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霧は必ず晴れる~初めてのソロテント泊登山~

私は統合失調症者にアウトドアを勧める会会長のSW大橋です。自身、統合失調症を患っていて今では寛解と思われるような状態で、自分では治ったと表現している。以前ならば、この記事の題名に、「統合失調症の私」と付けた所が、今回は付けなかった。治ったのにそう書くのはおかしいと思ったからだ。これからは統合失調症に関係なく記事を書いて行こうと思った。しかし、結局、この冒頭で、統合失調症者にアウトドアを勧める会会長を名乗った。他の人の登山紀行など読んでいると、本人には楽しい思い出なのだろうが、それを読んでこちらが楽しくなるかと言うとそうでもないことがわかったため、私がもし、「登山しました、こんな所に行ってきました」と書いたところで、誰が面白いと思うか、そう考えるとこれまで通り、統合失調症を絡めて書いた方が、文章に特徴が出ていいと思う。それに治ったからと言って統合失調症者にアウトドアを勧める会会長を辞任しなくてもいいと思った。「統合失調症者」と言うが、その病気に限定しなくとも、うつ病などの精神疾患を持っている人や、ただ、悩みがあってもやもやしている人でもいい。この文章は心にもやもやを抱えている人全般に読者を想定していると思って欲しい。では、始める。

今回の登山は、初めてソロテント泊登山をすることを目的とした。そのために買ったテントとそれ用の大きなザックを初めて実践で使う。目的地は、静岡県の、大井川奥にある茶臼岳ちゃうすだけという山の、山頂近くにある茶臼小屋のテント場だ。予約はしてあった。テントだと1泊2000円だった。大井川の奥にあるので、登る前に1泊必要と思い、大井川の一番奥にある温泉「白樺荘しらかばそう」に泊まることにしていた。8月29日から9月1日まで仕事が休みだったため、8月29日に白樺荘に泊まり、8月30日に茶臼小屋でテントに1泊するつもりが、29日に白樺荘の予約が取れず、28日に予約を取った。そのため、せっかくだからとテント泊は2連泊となった。つまり、28,29,30、31の3泊4日の山行だ。私は8月28日、16時15分に仕事を終えると、職場近くのコンビニでおにぎりを6個買い、スーパーで3日分のパンを買い込み、家には帰らず直接、マイカーで白樺荘に向かった。道は大井川を遡上する単純なものだったが、念のため、スマホでナビ機能を使った。便利なものだと思った。大井川に沿って奥へ奥へと進む。そのうち日も落ちて、暗いくねくねとした山道を走った。19時前に白樺荘から電話があり、ハンズフリーの機能を使って、電話に出た。私は遅くなったことを謝り、ナビの到着予定時刻を伝えた。それによると、19時5分の予定だった。結局、その通りの時間に宿に着いた。私はチェックインして、部屋の鍵を渡された。「中岳なかだけ」という部屋だ。各部屋には南アルプスの山の名前が付いていて、中岳とは荒川三山あらかわさんざんのひとつだ。中岳は以前行ったことがあった。部屋に入ると、畳のベッドがふたつあり、布団が置いてあった。ふたり部屋を独りで使えるのだと思い嬉しくなった。そういえば以前ここに泊まったときは、4人部屋を独りで使った。今回の部屋にはトイレまで付いていた。4110円の宿泊費としては上等だと思った。

