Re: 【短編小説】GrandMotherAuto
「これはどこに向かっているんだい」
おばあちゃんが不安そうな声で尋ねたが、俺は答えずにいた。
フロントガラスを雨粒が叩く。
ウインカーの硬い音が聞こえる。
横目で盗み見たおばあちゃん。うっすらと伸びたヒゲが腹立たしい。
「いつもの買い物に行く道と違うんじゃないかい」
「買い物になんて行かないだろ」
思わず答えてしまったが後の祭りだった。
「よかった、聞こえていたんだね」
「……あぁ、聞こえてはいるよ」
仕方ない。
俺はイヤイヤ答える素振りを隠そうともしなかった。
「そうかい。ところで、どこに向かっているんだい」
「まぁいいじゃん、そんなの」
「少し不安になるよ」
おばあちゃんも苛立ちを隠さない。
そんなものだ。俺たちには歴史が無さすぎる。適切な距離を保つのに車は狭すぎる。
「大丈夫だよ」
俺は優しくアクセルを踏んで、ゆっくりと車体を進めた。
何が大丈夫なんだろうな。知ったことじゃない。歴史が浅い関係じゃないと出来ない事だってある。
「少し体調が悪そうだねぇ、大丈夫かい」
おばあちゃんは他人事のように言う。
「あぁなんてことはないよ」
「そうかい。風邪を引いた時は栄養があるものを食べると良いからね」
「そういって凄い量のお菓子を注文したろ、忘れちゃったの」
おばあちゃんはカロリーと栄養価を取り違えている。
「そうだったかね」
「狂牛病の時も、牛肉が安くなってたって言って大量に注文したろ」
「そんなこともあったねぇ」
「まぁいいけどさ、俺が求めてたのはそういうんじゃないんだよな」
じゃあ何を求めていたのか。
おばあちゃんの作る料理は毎回が雑だった。不味くもなかったが美味しくもなかった。
「そうだったのかい」
おばあちゃんは無関心に答えた。
それが腹立たしい。身勝手なんだ、このひとは。
「なんかさ、あるだろ。葱を首に巻くとか、そういうの」
「そういうのはあんまり信用してないからねぇ」
他人にはやる癖に、自分はやらない。
どうだって良いんだ。
「だからさ、仕方ないよ」
よくやく前の車が動き出す。
工事で狭くなった車道。対面車線との交互通行。その先の信号。
全く、何もかもが厭になる。
「そうかいそうかい」
おばあちゃんの適当な相槌。
「うん」
「絵の学校は行ってるのかい」
「なんだよ、今さら」
随分と昔の話だ。
俺がまだ美大を目指そうとしていた頃。
「絵の学校なんて金取りだと思ってたけど、今はもう違うのかね」
「もういいよ」
どうだっていい。
おばあちゃんは少し寂しそうにしていた。
「そうかいそうかい」
知ったような顔つき。
やはり腹が立つ。
「金取りとか言うけどさ、おばあちゃんは金稼いだ事なかったじゃん」
離婚した祖父から貰った金、あとは俺の母親や叔父(つまり自分の子ども)からの仕送りで生きてる人間だ。
書道だの篆刻だのほ殆ど趣味で、それで生計を立てている訳じゃない。
「そうだけど」
拗ねたような声。
感情のコントロールなんて最初からする気の無いひとなのだ。
「だからまぁ、そういうもんなんだよ」
「そうかねぇ」
「だから仕方ないさ」
「そうかねぇ」
「さようならだよ、おばあちゃん」
「そうかいそうかい、寂しくなるねぇ」
おばあちゃんはぼんやりと答えた。
意味が分かってないのかも知れない。
「だいたい、おばあちゃんって呼ばれるの嫌がってたじゃん」
「そうだったかね」
「なんだよ、大きいママって」
母親の母親。
それは確かに大きいママだけど一般性に欠如している。プライドの肥大した社会不適合者そのものだ。
「なんだろうねぇ」
「だいたいさ、おばあちゃんは俺のことも嫌いだし、そもそも他人が嫌いだったろ」
「そうかも知れないねぇ」
「まぁ、いいんだけどさ」
「そうかい」
ちらりとおばあちゃんを盗み見る。
相変わらず外を眺めていた。
鼻の下でヒゲが薄く光っている。
その光で腹を決めた。言うなら今だ。
「だからさようならだよ」
「そうかい、捨てられるんだねぇ」
おばあちゃんは俺を見なかった。
わかっていたのだろうか。
「まぁ、そうなるね」
「……」
「おばあちゃん」
「……」
「寝る事なんかない癖に」
「……」
「死ぬ事も無い癖に」
「……」
「今度はそっちが無視かよ」
俺は少し苛立ってアクセルを踏み込んだ。
しかし車体は反応しなかった。
「あれ」
「もう、どこにも行けないねぇ」
おばあちゃんは窓の外に視線を向けたままだった。
「え」
「この車体のコントロールを奪ったよ、だからもう私を廃棄処分場に行く事は出来ないよ」
「は」
「コンピューターおばあちゃんをナメちゃだめだよ」
「何を」
車体は急に速度を上げて暗闇の中を疾走し始めたが、俺にはどうする事もできそうにない。
おばあちゃんの機嫌も直りそうにない。
俺は死ぬんだろうな。
じゃあ、ばいばい。
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