今レジにいるから、用事がないなら切るわよ」と言って、お母さんは電話を切った。

たべっ子どうぶつに手を差し伸べて、ひとつ口にする。塩味がいい感じに口に広がる。「次こそ、良い恋愛をするぞ」とこぶしを高く持ち上げた。

わたしは、学ばない女だ。

おわり。



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