泊った部屋

入浴にタオルが必要と思って持参してきたが、タオルと歯ブラシが部屋に置いてあった。まるでホテルだ。私はさっそく夕飯用に買って来たおにぎりを3つ食べた。残りの3つは明日の朝食用だ。何時に着くかわからなかったので、夕食は頼んでなく、朝食も朝早く出る予定なので頼んでなく、故に素泊まりだから上記の宿泊費となった。私は食事を終えると、温泉に入った。ぬるぬるした泉質だった。露店風呂に出ると床にメスのカブトムシがいた。「ワイルドだな」と思った。内風呂より露天風呂のほうがぬるぬるしていたように感じた。私は風呂を出ると、廊下にあった自販機で、美味しそうな缶ジュースが売ってあったので、買って部屋で飲んだ。少しリッチな気がした。私は薬を飲んで就寝した。腕時計のアラームを4時にセットした。しかし、朝にアラームが鳴ると私は布団の中でむにゃむにゃといつまでもやっていた。「どうせ今日は茶臼小屋まで登ってテントを張るだけだ。ちょっとくらい遅くたって」という考えがあったからだ。5時頃起きて、給湯器でお湯を貰って水筒にインスタントのコーヒーを作り、昨日買ったおにぎりをふたつ食べて、残りのひとつは、その日の昼、というか、登山中のどこかで休憩したときに食べようと思いザックにしまった。そして、部屋の鍵を受付に返し、私はマイカーで出発した。マイカーで入れる一番奥の沼平ぬまだいらというゲートに向かった。沼平には20台分の駐車スペースがある。駐車している車は多くなく、私は車をそこに停めることができた。私は車を降りて、登山靴に履き替えた。ザックを背負い、さあ、出発だ。時刻は6時ちょうどだった。ゲートは閉じていて、脇の狭い隙間を通らねばならなかった。私はザックのお尻の部分に銀のテントマットを丸めたやつを付けていたため、その隙間を通るときに、1度ザックを降ろしてなんとか通ることができた。ここから畑薙はたなぎ大吊り橋まで40分歩く。

畑薙大吊り橋

予定通り6時40分に着いた。地図で見たコースタイムと同じだった。地図に載っている参考コースタイムは歩くのが遅い人に合わせているらしい。だからいつも、それに合わせて計画を立てると、計画よりずいぶん早く到着することが多い。しかし、沼平から大吊り橋までは車道であるため、みんなだいたい同じスピードであるということだろう。
大吊り橋を渡り終えると、登山開始だ。最初の峠である、「ヤレヤレ峠」には7時12分に着いた。参考タイムでは40分とあるが、32分で着いた。私もまだまだできるな、と自惚れた。次の目標はウソッコ沢小屋だ。8時10分に着いた。そこに着くまでにいくつもの橋を渡った。

ウソッコ沢小屋


橋から見た滝

ウソッコ沢小屋からは難所というか、怖い場所が多かった。というのも、人間の作った鉄の階段があって、それが傾いていたり、ねじが外れていたりと、人工物を信じるか否かという、自然相手の登山と少し違った怖さだった。
9時6分、中の段に到着し、残っていた鮭のおにぎりを食べた。腰を下ろして食事をするというのは実にいいものだと感じた。ところで、私の登山方法は、15分インターバル式で、15分歩いたら、ザックを降ろして水を飲み呼吸を整えて、すぐに出発というものだが、今回の登りは急登で体力勝負だった。途中、右足の踵に小石が入っているようで違和感があったので、横窪沢よこくぼざわ小屋あたりで、靴を脱いで小石を取り出そうとしたが、小石は入ってなく、またしばらく歩いて、同じように小石を感じたので靴を脱いで靴下まで脱いだが小石はなく、またしばらく歩くと、左足の同じところに小石を感じたので、ようやく気付いた。「これは小石じゃない、靴擦れだ」。傾斜が急だと、地面に降ろした足に角度が付き、足を上げる際に、踵と靴が擦れるのだ。「こいつが悪化したら嫌だな」と思いながら登ったが、結果苦しむことなどなかった。この靴は6月に新しく買ったばかりで、8月上旬の奥穂高おくほたか山行では靴擦れはしなかった。奥穂高は岩山で、今回のような単純な急登がなかったから、靴擦れができなかったのだろうと思った。
