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統合失調症の当事者として書くか、社会福祉士として書くか?

私は昨日、上に貼り付けた記事を投稿した。再度読んでみると、前半の社会福祉士つまり支援者目線で書いた文章はクソつまらなく、後半の当事者として書いた文章は面白かった。面白かったというか、我ながら自分の経験苦労から出てきた言葉のほうが魅力があると思う。私はたしかに社会福祉士を名乗る資格を持っているが、その道に関してはほぼ素人である。つまり、支援の技術はほぼ無い。
しかし、私はこのnoteで、統合失調症当事者の心に訴えかける文章を書くことにしている。それは支援者目線ではない。支援など私はできない。応援でもない。私は沿道で旗を振る応援者ではなく、精神を病んだ当事者として共に走るランナーなのだ。走っているとき自分が苦しいとき、自分のことで精一杯で、周囲のランナーに声を掛けてあげることもできないだろう。私は現在比較的楽な状態にあり、文章も得意と思っているので、共に走る者に声を掛けたいのだ。
では、なぜ、私は社会福祉士の資格を取ったか?
それは現在働いている介護の仕事に就いたときの「けじめ」である。どういうことかというと、私は介護の仕事に十年前に就いたが、その際、モチベーションを保つために三年働いたら受験資格が得られる介護福祉士の資格を取るため、「とりあえず三年」と自分に言い聞かせ、自分に鞭打ち三年頑張った。実際試験を受けたのはその翌年になったのだが、その「三年」のけじめが私を介護福祉士にしてくれた。統合失調症を患っている方でこれから働こうと思う方は、すぐに辞めないように、自分に「とりあえず三年」というような目標を持つといいと思う。「石の上にも三年」という言葉があるが、「三年」は精神的にちょうどいい数字だと思う。これが「十年」とかだと重すぎる。そして、介護福祉士の次は、さらに二年経つと、介護支援専門員(ケアマネジャー)の資格を取るつもりだった。しかし、ケアマネジャーは国家資格ではないことと、私は四年制の大学を出ているので、せっかくだから国家資格である社会福祉士を取ってみようか、と思った。特に目的があったわけではなく、福祉の世界に入ったのだから、逃げたくはないという思いだった。もちろん社会福祉士を取らないのが逃げではなかったが、ケアマネジャーを取るつもりだった私にしてみると、介護職に五年勤めて、ケアマネジャーも社会福祉士も取らないのはけじめとしては納得できなかった。で、二年間働きながら通信の大学で勉強して、受験し、合格できた。そして、私は社会福祉士の名を名乗ることができるようになったのである。この資格は、名称独占と言って、医師や看護師などのように業務独占とは違い、社会福祉士でなければできない仕事はほとんどない。ただ、「名乗れる」と言うだけの資格である。だから、経験の無い私でも資格を持っているのでこうして名乗れるのである。合格した私は社会福祉士会に入り、その年は、毎月来る冊子に同封されてくる講演会などのチラシを見て、毎月のように福祉の講演を聴きに行った。まだコロナが流行る前の2019年のことである。その年は、けじめをつけた自分へのご褒美にギリシャへひとり旅にも行った。私は海外旅行が大好きで、二十代の頃はそのために働いていたようなものだった。小説家になるのが夢で、世界中の文化を吸収して、豊かな世界観を作りたい、そんな思いで生きている。介護職に就いてからは仕事柄海外旅行には行けず、国内の登山が一年の楽しみとなった。そんな中、施設長に許可をもらって、ギリシャへ出かけた。この国を選んだ理由は当時書いていた小説の舞台がギリシャのアテネだったからである。2020年からはご存じのように、コロナが流行り、講演会もリモートばかりになり、コンピューターが苦手な私は参加できないというか、する気にならなくなった。私は社会福祉士として講演を聴きに街へ出るのがひとつの快楽でもあった。もしかしたら単なる変身願望みたいなのがあったのかもしれない。ただ、ひとつ言っておくと、私は統合失調症当事者としてだけ生きているのではなく、介護福祉士、社会福祉士、小説家志望者、旅行者、登山者、など、それぞれの自分が違う世界を生きている。この中で介護福祉士だけが仕事であるが、ではあとの自分は無くてもいいかというと、絶対に無ければ困る要素である。人生は楽しいほうがいい。

パルテノン神殿の前で国旗を掲揚する兵士たち

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