【短編小説】伝言ゲーム

　血だるまになった社長を見ながらポスタル豪は肩で息をした。
　雑居マンションの一室。
　フローリングの冷たい床で社長が小さな息を吐いている。可哀想に、痛かろうにな。
「いや、痛いのは俺の拳なんで」
　ポスタル豪は独り言をつぶやいた。
　日本は銃社会では無いのが悪い。
　廃刀令だって良くない。
　だが我われ労働者たちは経営者たちに対して武力を行使せねばならない時がある。


「冬のボーナスさえくれたら、こんな事にはならなかったんだ」
　ポスタル豪は手を洗いながら呟く。
　ガス設備の死んだ雑居ビルはお湯が出ない。それゆえに家賃も安い。
　生活の実態をここに置いている人間はそう多くないはずだ。
　指の関節が開かず、うまく手を洗えない。
　ポスタル豪は少し苛立ちながら両の手を擦り合わせていた。


　別に最初から殺す気だった訳では無い。
　確かに弊社には冬のボーナスがない。その分、夏は大きく出る。
　だがそんなもので手打ちにしようとは思わない。少しで良い、半月分でも良いから欲しかった。
　それを冗談めかして言ってみたところ、逆上した社長に馘を仄めかされた。
　だから殴った。
　こちらのボーナスは冗談で済んでも、相手の馘宣告は洒落にならない。


　そして一度殴ってしまえば後は何度殴っても同じだ。
　そうなってしまえば、行くところまで行くしか無い。
　ポスタル豪は馬乗りになって社長を殴っている時に、数日前駅前で見た男を思い出していた。
　その男は、駅前の噴水広場に立っていた。
　そして突如として
「殺す時は殴り殺すんだよ」
　と叫んだ。
　驚いて目を遣ると、その男は再び同じ事を叫んだ。


　電話をしているとか、酔っていると言う感じはしなかった。
　もしかしたら違法薬物だとかなのかも知らない。風邪薬の異常行動と言う可能性だってある。
　だがその男は繰り返し
「だから、殺す時は殴り殺すしかないんだよ」
　と叫んでいた。
　そしてそれは真実だ。
　射殺もできない。毒殺もできない。
　それなら。


「殺す時は殴り殺すしか無いんだよ」
　ポスタル豪はつぶやいた。
　いや、呟いたつもりだった。
　だが部屋の窓がポスタル豪の声で震えていた。それほどの大声だった。
　ポスタル豪な驚いて顔を上げた。
　続け様に二度三度、同じ叫びが自分の喉から飛び出た。
　パニックになったポスタル豪は、事務所を飛び出るとそのまま街を走った。
　その間もポスタル豪は叫び続けていた。


「殺す時は殴り殺すしかないんだよ」
　商店街の真ん中でポスタル豪は足を止めた。
　もうこれ以上は走れなかった。
「殺す時は殴り殺すしかないんだよ」
　それでもポスタル豪は叫び続けた。
　商店街を行く人たちが遠巻きにポスタル豪を見ているのが分かった。
　それでもポスタル豪は叫び続けた。


　ポスタル豪が叫び続けていると、ひとりの子供と目が合った。
　粗末な服を着た、小汚くみすぼらしい子供だった。
　ポスタル豪が繰り返し叫んでいるのを見ていた子供は、急に踵を返すと路地の奥へと消えて行った。
　それと同時にポスタル豪は自分の絶叫から解放された。
　明日はあの子が誰かを殴り殺すんだろうとポスタル豪は思った。