横窪沢小屋には水場があるとのことだったので、私はそこで水を補給すればいいや、と思って荷物の水を500ミリリットルのペットボトル2本と、朝淹れた水筒のコーヒーだけにしてあった。1リットルのボトルは持って行ったが空だった。そして、横窪沢小屋に着くと、水場を見た。水は出ていなかった。そのとき私はすでにペットボトル1本を空けていた。つまり、ここから茶臼小屋まで、残りのペットボトル1本で行かなければならない。水というのは生命にかかわる。やっぱり水は充分持って来なくてはならないと痛感した。
横窪沢小屋を過ぎると、本当に体力の限界を感じた。しかし、限界でも生きるためには茶臼小屋まで登らねばならない。私は8月の初めに登った奥穂高の吊り尾根を思い出した。あそこでは本当に生きるか死ぬかを意識していた。「絶対生きて帰ってやる」そういった生命力を集中した結果、統合失調症が治った。しかし、今回の急登はただ、しんどい、というもので、生命力を爆発させる環境ではなかった。頭の中に雑念はあった。奥穂高は生命力で登り、この茶臼岳は体力で登ると言った感じだった。そんな体力との勝負だったので、気持ちは早く休みたい、とばかり考え、腕時計ばかり見た。15分が待ち遠しかった。15分ルールは自分で作ったものだ。15分待てなければ自分に負けたことになる。そもそも15分ルールはこのような急登にこそ適した登り方だと思う。もちろん、グループで登る場合、15分ごとにザックをみんなで降ろしていたら、登山道途中では他の登山者の通行の邪魔になるし、グループではメンバーの足の速さに違いがあるため先頭のリーダーが15分で立ち止まると、殿しんがりが5分後にそこへ到着するかもしれない。そうなると、休んでばかりという結果となるだろう。そうなると、オーソドックスな登り方で、広場に着いたら、15分休憩しましょう、みたいな休み方で、その代わり、長時間歩きながら飴を舐めて疲労を誤魔化したり、水筒からチューブを出してザックに固定し、歩きながら水が飲めるようにするのが有効になるだろう。だが、私は独りだ。すべて自分のペースで歩くことができる。15分で休憩しなくとも、体力が持ちそうならば30分でも歩き続けることもある。しかし、今回の急登は15分が長く感じられた。11時40分、樺段かばだんという所に着いた。もう少しだ。しかし、私はちょっと長めの休憩を取ることにした。丸木のベンチに腰掛け、メロンパンを食べた。コーヒーも飲んだ。一応、この日の昼食はパン2個(+レーズンパンかチョコパン)と用意してあったので、朝のおにぎりが残っていたこともあって、まだ、これで1個目のパンだった。残りのソーセージのパンは小屋に着いたら、ビールと一緒に食べよう、などと残りの登りから現実逃避するみたいに妄想した。食べ終わると、気合を入れて出発した。私は登山するときにものを考えながら歩くが、この急登ではほとんど考えることがなかった。しかし、頭のどこかには雑念があった。まだ、生きるか死ぬかのところまで追い込まれていないのだろう、と思った。
しばらく歩くと、茶臼小屋が見えてきた。

