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Re: 【小説】無為Be炎

 刑務官に従って歩く廊下から見える空は少し色が濃くなりはじめている。
 どうやら冬が終わろうとしているらしい。
 また夏が始まる。
 この国の四季はとっくにバランスを崩している。冬が終われば三日ほどの春を挟んですぐクソみたいに長い夏が始まる。

 面会室には女が待っていた。
 そしておれを見るなり泣き始めた。
 刑務官は無表情でおれに着座を促した。さすがだ、このクソったれた瞬間を山ほど経験してきた奴は慣れてやがる。
 おれは座り潰されてクッションが餃子の皮より薄くなったパイプ椅子に座った。
 女が泣いた顔をこちらに向ける。
 両目から放たれた光がおれを射抜く。
 大きく息を吸って細く吐き出す。準備はいいか?覚悟を決めろ。そう自分に言い聞かせて壁にかかった受話器を取る。
 同時に女も受話器を取った。
「よう、久しぶり」
 刑務官がストップウォッチを押す。スタートだ。エンドオブおれたちの世界。終末時計より先に終わるおれたちの世界。

「どうして?」
 女は何度だって同じ質問をする。頭が悪いからってのもそうだし、現実や事実を受け入れない強さと言うのもある。
「お前がそう願ったからさ」
 おれは何度だって同じ答えを繰り返す。それは執拗さだとか丁寧さを越えた作業に近いかも知れない。
「一緒にいられないなら意味が無いじゃない」
 女が泣く。
 だがおれはお前の不安をひとつ取り除いた。
 それにおれはお前を愛している。
 お前が前科持ちであるとかおれが余罪取り調べ中の身であるとかはどうでも良い事だ。愛と言う感情に於ける本質的な部分には作用しないはずだ。

「でも、いまはこうやって声しか聞けない。あなたに触れないんじゃ意味がない」
「いいか、よく聞け」
 おれは分厚いプラスチックの窓に手を当てる。女が同じように手を当てる。当たり前だがその温度は伝わらない。
 いいか、よく聞け。
 不安に怯えながら触れ合うよりもマシな世界がある。おれが弁当を持って帰る……執行猶予の話だ、そうなるのは難しいだろう。

 
 だがお前の願いは叶えられた。
 奴の下宿先も実家も燃やしてしまった。もう奴はこの世にはいない。少なくともお前が死んであの世に行くまでは会うことがない。
 お前の元カレだとかその家族、そいつらを含む歴史みてぇなのは全部が灰になった。
 おれはそれでお前がラクになると思っていたが、どうやらそうじゃないみたいだったな。そこは誤算だ。
「わたしの為にやったって言うの?」
 いいか、この話は何度もしたはずだ。
 だからお前が納得するまで何度繰り返したっていい。

 そもそも燃えてしまえばよいってのが仮初の願いだったとして、叶えられない祈りであった方が良かったと思うか?
 おれたちの日常が奴の願うことの為に、涙を積もらせていくだけで良かったと思うか?
 冗談じゃない。
 最初はもっと別の方法を模索していた。例えばおれやお前の髪の毛を玄関の辺りに隠しておくとかを考えた。
 だがプライドも自尊心も高い存在じゃないので有効性は薄そうだと思いそれは止めた。
 効果も無いのに何度も跨がれる頭髪の事を考えると甚だ不愉快だけどな。


 いや、それが効果なのかも知れない。
 まぁいい。
 本題に入るとおれはお前のの願いを聞き入れて元恋人やその家などを燃やしてしまった。
 おれは捕まった。
 それを知ったお前はいまこうしておれの目の前で怯えて震えている。

 あの時のおれの手には煙草とライターがあった。
 もしかしたら火を点けると袖に染み込んだ灯油だとかガソリンの勢いで激しく燃えるかも知れないと思った。
 そうなったら人間火炎瓶だ。
 おれ自身はそんなにアルコールを飲まない方だが何も内部から燃えるとは限らない。
 火だるま。
 踊る案山子。
 ファイヤーマン。
 まぁ何だっていい。
 おれが燃えると言う事は誰かの願いだったりするのだろうか。
 袖で鼻を拭く。鼻水が糸を引く。
 おれは笑う。おまえが泣く。
 煙草を咥える。
 ガスコンロのスイッチを押す。
 爆発。

 おれの爺さんはそうやって死んだらしい。
 おれたちもそうやって死ぬべきだったか?
 
 おれの両親があのジジイの爆発の中でどうやってセックスしたのかは知らないし、どうやって出産したのかも知らない。
 カイザー、ツァーリ、エンペラー。
 試験管。ライブハウスやヴィレヴァンの便所。コインロッカー。
「愛してるの」
 おれもお前を愛してるよ。
 この件でどんな懲役を課されたとしたってお前やおれが持つ恋愛と言う感情に何ら影響を与えないはずだ。そうだろう?
 女が頷く。
「時間だ」
 刑務官が言う。
 同時に受話器の接続が遮断される。
 冬が終わった。

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