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統合失調症は小説家を目指す者にとってギフトか?

私は統合失調症を患いながら、小説家を目指している。この病になってから健康な心がいかに大切かわかるようになり、それを客観的に文章化することができる。しかし、それは主観的に健康な心を書けないということでもある。主観的に書くと病んだ人の悲しみ、人間らしく生きたいのに生きられない人の悲しみを書くことになる。純文学ではそれはギフトかもしれない。しかし、私の書きたいのは健康な真っ直ぐな人でそれは健康でないと書けない。そこで思う。健康ほど素晴らしいギフトはない。

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