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コロナで6日間仕事休んでウェブ小説書きまくりました。

俺は老人ホームで働いていて、そこで十日前ほどからコロナが流行り始めた。そして、利用者と職員に拡散した。俺は七日前に移されたようだ。医者に行きコロナ陽性と言われた。職場では発症日の次の日から五日間は出勤停止で六日目から、復帰が認められている。俺は、医者に行った日は元々休みだったので、六日休んだことになる。
正直極楽だった。
俺の症状は熱が出たことと喉が少し痛む程度だった。
この六日間は自室に籠もってパソコンに向かいウェブ小説を書きまくった。今年の一月から連載している奴である。
「小説家になろう」というサイトで、なんとなくそのサイトの流行っぽい、異世界転生という設定の物語を書き始めたら止まらなくなった。俺は正直、このサイトをバカにしているのだが、そこでさえ売れない俺は小説が下手なのか、と落胆しそうになるが、いやいや、そんんなことはない、と自分に言い聞かせている。俺は小説家として売れるために生きている。売れなければマジ死ぬ。いや、死ぬ前に自分の小説が売れたところを見てみたい。どんな気持ちだろうか?俺は百万部売れることなど目標にはしていないが、ミリオンセラーなどと言って出版社が自慢するわけが、ウェブ小説を書いていてわかった。「小説家になろう」ではほぼリアルタイムでどれだけの回数アクセスされたかがPVとして確認することができる。俺が一話投稿するごとに、一時間のPVは十から二十、三十くらいは平均していく。この連休中一度、七十というのがあったが、それが最高だ。本屋に並んだ俺の本を全国の書店で七十人が手に取って開いてみたと言うことだろうか?七十人?ミリオンセラーにはほど遠い。一日のPV数はこの連休中に千回を超えたのが三日あった。それが過去最高記録だ。そして、全体のPVが一月から積み重ね、ようやく三万を超えた。本が売れるということの厳しさが、よくわかる。ユニーク人数とかいうのが数字で出るが、俺にはその計算方法がよくわからないが、読んでくれた人の人数らしいがこれが今の時点で九千人いる。俺はミリオンセラーを狙っているからこの数字に落胆するべきかもしれないがじつは嬉しい。九千人も読んでくれてるんだぜ?もちろんちょっと見てやめた人の人数もたくさん入っているだろう。しかし、俺はマジでこの何千人という読んでくれた人また今後の続きを楽しみにしている人に感謝している。これは素直な気持ちだ。しかし、俺はあくまでハングリーだ。目標は世界である。世界に俺の名を轟かせることが目標だ。芥川賞とか、華やかで羨ましいな~と思うが、俺はそこを目標にしちゃいけないと思う。世界中の図書館に必ず俺の作品が置いてあるようになることを目指さねばならない。日本人でライバルは村上春樹だ。異ジャンルではあるが、宮崎駿が俺にとって最大のライバルだ。というか宮崎駿の築いてきた建物の上に俺の小説を建てたい。俺は昔宮崎駿に憧れ、マンガ家アニメ映画監督を目指していた。しかし、画力がなく宮崎駿の足下にも及ばなかった。これはダメだと言うことで、二十代の半ばくらいに小説にジャンルを変えた。で、文学新人賞を取るために、毎年新人賞に送るために小説を純文学のつもりで書いた。しかし、三十代も終わりに近づくと、純文学を書いてきた自分に疑問がわいてきた。「俺は宮崎駿を超えたかったはずだ」そう思い、作風というか、作品の在り方を変えた。ファンタジーエンタメ純文学というような感じの作品を書くようになった。その第一作が、2019年作でnoteにも掲載している『空中都市アルカディア』だ。しかし、これも読者数が伸びず、なぜだろう?と首を傾げている。SNSだからだろうか?長すぎる奴はウケないのだろうか?たしかに俺だってnoteで何時間も小説を読もうとは思わない。読むとしたら、書店で厚みのある本を買ってきて、ゆっくりと読みたい。もし、『空中都市アルカディア』が書籍化されたら売れる自信がある。なぜなら書籍として読むべき作風なのだ。パソコンやスマホで読む代物ではない。第一部、第二部とあり、第二部が面白いというか、第一部はそのための「貯め」であり、それほど面白くないかもしれない。しかし、我慢して読んでくれれば面白い第二部に突入できる。この「我慢して」というのが純文学に慣れていない人にはできないかもしれない。俺は古典を読むとき、ある程度導入部などで「我慢」する。例えば名作で『レ・ミゼラブル』というのは、冒頭二段落目で、「こうした細かいことは、これから述べる物語の内容そのものには少しも関係ないが、」などと断ってミリエル氏という人物の紹介を始める。ここで読者は我慢を強いられる。掴みからグイグイ引き込むのも技術だが、もったいぶって書いて、その効果があとでじわじわと出るのも技術だ。グイグイ引き込んでそれだけという小説は二流だ。だが、俺は欲が深くグイグイ引き込んで読後感も良い、というのを目指している。それを今書いているウェブ小説、『最低な三人の異世界転生ドラゴニア冒険記』でやっている。だから、アドリブで書き、自分でも先が読めない。もうすぐ終わりが近づいているのだが、まったくメドが立っていない。
結末は考えてあるが、はたしてその結末でいいかも悩んでいる。悩んでいるといっても贅沢な悩みだが・・・。ここで断っておきたいのだが、もし、俺の作品をライトノベルと思って読み始めたら違うぞ、と言っておく。ファンタジーでギャグもあるが文学なのだ。
で、今日は六日の休みを終えて老人ホームへ出勤した。もう俺はコロナ陰性で、移る心配がないと言うことで、感染者の介助をビクビクしながらやる必要がなくなった。
で、帰ってきたら、こんな文章を書いている。
六日間もパソコンに向かって文章を書いていると、背中が丸くなって、伸ばすと痛いみたいになった。もし、プロの小説家になれたとして、俺はどういう生活を望むだろうか?あんまり考えたことはなかったが、フリーランスになれたら、旅行や登山に行きまくりたいと妄想している。
『空中都市アルカディア』を書き上げた瞬間は、本当に自分に勝利した陶酔感があったが、『最低な三人の異世界転生ドラゴにア冒険記』を書き上げたときは俺はどう思うのだろうか?


『最低な三人の異世界転生ドラゴニア冒険記』

『空中都市アルカディア』


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