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作家・植物研究家 かわしまようこさんとの出会いと再会 vol.1

かわしまようこさんのことを知ったのは、今から約20年前。
当時高校生だった私は、体操競技に挫折したことをきっかけに1年近く休学。
困った家族が精神科へ受診させてくれて、うつ病と摂食障害と診断され、出口の見えないトンネルの中に放り込まれた頃だったような、うろ覚えがあります。
何も見えない闇の中で、何とか“光”を見出すために様々な本や雑誌を手当たり次第に読むことが、自分なりの処方箋でした。
何か、自分に生きる希望を与えてくれる言葉や写真が当時の私には必要だったのだと思います。

断捨離を免れて残っているバックナンバーたち

その中の一つに「天然生活」という雑誌がありました。
“小さなこだわり小さな暮らし”と表紙に書かれたその月刊誌を心の拠り所はすぐさま私の心の拠り所になりました。
当時はケータイもガラケーで、パソコンは有線。家族で1台という感じでそれほど情報も豊富になかった。田舎だったのもあったと思いますが、今みたいな情報のあり方ではなかったんです。
だから、月刊誌を隅から隅まで読み込んで次の号を待つ時間も、当時の私には命綱を掴むような希望のような感覚だったことを覚えています。
その本の中で暮らす人達が当時の私からは、とてもキラキラして見えて、自分もそのキラキラした世界の中へ入りたい、そんな暮らしがしたいと心から思っていました。

そのキラキラした人達の中の一人に「かわしまようこ」さんがいました。
当時の私には、かわしまさんのフィルターを通して植物が文字や写真に綴られているその記事に、そういう特別な見方もあるんだなぁ・・・くらい。
さりげない受け止め方をしていたと思います。
というのも、田舎では普通に草花はその辺に困るほど沢山生い茂っているし、おばあちゃんの家や自宅でも道端や畑や庭先で特別に育てるわけでもなく咲いている花を摘んで、その辺の空き瓶などに生けているのが「ごく当たり前のこと」だったからだと思います。

2009/sep vol,56 号 かわしまよう子さん 草こよみ より
2008/jun vol.41号 特集・大切なものに出会う、街歩き かわしまよう子さん「視点を変えて、歩いてみよう。」
より

数十年の歳月を経て、天然生活との距離感は「出たら絶対買う!」という近いものから、見かけたら本屋やコンビニで立ち読みするくらいの自分から少し遠いものへ変化しつつも、でも見かけたら絶対に声をかけるような「馴染みの人」とか「一言話すだけでもちょっと元気になる人」というような感覚はずっと変わりませんでした。

再会のきっかけは2022年。援助職でのバーンアウトから始まりました。
入職して4年目にリーダー職になった春から徐々におかしくなっていって、秋には心身の不調から10日休職。粘って粘って最終的には過食嘔吐で吐血しながら勤務していたものの、冬に2回目のドクターストップで仕事は強制終了。入院した精神科のワーカーさんの紹介で依存症の回復施設へ入所しました。
依存症の回復施設のことは、別の記事であらためて書こうと思いますが、
その施設は依存症業界でも厳しいことで有名な(それは入った後に知ったのですが・・・)女性専用の施設で、その厳しさは予想を遥かに超えていました。


「自分の意思を捨ててください」


から始まって、病気の症状を手放すためのお祈りと、自分の心や記憶を言語化するの訓練の日々。厳しい生活規則。
まるで修道女のような生活。
その中で徹底的な正直さが求められました。


1日24時間。
私にとっては厳しすぎたプログラムでした。
いつも誰かに見張られているかのような緊張感。
どこにも逃げられない閉鎖感。
自分を変えたいから何とかしがみついていたけど、その緊張感やストレスから
パニック発作や幻聴、過呼吸などの精神的な症状をはじめ、いきなり失神して顎の皮膚を縫うような怪我したりと、心身とも回復とは程遠いものでした。
結局1年に3回、閉鎖病棟への入退院をすることになって・・・と、これまた人生においてもどん底。

