Re: 【超超短編小説】電車
電車が来た。
そして男は死んだ。
それは別に大きな理由があった訳でも、強い衝動があった訳でも無かった。
自殺と言うほどの勢いもなく、それはまるでコンビニや書店にでも入るみたいに軽い足取りで、男はプラットフォームから線路にふわりと踏み出した。
警笛が鳴る。
金属が擦れるブレーキの音と恐らくは女性の悲鳴、あとは男性の舌打ちが幾つか聴こえて、最後にスマートフォンを起動する音が少々。
そこまでを想像している間に、快速電車は駅を通過していった。
風が吹いて身体が電車に引き寄せられた。男は特に意識はしなかったが、足が黄色い線を越える事は無かった。
前に飛び出さなくても良いはずだ。
男はそう思ったけれど、誰もその背中を押す事はなかった。
男は考えた。
そうして死んだ時、君は何をしているのだろう。
入浴剤を入れたお風呂でアイスキャンディーを食べるんだろうか。
明日もクミンシードを入れたヨーグルトを食べるのだろうか。
無理やりにでもあの部屋に棲み続けるだろうか。
電車が来た。
男は生きていた。
少なくとも死んでいなかった。
電車のドアが開いた。
降車客たちがホーム上の乗客たちを押し退けるようにして流れ出た。
誰もが不服そうな顔をしていた。
男は電車に乗った。
ドアが閉まった。
硝子は誰かの皮脂で汚れていた。それは知らない人間の悲鳴みたいでもあったし、憤怒だとか嫌悪だとかかも知れなかった。
少なくとも歓びだとかでは無かった。
もう少しだけ電車に乗ろう、男は目を閉じた。
電車は身悶えするように大きく揺れて、全てがひとつになった。
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