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作家・植物研究家 かわしまようこさんとの出会いと再会 vol.1

かわしまようこさんのことを知ったのは、今から約15年前くらいになるだろうか。いや、多分もっと前?20年前、当時高校生だった私は、あることがきっかけで1年近く休学していて、うつ病と摂食障害の出口の見えないトンネルの中で何とか“光”を見出すために色々な本や雑誌を手当たり次第に読んでいました。
何か、自分に生きる希望を与えてくれる言葉や写真が当時の私には必要でした。

断捨離を免れて残っているバックナンバーたち

その中の一つに「天然生活」という雑誌があって、“小さなこだわり小さな暮らし”と表紙に書かれたその月刊誌を心の拠り所に。隅から隅まで読み込んで次号を待つ時間も、当時の私には命綱を掴むような希望もいう感覚だったことを覚えています。その本の中で暮らす人達が当時の私からは、とてもキラキラして見えて、自分もそのキラキラした世界の中へ入りたい、そんな暮らしがしたいと心から思っていました。

そのキラキラした人達の中の一人に「かわしまようこ」さんがいました。当時の私には、かわしまさんのフィルターを通して植物が文字や写真に綴られている記事は、そういう特別な見方もあるんだなぁ・・・くらいの軽い気持ちでした。というのも、田舎では普通に草花はその辺に沢山生い茂っているし、おばあちゃんの家や家でも道端や畑や庭先で特別に育てるわけでもなく咲いている花を摘んで、その辺の空き瓶などに生けているのが「ごく当たり前のこと」だったからです。

2009/sep vol,56 号 かわしまよう子さん 草こよみ より
2008/jun vol.41号 特集・大切なものに出会う、街歩き かわしまよう子さん「視点を変えて、歩いてみよう。」
より

歳月を経て、天然生活との距離感は「出たら絶対買う!」という近いものから、見かけたら本屋やコンビニで立ち読みするくらいという自分から少し遠いものへ変化しつつも、でも見かけたら絶対に声をかける“馴染みの人”“一言話すだけでもちょっと元気になる人”というような感覚はずっと変わりませんでした。

再会のきっかけは2022年。援助職でのバーンアウトから始まりました。心身の不調から10日求職しつつも半年粘ったものの、最終的には吐血しながら過食嘔吐を繰り返し、2回目のドクターストップで仕事は強制終了。入院した精神科のワーカーさんの紹介で依存症の回復施設へ入所して。
依存症の回復施設のことは、別の記事であらためて書こうと思いますが、依存症業界でも厳しさにおいて定評のある女性専用の施設で、その厳しさは予想を遥かに超えていました。“自分の意思を捨ててください”と、病気の症状を手放すためのお祈りと自分の心や記憶を言語化するの訓練の日々。まるで修道女のような生活。徹底的な正直さが求められました。

その中で私が当時感じていたのは、私というパーソナリティーは剥奪され依存症者としての烙印を押されたような、アウシュビッツに送られたユダヤ人のような心境でした。
思考回路の全てが狂っているのだからと、生活や治療など全てのことのおいて、言語化し、相談し、許可をもらわなければなりません。1日24時間の厳しいプログラムや規則の中で、病気の症状は治まり平安を見出すどころか、精神的にも身体的にもギリギリ。いつも誰かに見張られているかのような緊張感。自分を変えたいともがく中で、その緊張感やストレスからパニック発作や幻聴、過呼吸や失神して顎の皮膚を縫う怪我をしたりと回復とは程遠く、結局過食嘔吐の症状を使ってしまい、1年に3回、閉鎖病棟への入退院をすることになって・・・と、これまた人生においてもどん底、逆境の最中でした。

施設では、依存症者は一人にしない規則で、「必ずどこへ行くにも誰かと一緒に」という規則があったのですが、私にはこれがほとんど苦痛でしかありませんでした。バーンアウト前から体を動かして心身を整える習慣があった私には、5分でも10分でもいいから走りたかったし、せめて自分のペースで歩きたかったけれども、それも叶いませんでした。何とか、半年ががりで担当の職員さんに交渉し続けてやっと許可がおりた一人歩きの時間は、30分。自分を取り戻したくて、毎日公園に逃げました。

