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統合失調症精神障害者の福祉を考えるふたつの視点。心と社会

統合失調症精神障害者の福祉を考える視点はふたつある。ひとつは現状の社会のままで、この社会内で精神障害者はどう生きていくべきか、心のリハビリをどうやっていくか、という視点であり、もうひとつは精神障害者が生きやすくするために、心のリハビリの舞台としてのこの社会を変革していくというものだ。
 
第一の視点は、私がnoteでさんざん論じてきたことなので、まだ読んでいない方は私の過去の記事を読んでいただきたい。まあ、簡単に言うと、健常者のふりをして生きていればいつのまにか健常者に近づいているという自分の心の変革の視点だ。
 
第二の視点、つまり社会を変革していく視点は、私はほとんど論じてこなかった。なぜなら、それは私以外の多くの先輩たちが、すでに取り組んでいることだからだ。
それならば当事者ソーシャルワーカーとしての私にできることは何か?それは第一の視点と第二の視点を止揚することではないだろうか。つまり、心のリハビリをすることで社会を変革するという第三の視点を持つことである。
 
私は第一の視点に立って、「ふつうの人」を生きることが最善の心のリハビリとなると論じてきた。そのためには病気を隠せと言ってきた。健常者のようにふるまえと。
しかし、現在の社会では、それが難しいと思う人も多いだろう。だから第二の視点が必要だ。つまり社会変革の視点。そして、第三の視点。
 
今回はこの第三の視点を論じてみたい。つまり、心のリハビリをすることで社会を変革するにはどうしたらいいか。
 
そこで、私自身、統合失調症精神障害者として生きてきたので、私の例を論じてみたい。私は高校二年生で統合失調症を発症した。病院には行かず、大学受験を乗り越えた。しかし、大学三年次に、社会に出ることの不安から、ようやく精神科を受診した。大学を出ると、一年間は精神科デイケアに通い、二年目から、パートで働くようになった。このとき私は病気のことを隠して働いた。同じ職場で五年間働いた。心の居場所としてデイケアがあった。そして、その仕事を辞めてから、いくつも仕事を変えて三十四歳のときに障害者の合同就職面接会に出て、介護施設で働くことが決まった。ここで強調しておきたいのは、私がオープンで就職したか、クローズで就職したかということだ。私は二十代はクローズで働いた。しかし、長く続けるには合理的配慮があったほうがいいと考え、障害者の合同就職面接会に臨んだ。しかし、心のリハビリの哲学では職場では健常者として扱われることがなによりの心のリハビリになると信じていた。これは矛盾だ。合理的配慮を求めるには雇用者に自分の精神病をオープンにしなければならない。で、私は面接の際に、あなたの病気を職員に伝えてもいいかと訊かれ、「どちらでもいい」と答えた。これが私の運のいいところだが、現在の職場では同僚の介護職員は私の病気を知らない。知っているのは、施設長、事務員、看護係長などの上の人だけという環境が生まれた。
この環境は理想的だと思う。障害者としてではなく、健常者として働き、合理的配慮も受ける。このような就業形態を作っていくことが、第二の視点、社会変革であり、それを統合失調症を患っている人自身が、就職先に求めていくべきだと思う。
 
心のリハビリとは自分で自分の生活を律して変革していくことだ。この文章を読んだ統合失調症を患う同志は、自分で自分の職場環境を開拓していって欲しいと思う。自己変革=社会変革、これが第三の視点だ。
そして、事業主の方は、統合失調症の人が面接に来たら、私のこの文章を思い出して欲しい。上の立場にある人は本人の病気を知っていて、同じ部署の職員には知らせないという、半オープン、半クローズの状況を作って欲しい。
 
心のリハビリとは就労のみを言うのではないが、私の思想の特長は就労を心のリハビリに利用するというものなので、今回も就労について書いた。社会変革とは少しずつ行っていくべきだと思う。
 
当事者が声を上げるというよりは、社会内リハビリを通して、つまり社会内で生きることで、当事者自らが社会変革していくべきだと思う。

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