茶臼小屋が見えた

12時40分、茶臼小屋到着。
私は受付でテント泊2泊分の4000円を払って、テント場に行った。さっそく、テントの設営を始めた。天気は霧だったが、運よく雨も風もなかった。テントの設営には他の人がどうやってテントを張っているかも参考にした。ペグを土に打ち込んで固定するが、土が柔らかく、そのため抜けないように石を上に置くのがいいらしかった。私も真似をした。雨よけのフライシートを張るときは、紐の結び方がわからず試行錯誤でなんとか固定できた。

初めて張ったテント

テントの設営を終えると、あとはフリータイムだ。本当は晴れていたら茶臼岳に登ろうと思っていたが、あいにく、霧と時々雨がパラついたので、小屋でビールを買って飲むことにした。つまみは先ほど述べたソーセージのパンだ。

これが山の楽しみのひとつ

雄大な景色を見ながらビール、というわけには今回は行かなかったが、ビールを飲むことも登山の目的のひとつでもあるので、それを果たせてよかった。翌日も飲もうと思っている。
ビールを飲み終えると私は昼寝をすることにした。これも山の楽しみのひとつだ。私はテントに入った。買ってから初めて使う羽毛の寝袋で快適に眠ることができた。外は雨のようだった。テントだと雨の音が誇張されて聞こえる。
16時半、他にすることもないので、夕飯にすることにした。本日の献立は、レトルトのご飯と、缶詰ふたつだ。さば缶とシーチキンだ。レトルトのご飯ができると、私はさば缶を開けた。中にはたっぷりと汁が入っていたので、それを残すと後始末に困る。山の環境のためにも汁を外にこぼすこともできない。私はさば缶をまるごとご飯にぶっかけた。貧乏くさいが美味かった。シーチキンが余ってしまったので、翌日のビールのつまみにしようと決めた。
17時50分、外は雨だ。私は大学ノートに文章を書いた。テントの中は明るかった。ライトなしで文章を書けた。それが終わるとすることもないので薬を飲んで寝袋に入った。
眼が覚めたのは、9時だった。え?9時?外は暗かった。朝ではなく、夜の9時だった。私はまた眠った。次に眼が覚めたのは12時台だった。私の腕時計はデジタルなので、0時ではなく12時と表示してあった。私はそれがわからず、時計の日付は変わっている、それなのに12時はおかしい、と思い、スマホの電源を入れようとした。電源がなかなか入らなかった。「やべ、濡れて壊れたか?」と思った。しかし、何度もトライするうちに電源が入った。電源が入った嬉しさに、時計を見ることを忘れていた。インターネットで明日の天気を見ようとしたら繋がらなかった。山の上なのだ、都市部のようには行かない。私はまた眠った。
4時にアラームが鳴った。私は朝日が出るならば見たいと思ったが外を見ると星も見えなく、霧だったのでもう少し眠ることにした。隣でテントを張っていた人が、テントを畳んでいるらしく、音が聞こえた。前日話をしたら、聖岳ひじりだけから来て、光岳てかりだけへ行き、易老渡いろうどへ降りると言うことだった。私は彼を猛者もさだと思った。テント泊で縦走。私の次の課題かもしれなかった。後で思ったのだが、1泊テントで寝て、雨や夜露に濡れたテントを畳んでザックにしまい、次の場所でまた張るというのは、どうしたらできるのだろうか、私にはわからなかった。なぜなら、1泊しただけで、フライシートは濡れてぐちゃぐちゃになり、テント本体も濡れてしまっている。2泊目は不快ではないだろうか、疑問だ。まあ、それは後で思ったことで、このとき思ったのは、というか、まどろみの中で見た夢はテントのことだった。フライシートのペグが抜けてピロピロまくれてしまっていて、今にもテントごと飛ばされそうだという夢だった。私は夢うつつに、一度テントを出て確認しようと思った。夢の中でテントの外へ出ると、車があって・・・これは夢だからこれ以上は書いても脈絡がないし、私自身思い出すこともできないので書かないが、とにかく夢はテントのことばかりだった。
この日は、晴れていれば、上河内岳かみこうちだけと茶臼岳、仁田岳にっただけに登ろうと思っていた。そのため、ときどきテントの外を見て天気を確認した。雨だった。6時半頃、「もし行くのならばそろそろ出発しないといけないな」と思い。せっかく登った山だし、1日テントで過ごすのもアホみたいだから、雨でも構うものかと、出発することに決めた。歩いているうちに晴れるかもしれない。私は湯を沸かしコーヒーを淹れ、ジャムパンとメロンパンを食べた。またメロンパンかと思う人もいるかと思うが、前日食べたメロンパンはチョコチップが入っているやつで、この朝食べたのは普通のメロンパンだ。とはいえメロンパンには違いない。たぶん、腹持ちを考えてスーパーで選んだのだろう。我ながらよくわからない。
7時57分出発した。霧雨というか雨が降っていた。私はカッパを着るのが嫌いで、服は濡れてもいい、乾かせばいい、着替えもある、などと思っていた。稜線へ出た。左に行けば茶臼岳仁田岳、右に行けば上河内岳がある。私はまず、上河内岳に向かった。上河内岳に向かうと右側から強烈に雨が吹き付けて来るので、ザックカバーだけは付けた。体はカッパを着てもどうせ汗で蒸れて濡れると思い着なかった。どうせ、山頂に行っても景色は見えまい、と思い、歩きながらここはと思う所を写真に収めた。

上河内岳へ向かう道
お花畑と呼ばれる所
岩場というほどではないが

私は上河内岳に向かいながら、過去に2回来ていることを思い出していた。1度目は今回のように茶臼小屋に泊まり、茶臼岳と上河内岳を廻る山行。もう1度は聖岳から茶臼小屋への縦走だった。どちらも天気に恵まれず絶景と言われるその山頂からの風景は眼に収めることはできなかった。今回は3度目の正直なるか?無理だろうな、などと思いながら登った。

