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【短編小説】さよならごっこ

 蝉の鳴き声が遠い。死の季節が終わろうとしている。
 外は雨が降っていた。秋を告げる雨だ。名前はまだない。砂利の上を転げまわるような、またはキッチンで炒め物や揚げ物をするような音がしている。雨。空に浮かんだ水がその場所に耐えきれなくなって落ちてきている。落ちこぼれた水。一億のジョナサン。垂直に落ちていく。それでも明日は垂直に来ない。地平線の見えない街に明日は水平にやってくる。秒針が夜を刻んでいく。
 勿体ない。使い道の無い夜が勿体ないと思った。ゴミ屋敷のようにもったいな夜を詰め込んだ部屋が息苦しくなってまた夜を拾いに外に出る。ビニール傘を叩く雨はやはり垂直だ。よふかしのうた。128ビートの雨。垂直な128ビート。垂直な夜。垂直に踏むアスファルト。水平に広がる水たまり。波紋。夜は水平だ。きっと。
 アンファンテリブルのいない街。ひとりで歩く夜の住宅街。深夜。サラリーマンもいない。誰もいない夜。猫の影が街灯に伸びる。薄い影は水平に消える。勿体ない夜を雨宿りで過ごす猫の気持ちはわからない。

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