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今年も障害・自然と共に、明るい方へ

夕食は母が作ったドライカレーだった。
作ってもらってありがたいけどカレーは私にとってトリガーフード。
だから私なりに少し食べ方を工夫する。家族とは同じ食べ方はできない。
そういうことは結構多い。
まず、ご飯の量を減らしてをお粥に。盛り付けも、カレーの器と分ける。
今まで散々食べ吐きに使ってきたカレーライスと認識しないようにするため。

摂食の離脱なのか、元々消化器が弱いのか、依存症の回復施設にいた頃から胃腸の働きがとても弱いことに気が付いていた。
普通の人と同じ食べ方をすると消化不良になる。
20年過食嘔吐してきてしまったのが原因なのか、もともとの体質なのか今はまだわからない。
食後の体調不調も私にとっては引き金になる。
その点、お粥は内臓への負担が少ないので入院していた時もあえてお粥にしてもらっていたぐらいだ。生姜と大根おろしを添えて、トレーに一食分。
それ以外のものには手を出さないと決めていたのに、今日は最近母がハマっているスウェーデンのお菓子、セムラというものも食後に出てきた!
家族みんな食べていて、もうスイッチ入るだろうなってめっちゃ迷ったけど、食べた。美味しかった。けど、吐きたくなった。
ごめん、美味しいけどごめん、吐きたい。こういう気持ちも何度も何度も感じて、その度に罪悪感や怒りに振り回されてきた。

家族ってありがたいけど、ちょっと一人にしてもらえる?そんな心の声が聞こえた気がして、しんどくなって、個室に戻ってタバコを吸う。本当はタバコが吸いたいわけじゃない。
かき消す方法がないから。でも、それが少し効いて、欲求が少し弱くなる。
かなり具合の悪かった先月だったら、多分スーパー直行して過食物買って食べ吐きしてたと思う。
でも、今日はなんとか我慢した。

太りそう。太るのが嫌だ、太ったらどうしよう・・・そんなもう今の私には必要ない思考の声が身体中でこだまする。いつになったらこの思考が手離れてくれるのだろうか。
現実的には40歳近くなった私の体はもう過食嘔吐する体力気力がほとんどない。
食べ吐きした後は、消耗して疲れ果てて何時間も眠り潰してしまう。
起きたら午後だったとか、覚醒しても倦怠感で体が動かなくて、インナーマザーみたいなのと頭の中で戦っていたり、暴力的に始まる1日に耐えられなくて、もう死にたいとしか思えなかったり・・・。

今、依存物を使うと、やろうと思っていたことも、会いたいと思っていた人からもどんどん離れていくのが体感でわかる。
20代は体力もあったからどれだけ過食嘔吐していてもやりたいことはやれたけど、もう今は違う。
毎日、やっぱり辛い。
でも辛いことばかりじゃない。そう何度も言い聞かせて騙し騙し起き上がる日が何日も続く。

過食嘔吐は、私にとってどんな薬よりも即効性があって、熱があっても過食嘔吐を使うと治った。でも、それは麻薬と同じ。
私は施設に繋がって他の依存症の人たちと過ごすうちに、その依存症特有の思考の構造がたとえそれが違法薬物でも、アルコールでも、ネットでも、ギャンブルでも同じなのだということがよくわかって、それ以来、過食嘔吐は「する」というより「使う」というのが私にとって適切に感じるようになった。
使っても本当は何も変わらないし、感じたくない感情も消えやしない、吐いた後のその一瞬の開放感は全て錯覚。

薬物ほどではないと思うけど、過食嘔吐すると脳がダメージを受けるから、本当の自分の状態に気付けないように感じる。
アルコールに酔うのと同じ感覚に近い、しかも摂食はブラックアウトしないから自分がやってしまったことを全部覚えている。それが辛すぎて、アルコールや性依存など他の依存物に移行したという人もいるくらいだ。

依存は、それを繰り返しているとそのうち自分が何者なのかわからなくなる。何を考えているのか、本当は何がしたいのか、自分は誰なのか。
もう何も食べたくない。食べ物なんて消えてしまえばいいのに・・・何度そう思ってきたことだろうか。
でも人間だから生きていくのに食べなくてはいけない。仕事や用事へ行くのにふらふらのポンコツではどうにもならない。
だから、過食じゃない食べ物を買いに行くけど、自分が何が食べたいのか、何なら吐かなくて済むのか、本当に出口のない迷路に迷い込んだような気持ちで、何も選ぶことができなくて、スーパーやコンビニで途方に暮れ、気がついたら空のスーパーのカゴを持ったまま1時間立っていたなんていうこともよくあった。

家族で食卓を囲む時間が、葛藤や恐怖、不安、罪悪感から解放される日が来るのを心から祈る。
温かな時間をそのままに、一人になって冷静になる時間を取らなくても、人のいるこの輪の中でそのままストンと自分が感じられる日を。

そして、私のような依存症にならない子供の教育や、社会のあり方、暮らし方、働き方が、当たり前のものとなるように切に願う。
今年の元日の能登地震で被災された方々の傷が、適切な方法で癒されますように。
心の傷になり、その人の人生を蝕みませんように。
この度の震災に際し、心よりお見舞い申し上げます。

この1年も私は障害と共に歩むことは変わりはなけれど、心の悲劇からから少しでも明るい方へ、心から幸せだと感じられる方へ、自然の力を借りながら一歩一歩、歩み挑み続けたいと思います。


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