無理だった

9時30分、上河内岳に着いた。視界は悪く寒かった。私は石に腰を下ろし、レーズンパンをかじり、コーヒーを飲んだ。あとで記録を確認したら、前回もまったく同じようにレーズンパンを食べコーヒーを飲んでいる。晴れたらいいなと思いつつ、結局10分だけ滞在し、上河内岳をあとにした。次は茶臼岳仁田岳だ。そっちに行く頃には晴れてくれるか?などと思っていた。歩きながら私は考えていた。なぜ、私は視界の悪いとわかっている山に登るのだろうか?答えは、それが目標だからだ、というだけだった。下山したときに、「登った」と思えることと「登らなかった」と思うのとでは後味が全然違う。もちろん悪天候で登ることを断念しなければならないこともあるだろう。しかし、このときの上河内岳、茶臼岳、仁田岳は違った。登ることはできる状況だった。
11時10分、茶臼岳山頂到着。霧で景色は見えなかったが、雨も風もなく過ごしやすい環境だった。

茶臼岳
山頂の様子

11時14分に茶臼岳をあとにした。私は仁田岳に向かった。仁田岳は光岳方面に向かい、途中で左に折れて、しばらく行った所にある。晴れていれば360度の大パノラマなのだそうだ。途中、仁田池という池もあるらしい。天空の池、美しいに違いない。で、11時32分、その仁田池に着いた。

仁田池

ただの濁った池で、天空の池とかなんとか美しい形容とは無縁だと思った。
仁田池を出てしばらく行くと、希望峰という分岐点に出た。直進すれば光岳、左に行けば、仁田岳だ。私は左へ進路を取った。

仁田岳への道

丈の低い木々をかき分けて行くような道だった。誰もいなく、私ひとりがその風景の中を歩いていた。12時10分、仁田岳到着。

仁田岳山頂

仁田岳山頂では視界は悪いものの、雨も風もなく暖かだった。私は腰を下ろし、レーズンパンを食べコーヒーを飲んだ。ところで、私はレーズンパンばかり食べている印象を持たれるかもしれないが、私がとくにレーズンパンが好きだというわけではなく、潰れても食べられてザックに詰めやすいという理由から一袋持って行くのである。もっと美味くて、持って行きやすい食べ物があればそれを選ぶだろう。そういえば、朝食べたジャムパンなど潰れてジャムが飛び出ていた。レーズンパンならそういうことはあるまい。そのレーズンパンを食べてコーヒーを飲んでいても景色は変わらず、私は腰を上げた。12時20分帰路につく。
13時12分茶臼岳到着。帰りは道がわかっている分、あっという間に着いた感じだ。13時41分茶臼小屋到着。ずっと歩きながら考えていたカップラーメンを食べるという夢想を現実のものにしようと、売店に入り物色した。欽ちゃんヌードルとチキンラーメンあるいは赤いキツネと緑のタヌキの選択肢があったが、袋しかゴミとして残らないチキンラーメンを買った。300円。テントに戻ると、フライシートとテント本体の間にハエが何十匹も入っていてブンブンともがいていた。さいわいテント本体の中にはほとんどいなかった。

ハエが多い!

私は湯を沸かしチキンラーメンを食べた。
服が濡れていたので着替えようとしたら、替えのパンツがないことに気づいた。しかたなく、パンツ以外の服は着替えて、パンツだけは濡れたまましばらく文章を書いて過ごした。ハーフパンツをずらして、濡れたパンツを穿いた尻を突き出して床で大学ノートに文章を書いている私の姿を想像していただければ、いかに情けないかがお分かりいただけるだろう。
その後、眠ろうと思い寝袋に入ったが眠れず、前日、残したシーチキンをつまみにビールを飲もうと思いテントを出た。雨が激しく降っていて、私は小屋の自炊場に入り、ベンチの濡れていないところを選んで腰かけ、シーチキンを食べビールを飲んだ。寒いばかりで美味いのかどうなのかわからなかった。そのあと、また寝ようと思いテントに入ったが眠れず、16時半頃から夕食の準備を始めた。レトルトのカレーだ。

沸騰させなくてもOKだとわかった

そのあと歯を磨き、ウンコをしようとトイレに入った。そういえば、最後にウンコをしたのは白樺荘に泊まった夜だ。もう2日していない。トイレにしゃがむと正面にお尻を拭いた紙はお持ち帰りくださいとあり、横にビニール袋がぶら下げてあった。それにビビったのかウンコは出なかった。下山してから白樺荘でぶちかまそうと思った。いや、それとも翌朝、自然としたくなるのだろうか?テントに戻り、大学ノートにこの文章の原文を書いて、時計を見ると17時38分。早いが寝ようと思った。他にすることがないので。