都内の雑踏やコンクリートジャングルが息苦しくて仕方がなくて、自分の中では非常事態。人目なんて気にしてる余裕はありません。“ちょっと変な人”と思われようが、公園で枯れ葉の匂いを嗅いだり、土や草の上を裸足で歩いたり、裸足でラジオ体操をしたり、木にしがみついたり、体と五感を自然の中で働かせることで、何とか正気に戻れるような感覚があって、他のどんなことより私は自然に癒やされる。依存症仲間からはエネルギーをもらうけど、受け取る以上に奪われる方が多いと正直、当時の私は感じていました。自分の考えたことを言語化し話す、相談するということはものすごくパワーが必要でした。

でも、自然は私から奪ったりしない、ただひたすら与えてくれる存在でした。都会の小さな自然からもらうエネルギーでなんとか、毎日の厳しいプログラムにしがみつく・・・そんな状態だったように記憶しています。

それでも、エネルギーは消耗し枯渇し続けていき、2023年の冬に郊外の病院へ2度目入院をすることに。病棟の主治医から許可が下りて許可範囲内の1時間以内の外出が許された時は、もちろん自然へ足が向かいます。とにかく私は自分のエネルギーの補填の多くを人ではなく自然に求めたし、確かに得らると感じる感覚を信じていました。
でも、一方ではそんな自分の行動に自信がなく、精神科の閉鎖病棟では、ガッチャン部屋(外側から鍵をかける部屋のことの通称)から叫ぶ声や、幻聴幻覚を訴える声や姿、発作的に暴れる人、泣き叫ぶ人、部屋から泣く声が常に周りにあり、次は自分の番だと思っていましたし、いつ自分がそのように壊れるかわからない恐怖や、自分の行動は精神異常者の言動なのだといつもその想いに縛られていました。

幸い病院の前には川や自然があって、その川の流れる水の音を聴きながら歩いていると訳もわからずとにかく“許されている”感覚でいっぱいになりました。そして、公園の草の上で、裸足になって歩く気持ちの良さ。
そんな風に自然の安らぎと不安の感情が入り混じる中、最寄りのコンビニでたまたま手にした「天然生活」の春のデトックスという特集の中にかわしまようこさんの記事を見つけました。

2023/APR  vol.214  
春のデトックス特集より

そこで目にした、言葉とその写真。素足で自然の上に立ったりすることを「アーシング」という名前がついていて、自分でできるヒーリングの一つであることをその時はじめて知り、自分が助かりたくて、必死になって暗中模索でやっていることに名前がついていることに、心の底から救われたような気持ちになりました。

私は、狂っていない。
おかしくない。
間違っていない。誰にも言ってもらえないように感じていたその言葉を、私はその記事から受け取りました。

色々な人に、支援を受け支えてもらっているのに、心の苦しみは増すばかり…その罪悪感からのさらなる苦しみ。それは、自分に合わないことを無理に続けてきたことで、心は歪み、他人からの些細な愛すら受け取れないくらい頑なに心を閉ざしてしまっていたからなのだと今から振り返ると思います。

心はのびのびと開かれていないとどんな光も受け取れないよう。

とことん迷いながらも私は心から自然を求め、依存症施設を退所する決断をして、入院先から自然の豊かな実家のある田舎へ戻りました。
紆余曲折ありながら、里山歩きを続けるうちに自然という存在が、自分にとって揺るぎない確かなもの、その自分が信じようと思う気持ちに自信を持てるようになっていきました。

何も誰も信じられない。自分のことが一番信じられない、大嫌い。そうやって20年過食嘔吐をしながら生きてきたそんな私がです。
そして今度は、今までは雑誌の中だけの人だったかわしまさんと、本当に出会う体験をしていくことになってゆきます。


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