まだうまく言葉にはできませんが、日本と自分の底辺を見せられているようなそんな日々だったような気がします。
生きることをやめたいと思わない日はなかったくらいに。

支援者さんも私もあの手この手で頑張ろうとしていたけれど、息苦しくてどうしようもなかった。
そんなある日に、自然という存在を求める自分に気がついたのです。

公園で枯れ葉の匂いを嗅いだり、土や草の上を裸足で歩いたり、裸足でラジオ体操をしたり、木にしがみついたり、体と五感を自然の中で働かせることで、何とか正気に戻れるような感覚。
他のどんなことより私は自然に癒やされる感覚。
依存症仲間からはエネルギーをもらうけど、受け取る以上に奪われる方が多いと思ってしまう抗えない感覚。
自分の考えたことを言語化し話す、相談するということはものすごくパワーが必要だと感じる感覚。

言語化することに必死になっていたけど、
この「感覚」は、言語化しようと頑張らなくても
私を助けてくれることに。
自然は私から奪ったりしない、ただひたすら与えてくれる存在。


1日30分という規則の中、都会の小さな自然からもらうエネルギーでなんとか、毎日の厳しいプログラムにしがみつく・・・そんな状態の2023年の冬。
支援者さんの勧めで郊外の病院へ3度目の閉鎖病棟へ入院をすることに。
病棟の主治医から許可が下りて時間と場所の制限付きの外出が許された時には、もちろん自然へ足が向かいました。
とにかく私は自分のエネルギーの補填の多くを人ではなく自然に求めたし、確かに得らると感じる感覚を信じていました。
でも、一方ではそんな自分の行動に自信は1ミリもありませんでした。
何か良いと感じられないことがあれば次は自分の番だと思っていましたし、
いつ自分が壊れるかわからない恐怖や、自分の行動は異常なのだといつもその想いに縛られていました。

幸い病院の前には川や自然があって、その川の流れる水の音を聴きながら歩いていると、わけはわからないけど、とにかく許されている感覚でいっぱいになりました。
そして、公園の草の上で、裸足になって歩く気持ちの良さ。
そんな風に自然の安らぎと不安の感情が入り混じる中、最寄りのコンビニでたまたま手にした「天然生活」の春のデトックスという特集の中にかわしまようこさんの記事を見つけました。

(経緯が長すぎてごめんなさい、ここまで読んでくださってありがとうございます)

2023/APR  vol.214  
春のデトックス特集より

そこで目にした、かわしまさんの言葉とその写真。
素足で自然の上に立ったりすることを「アーシング」という名前がついていて、自分でできるヒーリングの一つであることをその記事を読んだことではじめて知り、自分がほんとうは助かりたくて、必死になって暗中模索でやっていることに名前がついていることに、心の底から救われたような気持ちになりました。

私は、狂っていない。
おかしくない。
間違っていない。

誰にも言ってもらえないように感じていたその言葉を、私はその記事から受け取りました。

色々な人に、支援を受け支えてもらっているのに、心の苦しみは増すばかり…その罪悪感からのさらなる苦しみ。それは、自分に合わないことを無理に続けてきたことで、心は歪み、他人からの些細な愛すら受け取れないくらい頑なに心を閉ざしてしまっていたからなのだと今振り返ると思います。

心はのびのびと開かれていないと、どんな光も受け取れない。

とことん迷いながらも私は心から自然を求め、依存症施設を退所する決断をして、入院先から自然の豊かな実家のある田舎へ戻りました。
もう2度とこの土地の地を踏むことは無いと去った場所でした。
紆余曲折ありながら、里山歩きを続けるうちに自然という存在が、自分にとって揺るぎない確かなもの、その自分が「信じよう」と思う気持ちに自信を持てるようになっていきました。
何も誰も信じられない。
自分のことが一番信じられない、大嫌い。
そうやって20年精神科に通い過食嘔吐をしながら生きてきたそんな私がです。


出会いと再会はそんなふうに、長い歳月を経てふと訪れました。
そして今度は、今までは雑誌の中だけの人だった方と、本当に出会う体験をしていくことになってゆきます。


*記事にして良いかは、かわしまさんから許可をいただいて書かせていただいています。ものごとの受け取り方は私固有のものかもしれないですし、やってみての感覚や感想は現時点でのかなり個人的な体験ですので、あしからずご了承ください。

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