4時に起床し、コーヒーを淹れ、パンを食べた。そのあとテントを畳んだ。雨が降っていた。
5時25分出発。行きの失敗を活かして、水はペットボトル2本と1リットルのボトルを持った。雨は降っていたが服は濡れてもいいやと思い、ザックカバーのみ付けて歩いた。しかし、途中で「やっぱカッパいるかも」と思わせる強い雨が来たので、私はカッパの上下を着た。そのとき男性がひとり私を追い抜いて行った。この日、この登山道で出会ったのは彼一人だけだった。そのあと、カッパの温かさを感じて、カッパは濡れるのを防ぐというより、保温の効果があるのではないかと勝手に了解した。6時4分、樺段に到着。先日、ヒーヒー言って、メロンパンを食べた場所だ。下りは早いものだ。先日、登ったのがいかに急登であったか、よくわかった。7時17分、横窪沢小屋に到着。レーズンパンを食べ、コーヒーを飲んだ。7時25分出発。下りは余裕があるのでいろいろ考えることが多い。この文章を家に帰って書く際、何を書こうかとアイディアが次から次へと出てくる。そのアイディアはここでは書かないが、他の記事になると思う。このように妄想というか思考が激しく回転することは、私の病気の症状だろう。こう言うと、「あれ?あなたは統合失調症が治ったのでは?」と言われそうだが、思考癖、文章創作癖というのは抜けないし、むしろ面白い私の長所だと思っている。それに統合失調症が治った感じは自覚している。この下山中、蝉の声や沢の流れる音を聞いていた自分は確かに治っていた。そのとき、思考癖、文章創作癖からは完全に解き放たれていた。

滝の音

8時48分、ウソッコ沢小屋到着。また、レーズンパンを食べ、コーヒーを飲む。8時55分出発。次に目指すはヤレヤレ峠だ。もう雨は止んでいた。私はカッパの上着だけ脱いだ。

沢の流れに耳傾ける

ヤレヤレ峠まではきつい登りが続いた。歩きながら考えた。もう少しだ、頑張れ、ファイト、もう少しでヤレヤレ峠だぞ。などと自分に言い聞かすたびに、嫌になってくる自分がいた。この「ヤレヤレ峠」って誰が命名したんだ。こんなネガティブな名前を付けられたら、これから登る人がうんざりしてしまうだろう。「ヤレヤレ峠」?これがもし「ダラダラ峠」「グダグダ峠」などだったとしても嫌な名前だ。畑薙から茶臼岳に登るときの最初の峠が「ヤレヤレ峠」だ。せめて「ようこそ峠」とかにしてくれた方がいい。それだけで登る人の気持ちが全然違うぞ。などと私の思考癖はその名称について全開になっていた。9時59分、そのヤレヤレ峠に着いたとき、本当に嫌なものが終わった感じがした。

ヤレヤレ

私はカッパのズボンを脱いだ。すでに上記のようにカッパの上着は脱いであった。ズボンは着脱が面倒なのでしばらくそのまま穿いて歩いたが、ヤレヤレ峠では日差しも出ていて、もう降る心配はないだろうと考え脱いだ。10時34分、畑薙大吊り橋に着いた。下山した報告を親にしないとな、と思っていたそのとき、最後の一段で石に滑って転んだ。無事だったが、もしこのときの転倒で怪我をしていたら、こんなに間抜けなことはないと思った。
畑薙大吊り橋は渡るのに6分かかった。渡り切ってからは車道を歩いて、沼平のゲートに11時16分に着いた。電話で親に下山を報告した。

帰りにまた白樺荘に立ち寄った。入浴と食事のためだ。ここは日帰り温泉もやっている。感染症のためか不景気のためか平日だからか知らないがほとんど客がいなかった。露天風呂から正面に見えるのが茶臼岳だということだったが、山頂は雲の中だった。
風呂から出ると、私は以前ここで食べたことのある鹿刺しかさし定食を食べようと食堂へ行った。そうしたら、不景気のせいか、メニューが、かつ丼、カレー、そば、うどん、またはそれらの組み合わせしかなかった。私はかつ丼定食を食べた。

おわり


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