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創作料理。カルボナーラなどについて考える。

実家暮らし母の手料理を未だ食べる四十代独身男子の私にちょっと料理について語らせて欲しい。
昨日、カルボナーラをイタリア料理店で食べた。
その際、noteに記事を書いたのだが、そこでは、コショウが自己主張し過ぎていて、クリームソースの味を打ち消してしまっている、などと書いた。あとでカルボナーラをネットで調べるとブラックペッパーが特徴のひとつに挙げられることが多いことがわかった。語源のひとつと言われるイタリア語に「炭焼き職人」を意味する語があるらしい。その炭焼きはブラックペッパーからきているとか。だから、ブラックペッパーが自己主張していたのはあながち間違いではないようだ。しかし、それでいいのだろうか?
ブラックペッパーはアクセントにはなるが、それは控えめにすべきで、パスタの味を引き立てる程度にした方がいいと思う。「本場だからいい」というのは神話に過ぎないと思う。それに昨日の店では生クリームを使っていた。それは日本風なのだとウィキペディアに書いてあった。
私はカルボナーラに生クリームを使おうとは思わない。もし今度作るとしたら、卵を使ってみようと思う。私は恥ずかしながら四十代のこの年になるまで、卵を卵黄だけ使うということをしたことがない。あと必要なのはベーコンとチーズ、ブラックペッパーらしい。これはネットに載っていたレシピを見たのだが、それをそのまま使おうとは思わない。それが私の創作料理志向だ。チーズと卵黄は必要不可欠な気がするが、ブラックペッパーとベーコンは変えても良さそうだ。私は上記のようにブラックペッパーを効かせることに違和感を覚えている。ブラックペッパーがないのはカルボナーラではない、と言うならばそれでもかわまない。私は美味いものを食べたい。自分が美味いと思う物を。
ベーコンは他の物にしてみようかと思う。今、頭にあるのは、コンビーフだ。いや、やっぱりベーコンにしようか?迷うところだ。
あと工夫するとしたら、オリーブオイルではなくバターを使用したらどうだろうかとも思う。しかし、バターは風味が強い。コンビーフの風味を殺す可能性がある。ではやはりオリーブオイルか?あるいはバターを使って、ツナ缶を使うのも手かもしれない。それから野菜を入れるのはどうだろうか?
私はカルボナーラとは別に、ツナ缶とパセリのシンプルなパスタを作ってみようかと考えている。こちらもネットで調べたらすでにレシピがあった。そのレシピではパセリを主役にすると書いてあり、かなり多めにパセリを入れていた。しかし、私はパセリは香りが強いため、他の食材を殺さないように少量使おうと思う。私の頭の中にあるのは大学生時代、一人暮らしで食べていた、ツナ缶と塩コショウだけのパスタだ。あれをもっと美味くできないか、そう思っている。パセリならばシンプルに風味を加えてくれそうだと考えている。
ああ、それにしてもこうやって料理について想像して楽しんでいる私だが、何十年も毎日三食、何にしようかと考え続けてきた母には頭が下がる。家族のために栄養も考えて、毎食作らねばならない立場にいることと比べれば、私のにわかに起こった料理ブームなど遊びに過ぎない。
母がいなくなったら私は何を食べて行くのだろう。私の思想では、結婚して奥さんに作ってもらおうという男性根性は卑しいものだと思う。奥さんと一緒に料理できたら楽しいと思う。この奥さんというのは、まだ彼女のいない私にとってカルボナーラ以上に妄想の域にある。食べることは生きることだが、恋愛もまた生きることである。恋愛なしにただ食べることだけ考えている人生があるとしたら、それはソースや具のないカルボナーラか、ソースと具だけのカルボナーラみたいなものだろう。生きるとはパスタの味のごとく、いやそれ以上に深いものだ。

*上の写真はイタリアではなくギリシャの写真です。昔行ったイタリア旅行の写真を探すのが面倒なため、アテネのホテルの朝食時のテーブルをパルテノン神殿をバックに撮った写真です。ギリシャの料理も美味いですが、日本にはイタリア料理のほうが浸透しているようです。ギリシャ料理の「ムサカ」などを作るのは私にとって遙か彼方の山の頂のようなもので、今は身近にあるイタリア料理でも簡単な部類のパスタ料理を攻めていきたいと思います。

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